ラグビーリパブリック

改革への軋轢、欠場を決意した主将の思い…。2019年の中大ラグビー部。

2019.12.09

1部残留を決めた中大。最前列中央のネクタイ姿の部員の右でガッツポーズしているのが石渡主将(撮影:松本かおり)

入替戦で2トライを挙げた中大のFB楠本航己(撮影:松本かおり)

 冷たい風をBGMに、『東京ブギウギ』の歌詞を変えたチームソングが響く。

「♪中央、ララララ、ラララララララ ラララ ララララララララ ララララララ ララララララ 中大勝利 Yeah!」

 12月8日、埼玉・熊谷ラグビー場。関東大学リーグ戦の1部、2部の入替戦があった。

 1部でのシーズンを1勝6敗、8チーム中8位としていた中大は、2部を7勝0敗で首位通過した立正大を圧倒した。

 NO8の鬼頭悠太ゲーム主将は、敵陣深い位置での鋭いキックチャージ、防御網の隙間へ鋭く駆け込んでのトライと八面六臂の活躍。球を追いかける、もしくは球をもらう際の鋭さは今季のチームが里大輔スピードコーチとともに磨き上げた技能だ。

 昨季は20歳以下日本代表にもなった3年生SOの侭田洋翔は、背水の陣で強みを最大化させるべく「いいところへ蹴る。FB(の動き)に合わせてチェイスする…。そういう基本的なことを意識しました」と心がけた。鬼頭は「侭田のキックは滞空時間が長いので、チェイスがかけやすかった」と続けた。

 ノーサイド。52-24。かくして一度も2部に降格していないという歴史をつないだ中大陣営は、「やってきたことの積み重ねが活きた」と口を揃える。そう言い切れるまでにいくつもの壁を乗り越えてきたことに、妙味があった。

 ラストイヤーを主務として過ごしたHOの島田裕司は、しみじみとこう漏らした。

「今年のチームは、ある意味で一番、中大らしかったかもしれません。たくさん、悩んで…。楽だったという選手は、1人もいないと思います」
 
 1924年創部の中大。現在の選手数は72名と、90名以上のチームが多い関東トップレベルの大学ラグビーシーンにあっては少数精鋭と言える。就任10年目の松田雄監督のもと、情熱とタックルを魅力にして留学生のいるライバルへ挑んできた。

 昨季1部で未勝利だったのを受け、今季は首脳陣の顔ぶれと方針を一新。以前20歳以下日本代表を率いていた知将、遠藤哲新ヘッドコーチ(HC)に権限を与え、里コーチと協力して加速力、持久力を強化した。強いフィジカリティを誇る強豪校を倒すべく、骨格の大きさに左右されない領域を極限まで鍛えたのだ。

 練習の量と強度は、自ずと変わった。春季大会Cグループを3勝2敗とする間も、タフな走り込みを続けた。しかし夏合宿へ入ると、立正大との練習試合で留学生に走られて負けた。人格者で鳴らすFLの石渡健吾主将は、チームで円陣を組んで「俺は危機感を持っている」と吐露した。

 寮長の影山駿介は、首脳陣と選手との双方向的なコミュニケーションが必要だと感じてきた。そのため後になって「春は教えてもらう立場で、どちらかというと受け身。新しいことをやろう、やろう、とするあまり、自分たちで考え切れていなかった」と振り返るのだが、まだ石渡が「危機感を…」と話していなかった「夏前」に大きな分岐点があったとも話す。

 まずは遠藤HCと石渡が1対1で話し合ったのをきっかけに、各種ミーティングを実施。厳しい練習の意味を確認し合ったり、熱湯をかけられて面食らうような部員に前を向くよう促したりしたようだ。

「プレーヤーの考えを主将が取りまとめ、1対1で話し合いました。その週は、練習を減らしてでも遠藤さんとコミュニケーションを取ることにしました。それがチームにとって、大事な時間でした。春は(指導を)受け入れて、受け入れてという形で、ここにきて余裕ができてきて、言われたことについて自分たちで考えて話し合えるようになった。遠藤さんに言われたことを受け、自分たちでゲームを組み立てる。それが(入替戦に向けた)今週、一番よくできていました」

 リーグ戦が始まった8月下旬以降、組織間の歯車自体はかみ合っていたようだ。優勝する東海大に21-100で負けたのを皮切りに3戦連続で大敗も、石渡は「去年と違うのは、負けのなかからも『これをやれば勝てる』という手応え、成長を実感していたことです」と心を乱さなかった。

 ワールドカップ日本大会開催のための中断期間を前に、選手だけで試合を振り返るミーティングを企画した。自由参加だと伝えたところ、ほとんどの部員に出席してもらえた。仲間の意識が高いと思えたから、その仲間の不安をあおらないよう発言に気を付けるだけでよかった。11月24日、東京・江戸川区陸上競技場での拓大戦。17-14のスコアで今季初勝利を挙げる。

 入替戦に向けては、心を揺らす出来事もあった。拓大戦の試合中に膝の前十字靭帯を切っていた石渡は、続く30日の専大戦(東京・上柚木運動公園陸上競技場)に満身創痍の状態で先発も前半24分で途中交代。5-26で屈したのを受け、大一番に出ないことを決めた。

「(専大戦では)感覚的に40~50パーセントの状態でやって、途中、膝が崩れて…。100パーセントで戦えない自分が(入替戦に)出ていては、チームのためにならない」

 石渡が正式に全部員へ意思を伝えたのは、部内で出場メンバーが発表されてからだ。ミーティングルームでは、各自の「主将の分まで」という決意が飛び交った。

 静岡聖光学院高校時代には長身FBとして高校日本代表候補となった影山も、度重なる怪我で一軍定着には至らず。LOに転向して臨んだラストイヤーの今季も、怪我で拓大戦のメンバーから外れたのを受け裏方に回った。分析班のリーダー格としてレギュラー組を支えるなか、選手の自主性の発露、何より自身を熱心に誘った松田監督のチーム愛に触れた。

 遠藤HCに「5本、選手に任せる」と託されたラインアウトの練習では、どのサインを確認すべきかを部員同士で確認。さらに本番前日のセッションでは、大柄で豪快に映る指揮官が部員たちのタックルを順番に受け止めていた。影山の述懐。

「監督が自らタックルバックを持ってくださって。最後には『俺、中大が好きだから』と泣きながらおっしゃっていた。入学前から熱い人だとは思っていましたが、最後にきて、熱い思いをしっかり伝えられる人なのだと思いました」

 指導者が理想のチームを作ること、指導者が理想のチームを作って勝つことはかくも難しい。部員たちと激動のシーズンを過ごした遠藤HCは、本来なら出場を望んでいなかった入替戦を「今日みたいなゲームを序盤からやれたら…。その意味では、もっと伸びる余地がある」と総括。続けて、学生の献身ぶりをただただ褒めた。

「彼らは打たれようが、負けようが、立ち上がろうとした。負けは悔しいし、いろいろとありますが、『僕らのやっていることは、誰も知らないけれど、僕らは、知っている』と。時期としては遅かったですが、彼らの変わろうとする力が出た。立派だと思います」

 翌年度の注力ポイントは「おいおい話します」と言うに止めたが、何度も凱歌を奏でるための覚悟なら示した。

 競技活動に必要な身体の質量を増やすために、大学日本一に近い各強豪校は食事、サプリメント、トレーニングジム、医療体制などに相応の予算をかけている。ただし遠藤HCは、「仮にその部分でハンデがあったとしても、そのせいで勝てないということはない。それでも勝てると、本気で思っている」。いまの状況を受け入れたうえで、内々で共有する高い結果目標をクリアしたい。

 部員も前向きだ。まもなく卒業する影山が「いまの1~3年生は今年を知っていて基盤ができている。そのうえで来年の春を迎えるのはわくわくしています。1シーズン経験した分、来季は春の段階で『秋にはこういうラグビーをしていくんだ』というビジョンを持てる。後輩たちには、それを見据えて遠藤さんとコミュニケーションを取って欲しいです」と語れば、まもなく最上級生となる侭田はこう続ける。

「4年生が築いてくれたものを来年も引き継ぐ。あとは、個人の力を伸ばすこともチームの力になるので、それを今年以上にやっていくことが必要です。来年はメンバーも多く残る。選手権を目指す。それを個人の、チームの目標にする」

 今年は日本代表のチームスローガンである『ONE TEAM』が新語・流行語大賞で年間大賞に輝いたが、ワールドカップで8強入りしたチームが固い絆で結ばれるには多くの時間とトライアル・アンド・エラーを要したと複数の選手が証言している。

 遠藤HCを交えた中大の組織作りは、まだ始まったばかり。中大に遠藤HCが来る前からあったチームソングは、これから何度聞こえるだろうか。