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【ラグリパWest】関西学院、復活す。5年ぶりの全国舞台へ

2019.12.05

5年ぶりに大学選手権出場を決めた関西学院大。ブレザー姿は牟田至監督、ガッツポーズをするのは原口浩明主将



 関西学院が復活した。
 西の名門。通り名「カンガク」は5年ぶりに大学選手権出場を決める。

「経験したことのない緊張感を味わうと思いますが、それを楽しみたいと思います」
 主将の原口浩明は声を弾ませる。
 167センチと小柄な左プロップは、最前線からチームを引っ張ってきた。

 11月30日、関西リーグの最終戦で大体大に42−14と勝利する。4勝3敗で京産大と並んだが、直接対決を28−21で制しており、天理大、同志社大に続く3位を確定させた。

 春季トーナメント7位からの躍進。理由はセットプレーの安定、とりわけスクラムの強化にある。ラグビーの根本に戻った。

 組み合いは4000本を設定した。コーチの張泰堉(ちゃん・てゆ)は振り返る。
「4月中旬から始めて、7月の第1週に終わりました。週に4日、100本以上組んだこともあります。よくやってくれました」
 30歳の元プロップはほおを緩めた。NTTドコモで現役を引退した張は総務部に勤務。週末に後輩たちの面倒を見ている。

 張と監督の牟田至の2人は春先、岡田明久に個人的に会ってもらった。
「まず物理的な数を組まないと」
 天理大のコーチから助言を得る。
 岡田の鍛えた漆黒のスクラムは昨年度、他を圧倒。第55回大学選手権決勝では、明大に17−22と5点差にまで詰め寄った。

 朱紺のスクラムは最終戦でも威力を発揮する。開始2分、大体大からコラプシングを奪った。前半、この手の反則は2つ。後半に入ればスクラムは走る。前半は14−7、後半は28−7。前への出方の変化が点数に表れる。




 関西学院がリーグ戦を最後に制したのは2014年。それから5年間、苦闘する。

 翌年、ボールを動かすラグビーに固執するあまり、キックによるエリア獲りの意識が薄れた。首位から最下位の8位に一気に沈みこんだ。優勝監督だった野中孝介は辞任した。

 2016年、新任監督の大賀宏輝と部員たちが指導をめぐって懸絶する。大学職員でもある大賀は現場を離れた。1勝6敗で連続最下位の危機だったが、並んだ3校間の得失点差でかろうじて6位におさまった。

 関西学院は伝統として「学生主体」を掲げている。監督は基本的に強制をしない。話し合いで方向性が決まる。学生たちがラグビーで自主自立を学び、社会に出てほしい、という願いがある。ただ、時として両者に摩擦が起こってしまうこともある。

 翌年、OB会が中心になって白羽の矢を立てたのが現監督の牟田である。
 卒業後、サントリーでフルバックとして活躍し、現在はサントリー酒類につとめるビジネスマンである。

 牟田は再登板だった。2007年、2008年の2年間、指揮を執った。1年目は5位、2年目は51年ぶりとなる関西制覇を果たしている。

 牟田は学生たちとの対話を重視する。
「主体はいいけれど、主導はよくない」
 ミーティングを重ね、意思疎通を図る。
 主将は赤壁尚志。牟田は絶賛する。
「赤壁は『しんどい』と一切言いませんでした。大した男でした」
 自分たちの主張も大切だが、勝てなければチームは崩壊する。防ぐには協調しかない。お互いがその思いを強くする。

 2017年は3勝4敗で4位。最終戦の立命大は終了寸前に犯した反則をペナルティーゴールに変えられ、19−22で惜敗する。引き分けなら得失点差で選手権に出場していた。

 フッカーだった赤壁は現在、大阪の「はつしば学園小学校」で教員の道を歩んでいる。
「僕の周りには昔から子供がたくさんいて、一緒に遊ぶことが好きでした」
 大学を出てすぐに天職につける。

 2018年は4勝3敗で同じく4位。2年連続で選手権を逃す。開幕3連勝も勢いが続かなかった。主将はフランカーの勝川耀。卒業後の進路は、自分の地元・伊丹にも事業所がある住友電工に定めた。
「就職活動で『君と一緒に働きたい』と言ってもらえた会社でした」
 大学の4年で人物により磨きがかかる。

 2019年。牟田の3年目は同時に最終年でもあった。このシーズンで監督を退任する。
「それぞれの代にそれぞれ特徴がありました。僕の中で、いい、悪いはありません。でも、ひとつ言えるのは学生にめぐまれていた、ということでしょうね」
 48歳の指導者には感謝が残る。

 チームにとっては牟田の3年間だけではない。それ以前の迷走や闘争すら復活には必要だった。根幹をなす「学生主体」を在籍した部員たちはもちろんOBや関係者が再考するよい契機になった。

 2期5年目を総括して牟田は話す。
「学生主体というオリジナリティーがないと、ウチの存在意義はありません」
 2児の父ながら、週末は家族サービスを放棄。12時間、グラウンドに立っていた。

 主将の原口は、勝因を問われる。
「ブレないと言うか、やってきたことを信じた、ということですかね」
 4000本のスクラムに寄り、それにかけた。結果は出る。今後の人生の指針は定まる。

 就職先は大手ゼネコンの安藤ハザマ。実家は北九州・若松で「原口建設」を営む。父・和也が3代目の社長だ。従業員は10人に満たない、いわゆるファミリー・ビジネスだ。いずれは帰郷も視野に入れている。

 四角い体、顔全体の笑み崩しなど原口は、いい「親方」になる雰囲気を漂わせる。学生たちが主将を決める時、ほぼ満場一致だった。その人望が学生主体と溶け合った。

 スタンドオフの房本泰治(たいち)は副将としてナンバーエイトの杉原立樹(りき)と原口を支えた。
 右足からのハイパント、エリア取りのキック。正確なパスでバックスをまとめ上げた。

「中学から10年間、同じグラウンドで過ごしました。色々なことがありましたが、最後にここまで来られて素直にうれしいです」
 父・英利も同じ位置で大体大や大阪府警で活躍した。その道を追い、中学部からこの一貫校で楕円球を追った。

 関西学院が5年間の思いをぶつける大学選手権は56回目を迎える。初戦は朝日大と九州共立大の勝者と戦う。12月15日(日)、大阪・花園で正午にキックオフされる。

 勝てば準々決勝でシード校の明大と激突する。関東対抗戦1位は前年度の優勝校でもある。監督の田中澄憲(きよのり)はサントリーにおける牟田の年少者。先輩後輩の対決が実現する。

 全国舞台を心待ちにする房本は、損保国内最大手の東京海上日動に、転勤が関西限定の地域職として入社する。
「卒業してもなんらかの形でラグビーに関わっていければいいなあ、と思っています」
 10年の日々は母校愛を運んでくる。

 練習場の第2フィールドの西には、こんもりとした甲山がある。その奥には六甲山系が広がる。季節によって色彩は緑から赤や黄、グレーと鮮やかに変化する。
 その山並みは、1928年(昭和3)の創部のはるか以前、太古からこの地にある。
 その美しい風景はこれからも変わらない。