ラグビーリパブリック

【ラグリパWest】 酒とラグビーと番長とブログ。中村直人(株式会社なおかつ代表取締役)

2019.11.26

多彩な才能を発揮する中村直人さん(左)は11月11日、京都で「盟友」の長谷川慎さんと飲みまくった


 天は二物どころか、三物も四物もこの人に与えている。

 中村直人。
 愛称「ナオト」のトレンドはブログだ。現役時代は178センチ、105キロのプロップ。20年前はワールドカップ戦士だった。
 今はブログの日本代表である。

 仕事上の肩書は京都・左京区にある酒類販売の「なおかつ」の代表取締役。そのホームページに自在の筆が面白く走る。

 お気に入りのひとつは、「おまえはトトロかい?」とカップルに声をかけられた作品。二日酔いで鴨川のベンチで寝ていたら、体つきや雰囲気でそう判断された。

「ほんわかしたものを書きたいですね。プロップらしくいきたい。スクラムの先頭でギスギスしていたらいい選手になれません。気持ちを合わせていかないとしんどいですから」

 ブログは2012年3月にスタートした。来春には9年目に入る。8人の従業員とともに日替わりで書いている。
「ウチは作り酒屋ではないので、売っている商品はほかの酒屋と一緒です。ただ、愉快な仲間が集まっているんで、人で勝負できるんやないか、と考えました」

 そのブログが決め手になったかどうかさだかではないが、9月30日、TBSのお昼の情報テレビ番組『ひるおび!』に解説者として出演した。19-12と金星を挙げたワールドカップのアイルランド戦の2日後だった。

「前日に出演依頼の電話があって、始発の新幹線で東京に行きました。ちゃんとやらなあかん、今後のこともあるからと思いました」
 その後、連絡はまったくない。
「まあ、忘れたころに来るでしょう」
 そのまま忘れ去られるとは考えない。

 会社ではワールドカップに合わせて日本酒2種類を売り出した。『楕円球賛歌』(甘口)と『楽苦美物語』(辛口)だ。
「自分が出た時、その盛り上がりは大きく、ぬくもりや感動がありました。お返しになにかできひんかなあと考えました」
 300mlで650円。3000本ずつ京都・招徳酒造に頼んだ。題字は母・紀美子の揮毫(きごう)だ。

 ラグビーは洛北高で始め、同大に進む。店の名前になっている父・直勝と同じ道筋だ。
 同大では文学部の美学芸術学科に籍を置く。5年通う中で書きもののセンスが磨かれる。

 就職はサントリー。1932年(昭和7)創業と言われる商店の3代目を意識した。
 チームでは最前列を長谷川慎と支えた。「スクラム番長」は2学年下で逆の左プロップ。今回のワールドカップでは、コーチとして日本代表の8強入りに貢献した。

 11月11日、番長が出身の京都に戻る。
「夕方5時から2時まで9時間ほど。ラグビー関係の店を8軒回りました」
 ラブラブな後輩としっぽり時を過ごした。

 キャップ20を得たジャパン時代にもお酒にまつわる思い出はたくさんある。
 1999年6月5日、フィジーに現地で9-16と敗れる。試合後、番長ほか2人と1軒しかない韓国焼肉に出向く。
「すぐにアメリカ戦がありました。それで、切り替えや、とポジティブなノリでした」

 ただ、ノリはどうあれ、スクラムを組み過ぎて痛点などが鈍くなっているフロントロー4人が気合を入れて飲めば、大変なことになる。店のものは飲み尽くし、有り金をテーブルの上に出し、追加を買いに行かせた。そのうち、肉の脂身が黄色く見えだした。
「僕は黄色に見えていたけど、番長は違う色に見えていたかもしれません」

 べろんべろん。脱いだり、人を無理にプールに誘導した後、眠る。目を開けるたびにベッド上でリターンしたものが近づいてくる。
「次の日、船に乗っての島巡りがありました。全部、魚のえさになりました。何が揺れてるかようわからへん状態でした」

 1週間後、ハワイ・ホノルルで行われたアメリカ戦は47-31で勝つ。結果的に見れば、この酒盛りは正しかったことになる。

 1998年12月、タイ・バンコクであった第13回アジア競技会でも、しでかした。
 選手村には柔道の篠原信一や野村忠宏、野球では巨人に入団する高橋尚成がいた。
「彼らと一緒のところにおる、と思ったら、興奮してしまいました」
 自分もそのレベルにいる、ということに気付いていない。高揚感にお酒が安いことも手伝って、へべれけになる。

 そして、選手棟のエレベーターに向けて、水泳の飛び込みよろしくダイブする。「第一のコース」とあおったのは番長だった。
 すぐさま自動小銃を持った警備兵が駆けつける。部屋に飛び込んで、ドアをロックした。当時の責任者がどんどん叩く。
「ナオトは今ここにおりまへんでー」
 平尾誠二監督の口真似で逃げ切りを図る。

 翌朝、責任者の元を訪れ、謝罪した。
「よく覚えていないけど、すみませんでした」
 責任者はハグをして許してくれた。しかし、坂田正彰は「あれはない」。ナオトと番長を代表や所属チームで中央からリードしたフッカーは厳しかった。当然である。大会は決勝で韓国に17-21と敗れた。結果的に見れば、この酒盛りは間違っていたことになる。

 得難い経験を重ね2002年度を最後に現役引退する。11シーズンを過ごし、全国社会人大会(トップリーグの前身)、日本選手権で3回ずつ優勝を果たした。翌年度から5シーズン、コーチをする。横浜で1年間勤務した後、故郷に帰り、事業を継承した。

 一昨年から大学OB会「同志社ラグビークラブ」の理事長になった。老若が集まる組織の実質的なかじ取りを任されている。

 今季の同大は関西リーグで4勝2敗。天理大の4連覇を許したが、4位以上を確定させ、3大会ぶりの大学選手権出場を決めた。
「現役たちは一生懸命やってくれています。セットプレーやフィットネスなどベースとなるところを鍛えてくれていますよね」

 丸い顔、目じりが急降下する笑顔は、半世紀を生きた今も変わらない。そのかたわらにはアルコールがあり、ブログもある。
 息子2人もラグビーマンとして育った。長男・拓磨も同大卒。今年からJ SPORTSで働いている。次男・優吾は同志社高1年生だ。
「すべてラグビーのお蔭です。生かしてもらっています」
 これからも同じ思いで生きて行く。

【なおかつHP】 http://naokatsu.com/