9月20日に開幕したラグビーワールドカップ日本大会は、列島に社会現象といえるほどのムーブメントを巻き起こし、南アフリカの3回目の優勝という結末をもって、44日間の熱狂に幕を降ろした。世界最高峰の戦いが毎日のように繰り広げられ、日常生活のあちこちでラグビーの話がかわされる日々は、最高に幸せな時間だった。閉幕からしばらく経った今も、ふとした瞬間に大きな喪失感に襲われるのは、いかにワールドカップが心の大部分を占めていたかの証だろう。
「大」の字をいくつでも重ねたくなる成功の原動力となったのは、いうまでもなく日本代表の快進撃だ。
勇敢にして果敢な姿勢は日本人の魂を揺さぶり、活力と独創性に満ちた攻守は、目の肥えた海外ファンのハートをわしづかみにした。初めて伝統国以外で開催されるワールドカップで、もしホスト国の戦績がふるわなければ、盛り上がりに欠けるのではないか——。そんな不安は、ジャパンがアイルランドを破った9月28日以降、誰も口にしなくなった。
「1億2千万人に、ひとつだけ証明したい。僕たちが強いということを」
9月13日に開かれたウェルカムセレモニーでキャプテンのリーチマイケルが発した言葉は、国内の枠を超えて地球規模で証明された。選手、スタッフ一丸となった想像を絶するほどの努力の成果だ。正しい準備を重ねれば、ジャパンはこんなにも強くなれる。それまで「どうすればそこへ行けるのか」だった世界のトップ8は、「これだけやればここに来られる」に変わった。この違いが日本ラグビーに与える影響は、とてつもなく大きい。
7か国の出身者によって構成された今回のジャパンは、多様な背景を持つ選手がひとつになるからこそ、想像を超えるパワーを生み出せることも示した。
日本代表なのに、なぜ外国人選手がたくさんいるのか。2015年の前回大会でたびたび上がった否定的な声は、今回ほとんど聞こえてこなかった。彼ら海外出身者の気迫みなぎる奮闘に、“助っ人”の印象を抱いた人はいなかったからだと想像する。
ラグビーはプレーヤーの人格をあらわにする。38歳のトンプソンルークを筆頭に、ピーター・ラブスカフニやラファエレティモシー、ジェームス・ムーア、具智元らの攻守に渡る献身を目にすれば、彼らがどれほどの覚悟でジャパンのために戦っているかはすぐにわかる。肉体的にも精神的にも極限まで追い込まれる中で示したアティテュードが、“よそ者”のイメージを吹っ飛ばしたのだ。そして、そうした真のチームマンが国籍を越えて肩を組み、強大な敵を打ち破ったことは、世界のあちこちに漂う排他的で不寛容な空気への、力強いメッセージになるだろう。
今回のワールドカップは、これまでの日本になかったスポーツの楽しみ方を広めるとともに、世界的スポーツイベントを開催するホスト国としての日本の底力も実感させてくれた。“おもてなし”という言葉に象徴される日本流のホスピタリティは、名だたる強豪国の選手やファンを虜にし、この国の魅力を世界中に発信することにつながった。
観客動員数や収益で過去最高の数字を記録し、「レコードブレイキングな大会」と称された2015年のイングランド大会に対して、初めて伝統国以外での開催となる日本大会は当初、「グラウンドブレイキング(革新的)な大会」になるといわれていた。いざフタを開けてみれば、結果は「グラウンドブレイキングにしてレコードブレイキングな大会」だった。
全国12開催地に設置されたファンゾーンの入場者数は、10月26日の準決勝までの時点で計102万4千人となり、過去最多だった2015年大会の約100万人を上回った。チケット販売数は販売可能席の約99.3パーセントとなる184万枚に達し、決勝の観客数70,103人は、横浜国際総合競技場の歴代最多動員数を更新した。国際統括団体であるワールドラグビーのビル・ボーモント会長は閉幕に際し、「2019年日本大会はおそらく過去最高のラグビーワールドカップとして記憶されるだろう」と述べ、「今大会は様々な意味で記録を破り、ラグビーの印象を劇的に変えた」と手放しで称賛するコメントを残している。
その言葉がリップサービスでないことは、取材者としての体感でもわかる。期間中、記者席で隣になったアルゼンチンのジャーナリストから、「こんなに楽しいワールドカップはなかった」と声をかけられた。同国代表ロス・プーマスは4大会ぶりに決勝トーナメント進出を逃したのに、だ。決勝が行われる週に催された、各国の報道関係者で争われる“メディアマッチ”のアフターマッチファンクションでも、「今まででベストの大会だ」という言葉を何度も聞いた。
大会組織委員会のある職員は、英国系メディアの記者から「2023年のフランス大会は大変だよ」といわれたそうだ。いわく、「次からはこれ以上のものが求められる」。誇らしいじゃないか。国際ラグビー界ではマイナー国だった日本が、ワールドカップのスタンダードを引き上げたのだ。
時間が経つに連れて、周囲のラグビー熱は冷めていく。けれど脳裏に深く刻まれた記憶は、少しも色あせない。
しびれるような激闘の名場面はもちろん、試合を離れたところでも、数々の忘れられない出来事があった大会だった。ウエールズの公開練習が行われたミクニワールドスタジアム北九州で、観客席を埋める1万5千もの人々がウエールズ国歌「ランド・オブ・マイ・ファーザーズ」を歌い選手たちを迎えた光景。興奮に沸く列島に、甚大な被害をもたらした台風。そしてその深刻な影響が残る中で日本対スコットランド戦を実現した、横浜の奇跡。
個人的にもっとも感銘を受けたチームは、カナダ。台風による試合中止の失意の中、釜石に残り土砂を撤去する作業を手伝うなんて、そうできることではない(南アフリカ戦でレッドカードを受けたジョシュ・ラーセンが試合後、相手ロッカールームを訪れ謝罪したスピーチもよかった)。対戦相手のナミビアの選手たちも、滞在先の宮古で被害を受けた市民を励ますための交流会を開いてくれた。こんなにも素敵なラグビーマンたちが、いつか釜石で、行われるはずだった試合をプレーする日が来ることを願う。
大会期間中、ジャパンの試合の日にいつも同じシャツで取材している旧知の記者がいた。聞けば、それを着て行ったアイルランド戦で勝利して以降、他のものを着られなくなったのだという。普段はそれほどラグビーに熱心なようには見えなかったのに。白状すれば、ゲンを担いでジャパン戦で同じ服装をしていたのは、自分も一緒だった。
あまりに楽しかったからだろうか、大会期間中の日々を思い出そうとすると、どこか夢を見ていたような気分になる。そして現実だとわかるたびに、喜びをかみしめている。