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【ラグリパWest】トップリーグ復帰への起爆剤。 近鉄ライナーズ SOクウェイド・クーパー

2019.10.12

トレーニング前、穏やかな表情のクウェイド・クーパー



 この国のラグビーファンを驚かせたニュースが流れたのは2か月ほど前だった。

 7月11日、近鉄ライナーズがオーストラリア代表のHB団獲得を発表した。

 SHウィル・ゲニア、そしてSOクウェイド・クーパーである。

 31歳のクーパーは70キャップを誇るスーパースター。世界最高の司令塔のひとりだ。
 9月1日の深夜に来日。翌2日から練習に合流する。熱意が伝わる。

 日本に来て1か月が過ぎた。練習をともにするCTB森田尚希には賛辞しかない。
「どれを取ってもむちゃくちゃすごいです。前に出る、パス、スピード。どれかひとつを持った選手はたくさん見てきました。でも彼はすべてが抜けています」

 BKラインに入った当初は、外側にいるWTBやFBがクーパーの速さについて行けず、出遅れる。33歳の副将経験者はそんなエピソードもつけ加えた。

 クーパーは高さ45センチの台に座り、体の反動を使わないで120センチのマットに飛び上がる。バネの塊と言われるチームメイトのFBセミシ・マシレワとそん色はない。

 186センチ、92キロのサイズながらステップは左右に跳ぶ。コンディショニングコーチの寺田京太はその代名詞を解説する。
「重心の使い方がうまい。ボディーバランスのよさや足の運びですね。練習でそれを身に着けるのはなかなか難しいでしょうね」
 下地には天性の能力がある。

 遊びを軸にした後天的な努力もある。
 13歳の時に家族とともにニュージーランドからオーストラリアに移住したが、子供の頃はスリー・オン・スリー(3対3)に熱中する。バスケットボールコートでのタッチラグビーだった。地面は芝や土ではなくグリップの効かないコンクリートである。

「みんながやりたくて長い列ができていました。少しでもコートを独占するには勝たなければならなかったのです。家の中でもステップを踏んでいました。家具を相手に見立ててね。母はびっくりしていましたよ」

 母の名はルヒア。先月、50歳の誕生日を迎えた。英連邦の国々(コモンウェルス)では、中心のイギリスにならい、半世紀生きたことを長寿として祝う風習がある。

 クーパーは祝福の集まりへの参加を願い出た。ゼネラルマネージャーの飯泉景弘は話す。
「通訳を連れて、『大切なパーティーだから行かせてもらえないか』と言ってきました」
 その家族愛が胸をうち、許可を与える。クーパーは現地で一泊しただけで戻ってきた。

 兄弟は6人。姉がひとり、妹が2人、弟が2人。弟妹4人がいるため面倒見はいい。
 練習後にCTBパスカル・ダンにスクリューパス、WTBジョシュア・ノーラにキックを教える。飯泉は笑みを浮かべる。
「彼は最高です」
 クーパーにとっての当たり前は、チーム強化につながっている。

 日本に来たことも家族が関係している。
「ここはフランスよりも近い。みんなとすぐに会うことができます」
 生活拠点のあるブリスベンから飛行機で9時間ほど。時差は1時間だけだ。欧州行きと比べると北上は比較すれば体にも優しい。




 クーパーは2016年、フランスのトゥーロンでプレーした。それを除けば、2006〜2018年はスーパーラグビーのレッズに所属。今年はレベルズに移った。

 自身2回目の海外生活は気に入っている。
「スタッフもチームメイトも協力的です。住まいやグラウンド、クラブハウスがコンパクトにまとまっているのもいいですね」
 花園ラグビー場にはオレンジ色の自転車でやって来る。和食にも戸惑いはない。寿司などは来日前にも週3、4回は食べていた。

 近鉄を戦いの場に選んだ理由がある。
「トップリーグへの復帰という確固たる目標があります。それに貢献したかった」
 FWコーチにニック・スタイルズがいたことも背中を押した。スタイルズは2017年にレッズのヘッドコーチ(監督)だった。
「彼は私を選手として高めてくれました」

 近鉄の創部は1929年(昭和4)。社会人のトップチームでは1928年の神戸製鋼に次ぎ、2番目に古い歴史を有する。
 全国社会人大会(トップリーグの前身)優勝8回。日本選手権優勝3回の名門ながら、2017年度にトップチャレンジに降格した。
 今年はワールドカップの関係で入替戦はない。しかし、その力を内外に示す必要はある。

 契約期間は2年。スーパーラグビーなどに参戦はしない。飯泉は話す。
「私たちはチームを変えてもらえる選手に来てほしかった。だから契約の間ずっと一緒にいてくれる選手を探していました」

 クーパーは逆境でさらに磨き上げられた。
 2018年、ヘッドコーチのブラッド・ソーンの構想から外れ、レッズとの契約が残りながらクラブチームでのプレーを強いられた。

 その孤独を救ったのは、ボクシングの経験だった。2013年から年1回、オフシーズンに戦い、3戦3勝の記録が残る。階級はクルーザー(79.38キロ〜90.72キロ)。
 兄と慕うソニー=ビル・ウイリアムズ(ニュージーランド代表CTB)が先にリングに上がっていたことも興味をわかせた。

「ボクシングは規律の部分でラグビーに通じます。ただ、ラグビーと違うのはたったひとりでやるということ。仲間はいません。ひとりでやる気をかき立てていかねばなりません。敗北はすべて自己責任になります」

 今年初め、2年ぶりにスーパーラグビーに復帰する。レベルズでは全16試合に出場。キッカーもつとめ116点を挙げた。
 衰えはなく、むしろ進化する。

 ワールドカップ後にはゲニアが加わる。現在107キャップ。ワラビーズのHB団が始動する。森田は大きな期待感を口にする。
「ゲニアが来て、このチームにどういう化学変化が起きるかすごく楽しみにしています」

 近鉄の本気度が伝わってくる補強。クーパーはそれを白星に変えるべく、紺×エンジのジャージーを着て極東の島国で奮戦する。


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