ラグビーリパブリック

東北にエールを送り続けた元LO。フライキプロジェクト代表・園部浩誉さん。

2019.10.03

プロジェクトのリーダー、園部浩誉さん。LOで活躍した。(撮影/多羅正崇)



 釜石の観客席をフライキが彩った。

 フィジー代表とウルグアイ代表が対戦した、9月25日の岩手・釜石鵜住居復興スタジアム。
 観客席の最上段では、試合前から60旗のフライキが振られ、釜石ラグビーの、日本ラグビーの記念日を盛り上げた。
 
 「富来旗」「福来旗」とも書くフライキは、東北の南三陸における大漁旗の通称だ。
 南三陸の文化でもあるフライキで、釜石開催のワールドカップ会場を埋め尽くそう——。
 ワールドカップ釜石初開催となった9月25日は、そんな夢を描いた『フライキプロジェクト』のメンバー、協力者、賛同者の夢が実現した日でもあった。
 
 プロジェクトの発起人は2011年8月、たった一人で活動を始めた。
 
 東京・本郷高から法大、明治生命(現明治安田生命)でプレーした園部浩誉さんだ。
 U19日本代表経験を持つLOで、明治生命では1999年から2年間監督も務めた。

「阪神淡路大震災の時、神戸製鋼の仲間や、被災した方々のために何かやろうと思ったのですが、その時は新入社員で時間もなくて・・・。それですごく後悔が残ってしまって、次に何かあった時は絶対に後悔しないように、思っていました」(園部さん)

 2011年に東日本大震災が発生すると、園部さんはすぐに仙台へ向かった。
 仙台は4年半勤務した土地であり、仙台育英ラグビー部の丹野博太監督は同期。
 現状を目の当たりにした園部さんは、大漁旗を贈って勇気づけようと一念発起した。

「東北のラグビーといえば新日鐵釜石、大漁旗のイメージがありました。東北を回ってから家に帰って調べると“富が来る旗”——フライキ(富来旗)という言葉を見つけ、大漁旗で勇気づけられないかと考えました」
 
 持ち前の行動力で製作資金を募り、まずは仙台育英にフライキ第1号を贈った。カラフルで勇壮なデザインは釜石在住のデザイナー・三浦正文氏によるものだ。

「もともと大漁旗は振るものではなく、漁船につけて陸の人に大漁を知らせるためのもの。僕たちが贈っている旗は、正確にいうと富来旗ではなく『応援フライキ』です」
 
 この応援フライキが好評だったことから、2011年8月、東北のラグビーチームに旗を贈り届ける『フライキプロジェクト』を立ち上げた。ワールドカップの釜石開催の決定後は、本格的に観客席でフライキを振るプロジェクトを推進してきた。
 
 2019年10月までの8年間で、フライキを贈った東北のラグビーチームは約90に上る。
 ただ製作したフライキはもう少し多い。

「東北のラグビーチーム以外にも、大きな手術をしたり、怪我をした仲間にも贈ってきました。大阪府警の古瀬巡査にも、ジャパンのサインを全部入れてもらい、贈らせてもらいました。そういったものを含めると100旗くらいだと思います」

 今年6月に大阪府で発生した拳銃強奪事件で重傷を負った、大阪府警の古瀬鈴之佑巡査。佐賀工、東海大でプレーした元ラガーマンへ、伝手を頼って日本代表選手の“サイン入りフライキ”を届けた。

 応援フライキの製作費は1旗3万円。クラウドファンディングでの資金提供や寄付金も募ってきたが、園部さんの財布から出ていった額も大きい。

 そこまでして人を応援する理由を尋ねると、園部さんは「『ワン・フォワ・オール、オール・フォワ・ワン』です」と言った。それから「ちょっと出来すぎですかね(笑)」とおどけた。
 
 園部さんの目下の集大成は10月13日だ。
 釜石では今大会最後の試合となるナミビア代表×カナダ代表が、釜石鵜住居復興スタジアムで行われる。
 
 この日は前回よりも40旗も多い、100旗のフライキを振る予定。釜石の観客席が、園部さんと仲間たち、多くのプロジェクト賛同者と協力者からのエールで埋め尽くされる。


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