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【ラグリパWest】ラグビーの伝道師。 横井章

2019.09.25

元日本代表の横井章さん(中央右)は指導のため福岡の浮羽究真館高校を訪れた。その左でボールを持つのは吉瀬晋太郎監督



 ワールドカップがなかったその昔、日の丸を背負った。わずか164センチの上背ながら、CTBとして世界と渡り合った。

 横井章は今、孫よりも若い世代にもラグビーを説き、伝える。
 喜寿をひとつ越えても、京都近郊の自宅から全国の現場に足を運ぶ。この夏には合宿参加のため長野・菅平にも上がった。

 笑えば、並びの良い白い歯が現れる。
「もう100チーム以上は教えたよ」
 社会人では近鉄、大学は帝京、関西学院、高校は京都成章、尾道、静岡聖光学院など。クラブチームの要請も引き受ける。
 この国における競技力向上に資することがライフワークだ。

「ラグビーで大切なのは、精度を上げる、ということや。そのためには練習あるのみや」
 関西弁で絶対的な時間量の大切さを言う。大阪・大手前から一浪して早大の政経に進んだ。その時、バスケットからラグビーに部活を変える。初年度は正午から夜8時まで東伏見のグラウンドにいた。

 落球を見ると声をかける。
「ボールを受ける時はボールだけを見る。前を見たらあかん。人間は2つの仕事をいっぺんにでけへんのや」

 9月14日からの敬老の日の3連休、横井の姿は福岡県のうきは市にあった。
 浮羽究真館を率いる若き監督・吉瀬晋太郎から臨時コーチを頼まれる。この県立高校を教えるのは2年前の春以来2回目になる。

 吉瀬はブログで横井の存在を知った。
『横井章の魅力あるラグビー』は2010年7月にスタート。体験や考えが書き込まれる。今年8月に<一旦、休憩>。1388回に及びながらの休止理由は<文章だけで表現するにはほぼ限界に来ている>。コメント欄を使っての質疑応答は続けている。

 このブロガーに吉瀬は大きな尊敬を送る。
「横井さんは確信があり、個々の役割を明確にして下さいます。来ていただけなかったら、と思うとぞっとします」

 34歳の吉瀬は統合前の浮羽の出身。京産大ではCTBとして公式戦に出場する。2015年4月に保健・体育教員として赴任。ほぼ無名のチームを就任5年で1月の新人戦、5月の春季大会と連続して県4強に押し上げた。

 ただ、県の頂点には難敵がいる。「ジャイアント」と称される東福岡だ。冬の全国大会優勝6回、歴代4位の記録を持ち、19年間途切れず大会出場を続けている。
 浮羽究真館は準決勝でともに「ミスマッチ」と呼ばれる100点ゲーム(0−103、0−113)を完封で食らわされた。

 目標として「10年で高校ラグビー日本一」を掲げる吉瀬にとって、横井は限界突破のための必要不可欠な人材になっている。そのセッションは午前と午後の計4回。地域による攻めや守りなど、こと細かに授けられた。




 横井の基礎は早大での学びである。当時の監督・大西鐡之祐を卸し元とする「接近、連続、展開」だ。アタックの際は、クラッシュするギリギリまで迫る。守備者を殺しパスを出すことで、攻撃を連ねる。最後は素早く大外にボールを運びトライを獲る。

 ディフェンスは「シャロー」と呼ばれる飛び出す型を推奨する。特に若年層においては、プレッシャーの下での正確なプレーの難しさを知っているからだ。
 これらは体が小さくて非力な日本人が外国人に勝つために編み出された理論でもある。

 その具現者として横井は素人にもかかわらず早大の1年から公式戦に出場した。
 日本代表キャップは17。当時は国同士のテストマッチが少ない時代で、代表入りした1967年から8年間のキャップ対象試合は19。欠場の2試合はケガだった。主将もつとめた横井は常に桜のジャージーの中心にいた。

 1968年6月3日、ニュージーランド代表の下に位置するオールブラックスジュニアを23−19で破る。世界を驚かせた一戦では、当時3点だったトライを6つ奪った。横井はパスで4アシストと1トライを記録している。

 現役を引退してから定年までの間、ラグビー指導は一切しなかった。就職した三菱自工(現三菱自動車)で仕事に専念した。
「会社には好きにラグビーをさせてもうたから、恩返し、という思いが強かったね」

 横井には9歳上の兄・久がいる。その兄は早大や日本代表の監督をつとめた。
「兄弟2人がラグビーに関わるっていうことにも、なんとなく抵抗があったんや」
 2つの理由に風儀のよさがにじみ出る。

 還暦からのコーチングではあるが、たたき上げのみの古さはない。世界のラグビーを映像などで見て、アップデートを続ける。ワールドカップで日本と対戦する世界ランク2位のアイルランドの強さは分析済みだ。
「あのチームは選手を国外に出さないやろ。できるだけメンバーを固めて、同じ練習を繰り返す。そうすることでミスが少なくなる」

 横井のよさはその理論を押し付けないことにもある。人数を割って持ち場を決めるポッドをチームが採り入れているなら、それに沿ってFW戦なども提案する。引き出しの多さは経験と多年の研究によるものだ。

 主将のCTB岩佐拓郎は3日間のコーチングに満足感を漂わせた。
「1年の時よりも言っていることがわかるようになりました。僕たちのラグビーが強い相手にどこまで通用するか楽しみです」

 浮羽究真館はシード校のため、全国大会の県予選は10月20日の4回戦から登場する。2つ勝てば準決勝で東福岡と対戦する。そうなれば3度目の挑戦になる。

「だいぶその気になってきよった」
 横井はニヤリとする。体重が130キロ近くあるPR江藤友紀がOBではなく、ケガ人と知るや、その目の輝きは増した。
「これはええで。なんでって? スクラムが安定するからや。大事なことやんか」

 横井は16日の午前中でセッションを終えた。帰りは久留米から乗った新幹線を小倉で途中下車する。関門海峡を臨む城下町で、早大の1961年度入部の同期である大塚健治郎、吉田通正と昼食を摂り、旧交を温めあった。
 横井のラグビー伝道にはこういう楽しみもついてくる。