チーム結成3年目、予選出場2回目で中学生の全国舞台を初めて勝ち取った。
京都の伏見クラブジュニアである。
ラグビースクールの部で9月14日に開幕する「太陽生命カップ」に出場する。主将のFB吉田雅(みやび)は目標を口にする
「日本一です」
チームはNPO法人「伏見クラブ」の下部組織のひとつ。このNPOは冬の全国優勝4回、歴代6位の記録を持つ伏見工のOBたちによって作られた。2011年である。
伏見工の創部は1960年(昭和35)。部歴が半世紀を過ぎる中、地域貢献やラグビーの普及を担う目的でこのNPOは設立された。活動を通じて校名を後世に残すのも意義のひとつ。伏見工と洛陽工が完全統合され、京都工学院になったのは2018年4月だった。
8年前のクラブ創設から代表理事をつとめるのは坪井一剛(かずたか)である。
「2年ほどで、子供たちはよく頑張ってくれました」
45歳の元NO8は運営のトップながら、中学生に指導も行う。高校時代は主将として72回大会(1992年度)で優勝。伏見工に2回目の全国制覇もたらした。同志社大、社会人のNTT関西でもラグビーを続けた。
伏見クラブジュニアは2017年に活動を始めた。中学生がオープンに参加できる。2012年に立ち上げられた小学生対象の「おおぞら少年少女ラグビーチーム」に続いた。
「自転車で練習に来られる子たちが中心です」
中3生の進路は本人に任せられる。兄貴分である京都工学院に進む必要はない。
活動は多い時で週5日。月、木、金は山科区の学校を借り、午後6時から2時間ほど練習をする。週末は伏見区にある京都工学院を中心に試合をする。日帰り遠征も多い。
「週末はゲームばかりです。今年はもうすでに100試合ほどこなしています」
坪井の言葉に強さが潜む。実戦で技を磨く。対戦相手がいなければ紅白戦。部員数は46(3年=17、2年=18、1年=11)。発足当初はチーム内で7人制を繰り返した。
この4月で3学年が揃った。その中には遠方から通う1年もいる。西村航(わたる)は兵庫・宝塚からJRで2時間かけて来る。
「県のラグビースクールは週末しか練習がありません。僕はできるだけ毎日ラグビーがしたかったのです。今は楽しいです」
西村は幼稚園から宝塚ラグビースクールで競技を始めた。ポジションはSO。父・哉(はじめ)は坪井の大学の同期だ。社会人のワールドでも快速FBとしてならした。
このチームでは伏見工で坪井と入れ替わりだった先輩の中島淳もコーチングをする。
部員たちには、坪井は「ブライトさん」、中島は「ボブさん」と呼ばせている。
「彼らと距離を作るのは嫌なので。呼びやすい形を考えました」
ブライトは機動戦士ガンダムの戦艦・ホワイトベースの艦長からとっている。
チームも含めこのクラブのベースにあるのは山口良治の教えだ。「泣き虫先生」の愛称を持つ山口は、伏見工の創部15年後に保健・体育教員として赴任。ラグビー部をこの国屈指の強豪に育て上げた。平尾誠二、大八木淳史、京都工学院GMの高崎利明らは教え子である。
坪井も3年間、毎日接した。
「先生はタックルにいかない選手には厳しかった。『ほかの選手に迷惑がかかるだろ』と。うまい、下手ではないんですよね」
自身も厳しい指導を受けた。
「1年の時に部内マッチで先輩を踏んずけました。『調子に乗るな』と激怒されました」
2年後に高校日本代表入りする有望新人に対しても容赦はなかった。服装の乱れ、スパイクのひもを長くだらしなく結んだり、ストッキングのずり落ちも許さなかった。
「でもね、先生はフォローもすごいんです。怒った後にごはんに誘ったりしてね。だから僕は父親と思っています」
76歳の恩師は肉親と同じだ。
坪井はブログ「伏見クラブジュニア」で連絡事項や練習や試合内容などを随時アップしている。チームへの入会金は10000円。月謝は14000円。部費8000円に遠征費用や用具の購入のための積立金6000円が加算される。
「全国大会以外は、できるだけ一時金が出ないようにしたいと考えています」
10回目となる太陽生命カップの予選は5月に始まった。チームは京都工学院ばりの展開ラグビーで、県予選では京都ORCA、京都アパッチの2チームを下し代表になった。
6月の関西予選では、第1代表の吹田ラグビースクールにこそ0−31で敗れたが、代表決定戦で岡山ラグビースクールに29−0と勝利。最後の第3代表に滑り込んだ。この部門では京都から初の代表チームになった。
本大会は9月14日からの3連休に茨城・水戸で開催される。初戦の相手は九州を制した、かしいヤングラガーズ(福岡)だ。キックオフは初日の18時20分。場所はケーズデンキスタジアムのメイン競技場。8チーム参加のため3つ勝てば頂点に立つ。
今回、水戸までの往復約1200キロはマイクロバスを使う。運転手は坪井と中島だ。
「子供たちや保護者と決めました。子供たちは前日入りを希望しました。その上に新幹線を使うのはお金がかかり過ぎます」
家庭の経済的負担を少なくする。ここにも指導者の努力はある。狙いはただひとつ、京都工学院と同じ深紅のジャージーを坂東の地でも鮮やかに浮かび上がらせることだ。