パシフィック・ネーションズカップの日本代表対トンガ代表戦を前に、両国の「国歌」が流れる。
最初は『トンガ諸島の王の歌』で、次が『君が代』。ふたつの演奏が終わると、スタンドオフで先発の田村優は右隣に立つ仲間の異変に気付く。フルバックのウィリアム・トゥポウだ。
ニュージーランド・オークランド出身のトゥポウは、トンガ人の両親のもとに生まれていた。国歌斉唱の折はいつも気持ちが昂るというが、この日はさらに特別な感情が湧きあがったという。田村は黙って、トゥポウの肩を、ぽん、と叩いた。
8月3日、大阪・東大阪市花園ラグビー場であったこのワンシーンを、田村はこう述懐する。
「(トゥポウが)震えてたので。…僕はそういう経験をすることはこの先もないですし、彼が何を思っていたかわからなかったですけど…大丈夫かな、と思って」
トゥポウのさらに右隣では、ナンバーエイトのアマナキ・レレイ・マフィがスタンドに焦点を当てて涙を流していた。出身国のトンガでは年代別代表に選出も、花園大入学のために来日すると母国協会からのアプローチは消えた。夢だったトンガ代表入りへのラブコールが届いたのは、NTTコムの選手として活躍して日本代表から声がかかった直後のことだった。
「花園大学の監督、奥さんも応援に来ていました。国歌の時に目が合って、ちょっと、涙が出ました」
当時の感情を改めて話した際、もうひとつ、素直な思いを吐露したものだ。
「トンガの国歌の時、頭のなかで歌っていましたね。その気持ち、忘れないです」
非日常的なスポーツの現場における「国歌斉唱」を見るなら、その口元よりも心を見ようとするほうがよほど深い感慨を得られる。
ラグビーワールドカップ日本大会に出る日本代表は、メンバーが固まるより1か月以上前に宮崎県日向市の大御神社へ参拝。歌詞に出てくるさざれ石を見学し、小さな石が長い年月をかけて大きな岩の塊になったという歴史に触れた。
今度の日本大会に挑む海外出身者の数は、ワールドカップ日本代表史上最大の15名。現体制が「国歌」で戦意を高めるのにはかような手順が不可欠で、歴史的3勝を挙げた前回大会時のメンバーも『君が代』の練習に時間を割いている。
日本大会で初めてワールドカップに出る南アフリカ出身のフランカー、ピーター・ラブスカフニは、さざれ石を見て戦う大義を見つめ直したという。他国の逸話に、自軍のスタンスを重ね合わせる。
「日本国歌は私たちのやって来たことを含め、すべてを表している。小さな石が大きな岩になって、大きな役割を果たす。それは、まさに私たちがやろうとしていることです」
スポーツの代表戦において、「国歌」の時の顔つきや声色がチームの団結力の指標になっているのは確か。歴代もしくは現役のジャパン戦士が言い残してきた「勝つなら君が代を皆で…」という意志は、間違いなく尊重されるべきだ。市民が世界大会の開催国が出場国の「国歌」を覚え、来日した選手やファンを歓待するのも素敵な態度だ。
一方、そもそも人には歌を歌う自由も歌わない自由も、もちろん頭のなかだけで歌う自由もある。定められた「国歌」を国歌と認める自由も、認めない自由もまた。ちなみに日本で『君が代』が「国歌」と定められたのは、「国旗及び国歌に関する法律」が成立した1999年。歌ができてからずいぶんと経ってからのことだ。当時は『君が代』が戦時中の意思決定者を讃える内容と見られたことから、法案可決に反対する勢力もゼロではなかった。
話の流れから「国歌」への愛着と「愛国心」との関連性が気になる読者もおられるだろうが、愛の形が十人十色であるのは普遍的な真実だ。例えば、ぶっきらぼうながらクラス思いの青年が卒業式で校歌を歌わない(あるいは式に出席しない)という出来事は、決して珍しいことではなかったろう。
その市民が日本という国を愛しているのか、その選手が日本の代表チームのために真剣に戦おうとしているのかは、口元を覗き込んだだけではわかるはずもない。少なくとも、国を代表するトップアスリートが意を決しておこなう「国歌斉唱」を、施政者が市民へ強要するのはやや乱暴かもしれない。
いずれにせよ、これから始まる大舞台でラグビーマンを見るなら、口元の動きよりも心のありようを見たい。一見するとよくわからない、他者が決して侵すことのできない、心のありようだ。
9月6日、埼玉・熊谷ラグビー場。南アフリカ代表戦前のラブスカフニは、鋭い眼光をぐらつかせずに『君が代』を歌った。