監督の竹田寛行は当時を忘れない。
菅原貴人が大舞台でトライを逃した姿を。
真面目で素直な高1の教え子は、一瞬パニックに陥った。
年明けの花園ラグビー場。全国決勝進出をかけ、御所実は茗溪学園と戦っていた。
「抜けるはずのないところで抜けてしまって、本人はびっくりしたと思います。どうしてええのか分からず、止まってしまいました」
自陣ゴール前のラックサイドから50メートルほど走って捕捉される。
菅原は前半26分に交替出場していた。
「自分にとっては初めての花園で、インゴールまでが遠く感じました」
途方に暮れた16歳のカバーを皆がする。結果的にトライラインを越えたが、グラウンドの外から竹田に怒られる。
「タカ! こっちに来い!」
その大きな声は、大会後に販売された記録DVDにも残っていた。新聞にはタックルを受けた写真が載った。
「笑い話です」
菅原は表情を緩める。
92回大会(2012年度)の準決勝は菅原のミスの影響はなく、48−17の大差になる。決勝では14−17と常翔学園に3点差で惜敗した。
3年時の94回大会(2014年度)でも決勝に進出。5−57と東福岡に敗れた。
頂点には届かなかったが、菅原は御所実の71年の部史で、全国準優勝3回のうち、2回に貢献したことになる。
あの大混乱から7年近くが過ぎた。今は近鉄ライナーズにいる。平常心で戦える。
6月末に始まったトップリーグのカップ戦では、新人ながらフランカーとして5試合すべてに先発した。
「フランカーの運動量とロックの力強さを求められていると思います。リザーブに入れたらいいなあ、くらいに思っていたのですが、スタートに選ばれてびっくりしました」
185センチ、105キロの体躯はウエイトトレで磨き上げた。ベンチプレスで175キロ、スクワットは210キロをマークする。
「ウエイトトレは好きです。やったらやっただけ結果が出ます。筋肉は裏切りません」
その突進には威力がある。
吉村太一は言う。
「ボールキャリアーとして能力が特に高いです。トライの嗅覚もいいですね」
チームディレクターとして現場の副責任者にあたる44歳は菅原を高く評価する。
近鉄は下部のトップチャレンジ所属ながら、カップ戦の予選プールDではNECに56−19、リコーに38−26とトップリーグチームから白星を奪った。優勝する神戸製鋼にも14−22と食い下がり、2位の座を確保する。
菅原の躍動は近鉄の好調さの証だ。
その入社に尽力したのは、帝京大の先輩でもあるゼネラルマネージャーの飯泉景弘である。現場の責任者は振り返る。
「3年の春季大会に先発しました。それを見て、すぐ声をかけに行きました」
2017年4月29日、岐阜であった大東大戦である。大学選手権8連覇中の深紅はモスグリーンを35−26で破った。
「僕が思うに、岩出先生は取り組みがよく、賢い選手を使うような気がするんです。だから、菅原が3年から試合に出られた、ということはそういう部分がしっかりしているんだろうなあと考えました」
飯泉の前任は採用。監督の岩出雅之と接する中で、その嗜好を探り、判断材料にする。
菅原はその夏、色よい返事をした。
「僕は関西の人間なので、近鉄というチームや会社は特別な存在感がありました」
学歴の頭に乗るのは常に御所。その後ろに小、中、実とついた。出身の街まで近鉄電車が走っている。
菅原は飯泉の予想通りだった。
「手を抜かない、ということが体に染みついています」
ゴールから22メートルラインまでのダッシュの繰り返しも常に全力。疲れが来ても顔を地面に向けない。上げたままだ。
「帝京では、人として成長させてもらえました。率先してやっていく、だとか、周囲との協力だとかを学びました」
今年1月2日、フランカーで先発した第55回大学選手権準決勝は、7−29で天理大に敗れた。10連覇はならなかったが、生きる上で大切なものを4年間で得る。
卒業後、近鉄グループホールディングスの総合職として入社した。鉄道、百貨店、不動産など日本有数の巨大グループを率いる社長になる可能性を秘める。同期は30人ほどだ。
「五十音順で前は東大、後ろは京大です」
7月中旬に研修が終わると近鉄リテーリングに配属された。ファミリーマートで働く。
京都線と奈良線が合流するターミナル・大和西大寺の構内で接客、レジ打ち、品出し、発注などをこなし、仕事の基本を覚える。
「色々なお客さんが来るので飽きません」
午前中は業務。午後から練習。住まいは東花園にあるラグビー部の一志寮である。
「社会人になったので、次のラグビーのグレードはありません。現役としてできる時間は限られている。だから全力でやります」
競技を始めたのは御所中入学から。楕円球との関りは11年目に入る。
「今年の目標はリーグ優勝です。入替戦がないので、明確な目標はこれですね」
近鉄は結束を固めるため、8月28日から1泊2日で富士山に登った。国内最高3776メートルの初征服を日本一に見立てた。現実にするには、トップリーグへの復帰、そしてそこで勝ち続けなければならない。
道のりは長い。
しかし、若い菅原には、あふれんばかりの未来がある。