たぶん、しらっと、フロントローの並びの真ん中に帰ってくるのでは。そう思った。いまも思う。東芝ブレイブルーパスのあの「2番」である。湯原祐希。本年4月、チームのアナウンスがあった。「アシスタントコーチに就任」。ただし正式な現役引退ではない。
先の8月3日。東芝の元日本代表、ユーティリティーFWの望月雄太、SHの吉田朋生両氏とともに、東京・調布駅前で、パシフィック・ネーションズカップのジャパンートンガのパブリックビューイングの進行解説をした。あれは打ち合わせのときだったか、試合中か、ともかく望月さんがこう言った。
「湯原、スクラムはいまでもいちばん強いですよ」
そうだろうな。35歳。円熟も円熟。自由自在の境地に達しているのではあるまいか。コーチングとは自分をコーチすることでもあるので、あれだけのスクラムの駆け引きの達人が、さらに、アートにしてサイエンスにしてレスリングの秘訣、奥義をつかんだ可能性は否定できない。
この職人にして名人の存在をワールドカップが近づいたのであらためて強く認識した。4年前の大会の「隠れた英雄」、それが湯原祐希(現役登録の可能性があるので敬称略で)なのだから。スコッドにあって、当時は東芝の廣瀬俊朗とともに出場機会はなかった。南アフリカ代表スプリングボクスを破る「スポーツ史上のアップセット(番狂わせ)」。さっそく子どものまねした五郎丸歩に限らず、ほとんど1日にして、チームそのものがヒーローとなった。廣瀬前キャプテンには、縁の下のリーダーのイメージ(もちろん実相でもある)がともない、複数ポジションをこなすこともあって、あえて出番なし、というストーリーは、当人の心情とは別のところで、成立しえた。
しかし、湯原祐希はあくまでも「第3のフッカー」である。無論、見る人は見ていたし、なにより同僚の評価は揺るがなかったが、称賛のジャパンにあって静かな存在であったのは確かだ。なにより本人は、ひとりの思慮深いラグビー選手としてブライトンで、グロスターで、ミルトンキーズで、芝の上に立ち、かがみ、スクラムを制御したかっただろう。「チームとしてはそれでよかった」と述べては冷たい。でも、しかし、だが、「チームとしてはそれでよかった」とも思うのである。
よくスクラムを理解し、理解に基づき実践できて、レフェリーとのコミニュケーションを成立させ、ラインアウトのスロウはたいがいまっすぐ伸びて、フィールドの外では愉快なチームマンであるような個性が、負傷やらなにやら緊急事態が発生した際、ゲーム当日のブレザーやスーツとついにおさらばして、ジャージィをまとう。突然の昇格に焦るわけでなく、満を持す気負いもなく、自然体で実力を存分に発揮する。チームとしては悪くない。
たぶん、素晴らしい先発フッカーが「第3の男」には不向きという例は世界中にあるだろう。優れた「第3の男」が先発として光を放つ例もきっとある。湯原祐希である。
さあワールドカップ。ジャパンの最終メンバー発表の前なので、いわば希望を記したい。「隠れた英雄」となりうる人格をぜひ。ここまで主要テストマッチの出場機会にさして恵まれない者でも、フィールドの「外」でのリーダーシップを有する人間ならワールドカップの場に必要だ。それは「内」を託されたリーチマイケルの負担を軽くすることにもなる。ここという試合、たとえばサモアのような相手には「この人で」と出場機会を得るのが最良だろうが、仮に、4年前の湯原祐希の立場になっても、ラグビーと人間への洞察の深いリーダーが加われば力になる。