なだらかなおうとつを描く緑の九重を北にあおぐ。大分を代表する山並みだ。
その曲線が下りきった場所に久住がある。読みは同じ「くじゅう」だ。
標高は約600メートル。大阪では花園ラグビー場の東にある生駒山(642メートル)と同じくらいだ。
鷲司英彰(わしづか・えいしょう)は、生まれ育ったこの地に「久住スポーツ研修センター」を作った。そして、高校のラグビー合宿を誘致。成功をさせた。
「うれしいなあ、と思います。みなさんのおかげです」
還暦を2つ越した男は、あめ色に日焼けした顔をほころばせた。
鷲司は今、色々な肩書を併せ持つ。
地元・竹田(たけた)の市会議員、浄土真宗の専精寺の17代目住職。さらには日本文理大や付属高を持つ学園のラグビー顧問だ。
鷲司が研修センターの運営会社を立ち上げたのは1994年。翌年、原野だった場所に、天然芝グラウンドが2面、管理棟と合宿棟の2つの建物が出来上がった。
農林水産省や県の補助金事業ではあるが、個人的な借入も銀行などからする。
「最初は、草刈りや掃除など全部ひとりでやりました」
完成初年度に来てくれたのは大分雄城台(おぎのだい)。鷲司から二代目所長を譲り受けた後藤慶多(けいた)の母校である。
やがて、隣県の東福岡も入る。今では冬の全国優勝6回、歴代4位の記録を持つチームもここで毎年、選手を鍛え上げてきた。
世紀が変わって、大阪から東海大仰星も加わった。鷲司は人を介して、当時の監督だった土井崇司を知る。
「スリッパをそろえる、とか、掃除をするとか、そんなことを自主的にやってくれました。そのうちに、風紀がよくなりました」
今、仰星の監督は湯浅大智に変わる。土井は東海大相模の総監督になったが、「久住行き」が途切れることはない。
仰星は東福岡に次ぐ歴代5位、冬の全国優勝5回の記録を作っている。
合宿のピークは例年2回ある。
今年の前期は7月26日〜8月3日の9日間。後期は8月8日〜13日の6日間だ。
前期は長野・菅平での二次合宿前の全国大会上位常連校が集中する。東福岡、仰星以外には御所実、京都成章、石見智翠館、尾道などが調整をする。
両方を合わせれば、今年、この地を訪れるのは、イングランドからの1校を含めたのべ42の学校とチームだ。関東からは流経大柏と国体のオール茨城が参加している。
強豪校のトップチームは朝6時前から始まるタックルなしの試合形式練習をこなす。その後、二軍以下や他の学校は、2面のグラウンドを使って、25分ほどの1本勝負の試合を夕方まで行う。
ここに来れば、強豪校のチーム作りや練習を間近で見られる。試合も数多く組める。メリットは多いため、大分市内からは車で1時間ほどかかるにもかかわらず参加希望は多い。350人近く収容可能な合宿棟は飽和状態。あふれた者は周囲の施設に分宿する。
鷲司は大分舞鶴から成蹊大に進んだ。大学で本格的にラグビーを始める。ポジションはバックス。今で言うユーティリティーだった。
商社系の会社員を5年、地元に戻って公務員を4年つとめ、研修センターを立ち上げた。
以前から、大分舞鶴などで監督経験のある木下應韶(まさつぐ)に師事。県内の由布院や湯平(ゆのひら)で合宿を手伝っていた。
湯平のグラウンドが地崩れを起こしたこともあり、代替地として久住に目をつけた。
「この辺りは土地が広い。グラウンドができないか。作れば、ラグビーには特有の結束の固さがある。そこを外さなければ、なんとかなるんじゃあないだろうか」
企業で働いた履歴は利を見る目も養う。
盛況になる中で、感じたことがある。100人の集客を目標にしたイベントにたとえる。
「最初、10人しか集まらなかったら、多くの人は来年、残りの90人を集めようとする。なぜ、最初の10人を大切にしないのか。彼らに満足感を持ってもらうように動けば、自然とその輪は広がっていくと思うのですが…」
何をしに来たのか、どうしたいのか、相手の立場で考える。独善的にはならない。
鷲司は夏の合宿期間中の1か月、車で10分かからない場所にある自宅には帰らない。相談役として、この研修センターで暮らす。
指導者が泊まる研修棟の食堂では毎晩、ミーティングがある。アルコールがつく。
「ビールと焼酎で5杯くらいしか飲みません。ただしジョッキでですけど」
色々な人間と語らうことは楽しい。
ラグビーのよさは「思いやり」と言う。
「カバーですね。ディフェンスで抜かれることもある。でも、足が遅いからおまえはダメじゃなく、カバーすればいいんじゃないか、というところにいきつく。それがいい」
宗教家としても共鳴できる部分である。
鷲司の子供は男3人。末っ子の仁(じん)は東海大仰星から慶應大に進んだ。現在4年生。学生コーチをつとめている。
楕円球との縁は、研修センター同様、これからもますます発展していくに違いない。