部員も顧問も新しいスタートを切った。
西宮南高校。通称「シャーナン」。
この兵庫の県立校は、高校野球の聖地・甲子園から南東へ自転車で10分ほど。阪神間のニュータウン・武庫川団地の外れにある。西には大阪湾が迫る。潮風がそよぐ。
ラグビー部ができたのは学校創立と同じ1975年(昭和50)。高校ラグビーの聖地には一度行った。12年後の67回大会だった。
その部に今年4月、新入生と顧問が入った。1か月前、3年生3人が卒業し、部員数は0。一瞬の休部状態から解放される。
唯一の1年生・富井慧太はラグビーを語る。
「みんなでできるから楽しいです。話をしながらやれるのもいいです」
157センチ、58キロ。小柄なフランカーは小5から西宮ラグビー少年団に入った。
「それまではなにもやっていませんでした。5年間でこのスポーツが好きになりました」
時期を同じくして、保健・体育教員の山瀬順行(まさゆき)が赴任する。
昨年4月、60歳を迎えた。母校でもある神戸を定年で去り、再任用を選んだ。
「0と1人とでは全然違う。富井くんのおかげで今もラグビーに関われます」
この雇用形態は1年ごとの更新で、希望すれば5年続く。山瀬は今、週16時間の授業を持ち、2年生の担任も務めている。
県の高校ラグビーは今年、危機的な状況を迎えている。競技人口が前年の約1100人から800人に急降下した。
西宮南は現在、県立西宮、西宮甲山、芦屋学園の計4校で合同チームを作っているが、富井はチームでも唯一の新人である。
経験者は報徳学園や関西学院など全国舞台が現実的な強豪私立に集中する。県外に流れる者もいる。この競技自体の中学生への認知不足も否めない。怖さや痛さもついて回る。
西宮南のような花園出場校でも部員が1人という現状。ワールドカップ開催の恩恵はこの地域の公立には届いていない。
その中で、富井と山瀬は出会った。
山瀬はラグビー出身ではない。神戸、京都教育大では野球部にいた。大学卒業の1981年、赴任した県立芦屋で転向する。
「校長に、野球の顧問がいっぱいだから見てやってくれ、と言われました」
父・清は神戸大のラグビー部だった。楕円球への抵抗はなかった。
「はまりました。こんなスポーツはない。合法的に体をぶつけられる。なのに戦いのあとはお互いに讃え合うのもよかった」
西宮南が全国出場を決めた67回大会県予選で山瀬率いる県立芦屋は難敵になる。
8強戦で報徳学園に18−18の抽選勝ち。4強戦で6−10と4点差で競り負けた。西宮南は決勝で星陵を23−0と圧倒する。
「この学校に来て、めぐり合わせを感じます」
当時、県立芦屋のフルバックは2年生の曽我部匡史。立命館大からトヨタ自動車に進み、ロペティ・オト、仙波優(故人)ら日本代表選手たちとバックスリーを形成する。1990年代の濃緑ジャージーの中心を担った。
山瀬の教員生活は県立芦屋で11年、県立西宮で18年、神戸で9年だった。
昨年12月、埼玉・熊谷まで筑波大の応援に行く。帝京大戦で2人の教え子、プロップの西川優斗、フランカーの弘津陽介が交替出場した。10−66と試合には負けてしまったものの、よろこびは大きかった。
「幸せでした」
弘津の父・英司は神戸製鋼などでフッカーとして活躍。日本代表キャップ1を持つ。
西宮南には以前から顧問がいる。
OBでもある中井健二だ。教科は同じ。44歳の元ナンバーエイトは尊敬を口にする
「山瀬先生は僕を立ててくれます。生徒との接し方というか距離感が絶妙ですね。言う時と見守る時の使い分けがすごいです」
中井は天理大で八ツ橋修身の1学年下だった。日本代表キャップ12を持つフルバックは今、天理大のバックスコーチだ。
富井の入部に中井は目を細める。
「ひとりなんで、ラグビーを楽しめる技術を身に着けてもらって、社会で活躍できる立ち居振る舞いを覚えてくれたらいいと思います。大切に育ててあげたいです」
15歳は、3年後の未来予想図を描く。
「自分で考えてしゃべるのがあまり得意ではありません。そういうことがしっかりとできるようになりたいです。プレーでは踏み込んで前に出られるようにしたいです」
合同練習は土、日の週末。平日は顧問とマンツーマンでパスやタックルに励んでいる。
山瀬は言う。
「富井くんを軸にして、この名門チームを復活させたいですね」
西宮南は67回大会で花園1勝を挙げた。
1回戦で作新学院を17−11で破る。2回戦は布施工に3−14で敗北。翌年から2年連続で県予選決勝に進出した。報徳学園の前に15-22、3-10で敗れ去ったものの、44年の部史の中でハイライトの時代だった。
ジャージーは黒。胸には「南」を示すエムのローマ字が入る。
部のOBには俳優の松尾諭(さとる)、アニメーション監督の藤田陽一らがいる。
シンガーソングライターのあいみょんもこの学校に籍を置いた。
名門公立を再興させるために、ひとりでも多くの部員を集め、まずは15人制に出場したい。そこから白星を重ねる。道のりは遠いが、チームは今も存続している。
人生の酸いも甘いもかみ分けた山瀬、さらに中井、そして富井がその先駆けとなりたい。