ラグビーリパブリック

【コラム】俺のワールドカップ

2019.07.19
急遽「調達」した青山公園で練習が始まる(撮影:向 風見也)

急遽「調達」した青山公園で練習が始まる(撮影:向 風見也)

 連日、雨が降っていた。
 
<使用禁止>
 
 東京は真田堀のグラウンドの入口に伝言があったのは、2019年7月13日。その文字を目視した上智大ラグビー部のリーダー陣の1人は、肩を落としてスマートフォンの無料通話アプリを起動させる。四谷キャンパスで待つ仲間へ、会場変更を告げる。
 
 主要活動先の真田堀グラウンドは土が敷かれていて水はけに難があり、悪天候が続くと閉鎖されがち。大学が自治体と共同で管理する土地とあって、簡単に人工芝は張れない。ラグビー部はこの午後、使用許可のいらない青山公園で汗を流すことにした。
 
 1954年創部の上智大ラグビー部は、加盟する関東大学対抗戦Bで専用グラウンドを持たない唯一の集団だ。平日夕方の練習に際しても、真田堀グラウンドを使えるか気を揉んだり、休日だと使いづらい小石川運動場・スポーツひろばの人工芝グラウンドを使用できるよう抽選会に挑んだりせねばならない。

「こういうことになったけど、いい時間にしよう」

 13日の午後。キャンパス内の体育会学生が集まるエリアで、OBの北真樹監督は訓示する。ここから指導陣とけが人とマネージャー以外は、青山公園へ走って向かう。サッカーをする子どもたちと場所を分け合う。
 
 チームは2015年に0勝7敗で最下位に終わったことなどを受け、環境を言い訳にせぬ文化を本気で築き上げようとしている。2001年に着任した週末コーチの北監督も、どうにか集めたOB会費を指導体制の強化に活用。在籍していたセコムラグビー部の山賀敦之副部長らの紹介で、前年度からは元パナソニックの大澤雅之コーチを招いている。
 
 ゴールポストもなく、足元に石ころが転がる青山公園でも、大澤コーチはパス回しのドリルを手際よく進める。北監督曰く、「青山公園の石、これまで5000個は隅のほうへ投げていますよ」。いまのチーム目標は、打倒東大、打倒一橋大。スポーツ推薦がない受験難関校同士のバトルは制したいという、矜持の現れだ。

「正直、大学1年の頃はもっとうまい人たちとラグビーをしたいと思っていました。でも2年になった時、これじゃよくないと思いました。ラグビーがうまくなるよりも人として成長することに重きを置いて、周りをモチベートするには自分がどう行動すべきかを考えています」

 セッションを打ち上げてこう話すのは、法学部地球環境法学科4年の菅原大幹。選手42人、マネージャー18名の先頭に立つ2019年度の主将で、センターを務める。
 
 出身の神奈川・桐蔭学園高では3年時に全国高校ラグビー大会で準優勝していて、その頃のチームメイトだった齋藤直人と栗原由太はそれぞれ早大、慶大の主将になっている。下級生の頃に後ろ向きな考えに陥ったのも自然だったが、いまはいまで自然と前向きな決意を明かす。就職活動は来年おこなうという。

「自分たちでミーティングの資料を作ったり、グラウンドを取ったり。この組織をどうよくするかを選手が考えるのは上智大ならでは。考えて動く能力が培えます」

 菅原とともにセンターに入る副将の中矢健太は、兵庫・甲南高を経て現在は文学部新聞学科に通う。ゼミでは2015年のワールドカップイングランド大会後の日本のラグビー報道について調査し、卒業後は関西のテレビ局に入社しそうだ。
 
 最近は故障のため松葉杖生活を強いられるが、青山公園へ客人を迎えれば「あの緑色のシャツを着ている奴は…」「あそこでいまキックをした奴は…」と、多彩なストーリーを持った仲間を嬉々として紹介する。日本代表のリーチ マイケルキャプテンが38歳のトンプソン ルークや若きリーダー候補の姫野和樹を誇るのと同じ構図だ。
 
 経済学部経営学科1年の清水崇之は、もとは静岡サレジオ高の陸上部員。中学時代に親しんだサッカーを続けるつもりが、新歓時期に出会ったラグビー部の先輩たちの優しさに惚れた。
 
 入部間もなく経験者のタックルで吹っ飛ばされたが、その様子が映った動画を無料通話アプリのトップ画面に組み込んだ。負けじ魂を消さないためだ。

「いつか逆になりたいなと。自分はいま部内で一番、体重が軽い。トレーニングしなきゃいけない」
 
 東京・桐朋高出身で2年の台直也は、浪人時代に志望先を難関大の法学部に絞り、上智大の法学部法律学科へ入学していた。7月21日の参議院選挙を控え「この政党はここがいいけどここが…みたいなのばっかりで」と頭を悩ませるのだが、大学でサッカーからラグビーへ転じたわけはシンプルに語る。

「ラグビー部の人は本当にいい人で、器の大きさが違う。皆ラグビー愛が強いのに、ラグビーばかりしているわけじゃない」

 ポジションは清水と同じ、仕留め役のウイング。昨季オフに潰瘍性大腸炎を患いながらも競技を辞めなかったのは、初心者の頃から現主将の菅原に気にかけてもらったことと無縁ではなかろう。青山公園に行った日は、菅原からもらった桐蔭学園高の公式戦用の短パンを履いていた。

「ラグビーって、きついなかで人とコミュニケーションを取らなきゃいけないスポーツ。それができる人たちって、相当に強いメンタルを持った人たちだと思います。自分が辛い時に他の人に優しくできる人が、この部活には多い」
 
 理工学部機能創造理工の宮尾太郎は、大学院2年目ながら後輩の求めに応じてラグビー部に残っている。理系学生は実験などに時間を割かれるとあって、「学部の時以上に練習に出づらくなるけどいい?」と念を押したものだ。

宮尾太郎。大学院では自動運転の研究に没頭(撮影:向 風見也)

<宮尾さん、今週の試合、出られます?>

<メンバーには入っているので、頑張ってください>

 スマートフォンに届くメッセージを見れば、頼られているのがわかる。気持ちがいい。

 ラグビーが好きだった父の泰助さんの仕事の都合で小2から小6までバンコクで過ごし、受験がひと段落ついた頃に父の働いていたフィリピンの日本人ラグビーチームへ混ざる。

「人がいないからと試合に出ることになって、ボールを持って走っただけで上手だねと言われ、そのチームの代表をしていた方が上智大出身で…」
 
 細身の初心者だった頃はウイングだったが、筋肉のついた4年時にはタフなロックへ転じ、同級生が去ってからは最前列のプロップを任されている。

 弟の柾紀が後輩となった今年は、真剣に楕円球と向き合う最後の年。くしくもラグビーワールドカップ日本大会の開催年でもある。部内で「オジキ」と呼ばれるいつかのラグビー初心者は、世界的祭典への期待を口にする。

「日本中でラグビーの認知度が上がれば。僕のような人が、どんどんラグビーを始めたいと思うようになってくれたらいいですね」

 日本代表がワールドカップでロシア代表とぶつかる12日前、上智大は東大駒場グラウンドで東大との対抗戦初戦を迎える。上智大にとってのワールドカップ初戦は、9月8日だ。