25歳と19歳。
7月9日の朝、ふたりのフルバックと会った。
福岡市、地下鉄・東比恵駅近く。東福岡高校の校門前にサクラのジャージーを着た男が立っていた。
藤田慶和。
日本代表キャップ31を持つ。ワールドカップ2015年大会の舞台にも立った。セブンズ日本代表として活躍中だ。
この日が教育実習の最終日だった。
「ワールドカップも近づいてきた。大会PRの意味も込めてやろう」
同校ラグビー部を指導する藤田雄一郎監督の提案もあり、朝から「校門指導」にジャージー姿で立った。
登校してきた生徒たちに「おはよう」と声をかける。近隣住民、通行者にも挨拶し、行き交う車の交通整理も。
最初こそ照れくさそうだったが、すぐに自分の役目に徹した。途中、その姿を見つけた一般の方からの写真撮影希望にも快く対応し、PR面でも成功だった。
3週間の教育実習(保健体育)は、途中でセブンズ代表合宿のために抜けた。しかし、その活動を終えた後に復帰。そんな動きだったから、予定より遅れて全日程を消化した。
授業が終われば、グラウンドに出て、後輩たちの指導にもあたった。
「ちょうどセブンズ(の全国大会に向けての準備)をやっていたので、アドバイスをしました」
教員免許を取得するのは、将来の選択肢を増やし、自身の可能性を広げるためだ。
「将来、指導者になる気持ちが出てくるかもしれないので。今回、生徒と触れ合う中で、どう声をかけるのか、どんな言葉がいいのか、と考える場面もありました。すごくいい時間を過ごせました」
状況はどれだけ困難でも、「2019年のワールドカップに出る」と強い気持ちを秘める。「いつ声がかかっても対応できるようにしているつもりです」と迷いなく言い切った。
「セブンズにも100パーセントの気持ちで取り組んでいます。そうやって自分を成長させることが、もしものときの準備にもなる。ワールドカップでの日本代表の全試合が終わるまで、その気持ちは変わりません」
教育実習中の指導の現場を見た藤田監督が言う。
「堂々としていましたよ。子どもたちは、自信のある人間の言葉を受け入れるし、ついていくものです」
実習が終わっても、後輩たちは偉大な先輩の行動を追い、言動に注目するだろう。
自分を信じる強い気持ち。目標に迷いなく突き進むその姿。影響を与え続ける日々は続く。
東福岡高校を離れて15分後。福岡空港で19歳のフルバックに会った。
田口弘煕(ひろき)。
フランスの最高峰リーグ、トップ14の下部にあたるPRO D2に所属するヴァンヌのU22チームでプレーしている。
故郷・福岡で中学校を卒業し、単身で渡仏して3年。異国の地でたくましく生きている。
田口の目が海外に向いたのは7歳のとき、2007年だった。
同年のワールドカップで3位に躍進したアルゼンチン代表のSO、ファン・マルティン・エルナンデスに憧れ、父・辰二さんに「将来はアルゼンチン代表になりたい」と言った。
5歳のとき、父がコーチを務めていた平尾ウイング(ラグビースクール)に入った。その後、城南スポーツクラブで中学までプレーを続ける。中学3年時はシャルマンRFC(合同チーム)で試合にエントリーし、そこでの活躍が認められた。福岡県中学選抜の一員となり、全国ジュニア大会にも出場した。
選抜の仲間たちが東福岡など強豪校に進学するタイミングで、別の道を歩み始めた。
アルゼンチン代表になりたい思いは、「将来、プロのラグビー選手としてプレーしたい」に変化していた。「世界と戦いたい。だから、はやく体感したいと思いました。フランスのトップ14は南半球のトップ選手が目指す。だから、その人たちが向かうところに最初から行こう、と」
16歳で海を渡る。フランスのほぼ中央に位置するヴィシー(Vichy)に暮らし、クレルモン=フェラン大学の語学学校へ。現地のクラブチームでプレーした。
そこで1年過ごした後、クラブのアルゼンチン人コーチの紹介で英国寄り、ブルターニュ地方のヴァンヌ(Vannes)に移籍する。
ワンランク上のクラブに移り、いま、渡仏して3年が経ったところ。シーズンオフに帰郷している機会に、近況を伝えてくれた。
ヴァンヌに所属してから、試合給をもらえるようになった。1試合で50ユーロほど。日本円にして約6000円だ。2018-2019シーズンは約20試合のうち半分ほど出場した。
同じカテゴリーでプレーしている選手も、クラブとの関係はそれぞれだ。その中で、決して金額は多くないがプレーへの対価を手にできるのだから、クラブに必要とされている。
来季は試合ごとの支払いはなくなるが、月ごとのサラリーを手にできる見通しだ。ホームステイ先から独立し、一人暮らしも始める。「勝負の年」と思っている。
決して将来が明るいわけではない。トップチームはプロ選手を獲得し、補強する。これまではU22の中でも若い方だったが、新シーズンは下の選手からの突き上げもあるだろう。
一歩一歩と言っていたら、追い越されるし、振るいにかけられる。待遇が良くなることは、厳しさが増すことも意味する。
そんな状況にも、本人は「いま、目の前のことに全力を尽くすだけ」と迷いはない。もっと良い選手になって、プロ契約を勝ち取るレベルに到達したい。
「昨季のレビューがありました。自分自身とコーチたちが、それぞれの項目について評価し、比較するものです。パス、視野、ディフェンスについては、良い評価でした。そこは、自分とコーチの評価が一致していた。キックが課題です。来年はスタンドオフもやろう、と言われています」
日本と違う環境も、もう、それが当たり前となった。バスでの長時間移動。本気のチームビルディング。U22チームにはイングランド人もいる。上のカテゴリーにはフィジー人たちも。
「みんな、オンとオフの切り替えが凄い。試合になるとスイッチが入って目の色が変わる。僕ですか? たぶん同じようになっていると思います。そうでないとやっていけない」
プレーヤーとコーチの関係が対等なことにも慣れた。
「コーチの言ったことに対し、自分はそうは思わない、と言うこともある。それで関係がおかしくなることもありません」
スポーツコーチになるための専門学校にも通っている。中学時代は英語の成績は「2」だったけれど、フランス語を流暢に話す。すべてのことが自身の成長を呼び、世界と戦う選手への成長につながる。
2023年、フランスで開かれるワールドカップにサクラのジャージーを着て立ちたい。
人と違う道は、自分の信じる一本道。