ラグビーリパブリック

東芝で驚異の爆発力。ジョネ・ナイカブラ、日本代表入りへの滑走。

2019.06.30

トップリーグカップのNTTコム戦で駆ける東芝のジョネ・ナイカブラ(撮影:志賀由佳)

 2000年代に黄金期を築き復権を期す東芝には、フィジー出身のフィニッシャーがいる。加入2年目のジョネ・ナイカブラだ。ニュージーランドでプレーしたのち2014年に来日の25歳は、7人制、15人制の両方での日本代表入りを目指している。

 6月23日は東京・秩父宮ラグビー場で、トップリーグカップのプール戦第1節に先発。難しい判断を下してファンを驚かせたのは、7点リードで迎えた前半12分のことだった。

 まずはNTTコムのSOである小倉順平が、東芝防御網の裏へショートパントを蹴る。弧を描いた球は、自陣10メートルエリアでワンバウンド。落下地点周辺では、NTTコムの3選手が再獲得へ走る。

 東芝がピンチを招きかねないなか、ナイカブラは後方の立ち位置から一気に駆け上がる。浮き上がった球をさらうや、目の前の3選手をかわす。追っ手も振り切る。約60メートルの独走だ。

 トライ。スコアを12-0と広げた。

「しっかりボールを見て、最初はキャッチだけ(に集中すべきと)思っていた。その次は、前を見て(抜いた)」

 複雑な状況下で、冷静に作業の優先順位をつけたのだ。この午後は他の場面でも、持ち前の突破力を披露。後半12分頃には相手WTBの山田章仁との空中戦で競り負け「ちょっとミスコミュニケーション。僕ともう1人の味方選手で誰がキャッチするかの声(がなかった)」と反省も、鮮烈な印象を残したのは確かだ。

「試合のペースがめちゃ速かったから、ちょっと疲れた。(カップ戦では)自分のスキルを成長させる」

 身長177センチ、体重95キロ。ビティレブ島北西部のバで9人きょうだいの六男として生まれ、ナドローガという村の実家で幼少期を過ごす。

 ラグビーと出会ったのは7歳の時。2人の兄とともに近隣のブールアプライマリースクールの寮に住んでいた頃、仲間同士で「10対10くらい」に分かれて楕円球を追った。

 続いて入学のスワーミービビカナンダカレッジを経て、2012年からの2年間はニュージーランドのケルストンボーイズ高校でその名を刻んだ。同部15人制の主戦WTBとなりながら、毎年12月のナショナルコンダーセブンズトーナメントにも出て2013年には大会4連覇を達成した。7人制高校ニュージーランド代表にも選ばれた。

「周りはみんな大きかったけど、僕は足が速くてラッキーだった」

 ニュージーランド地域代表選手権に出るカウンティーズ・マヌカウからスカウトされるなか、選んだ進路は摂南大学への留学だった。日本でのビッグチャンスをつかむべく、再び海を渡ったのだ。

 現在は「あと1年」はかかりそうだという国籍取得を目指しながら、赤と白のジャージィを着るべく研鑽を積む。東京オリンピック時にチャンスをもらえるかは流動的だが、「機会が来るのを楽しみにしています」と話す。

「7人制をやるならもっとフィットネスをつける。15人制なら(課題は)ワークレート(を高める)」

 ナイカブラは続く29日のカップ戦プール第2節でも、前半25分にトライを挙げる活躍。ヤマハを24-21で下し、2連勝を決めた(静岡・エコパスタジアム)。

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