ラグビーリパブリック

藤山裕太朗と吉永純也。シドニーで挑む。

2019.06.27

藤山裕太朗(右)と吉永純也。シドニー大学クラブで上を目指している。(撮影/YASU TAKAHASHI)



 2年前の関東大学リーグ戦で戦った2人がシドニーで存在を示している。
 藤山裕太朗(大分舞鶴→東海大)と、吉永純也(東福岡→法政大)だ。当時、藤山は4年生、吉永は1年生で、ともに背番号「6」で先発出場していた。

 藤山はその後、大学選手権準決勝で、9連覇を達成する帝京大に敗れ大学ラグビーを終えた。卒業後は中国電力レッドレグリオンズで1シーズンプレーしたが、さらなる高いレベルでのラグビーを求め退団。1か月間の母校(東海大学)でのトレーニングを経て、今年4月にオーストラリアの名門、シドニー大学クラブ(以下、シドニーユニ)の門を叩いた。
 吉永は現在法政大学の3年生。東福岡高校では、2年生の時から高校日本代表に選出され、3年時には全国大会優勝。法政大学1年生の時にはU20日本代表のスコッドにも選出された。留学については、大学進学以前からの希望であったという。

 シドニーでの生活は充実している。平日は毎日、朝から語学学校へ通う。クラブでの練習外の時間にはアルバイトも。ラグビー以外でもチャレンジの連続で、多忙ながらも刺激的な日々を過ごしている。
 吉永はシーズン開幕前の3月にシドニーユニに合流したが、トライアルゲームで肩を傷めた。しばらくはチーム練習に参加できず、トレーナーの指導のもと、復帰を目指す日々が続いた。
 幸い大事には至らず、シーズン開幕後に合流した藤山とともに試合出場機会を得る。第4節のイーストウッド戦、4軍による「ヘンダーソン・カップ」(Henderson Cup)でピッチに立った。

 ブルー&ゴールドの伝統のジャージに袖を通し、オーストラリアでの公式戦デビューを飾ったその試合。2人はのちに3軍での先発出場も果たしたが、1軍は現役のワラビーズがリザーブになるレベルだ。2軍以下でもスーパーラグビーの選手が出場することもある。そんなクラブだから、4軍でも毎週試合に出られるとは限らない。
 ふたりは、日本では常に所属チームの中心選手として活躍してきた。プレータイムを思うように確保できない現在は厳しい環境も、新鮮だ。与えられたチャンスでいかに最大限のパフォーマンスを出せるか。これまでとは違った緊張感で毎回試合に臨む。

ボールキャリーをする藤山裕太朗。(撮影/YASU TAKAHASHI)




 6月15日(土)に行われた第11節は、ワラビーズのキャプテン、マイケル・フーパーも所属し、日本でもお馴染みのジョージ・スミス(現サントリーサンゴリアス-コーチ)、ワイクリフ・パールー(栗田ウォーターガッシュ)等もかつてプレーしていた強豪クラブ、マンリーとの対戦だった。
 ともに4軍での出場となり、この日は、同クラブに来てからHOでプレーしている藤山は先発。シドニーユニにおいて最も充実しているポジションのひとつであるFLの吉永は、リザーブからのスタートとなった。

 試合はマンリーが開始早々に2トライを先取。0-12とリードされたが、強力FWのシドニーユニがやがてセットプレーを制圧する。スクラムから相手ボールをターンオーバーする場面もあった。
 相手ゴール前のラインアウトからはモールで押し込み、自らのスローイングから最後尾についていた藤山がグラウンディング。安定したプレーでファイブポインターとなった。試合毎にチームの信頼を得ている。

 逆転に成功し、19-12で迎えた後半。シドニーユニは早々に吉永を投入した。
 フェーズを重ねて猛攻を仕掛けてくるマンリーの一連の攻撃にも屈せず、立て続けに相手を押し返すタックルを見せた吉永のプレーに会場がどよめく場面もあった。まさにフレッシュレッグの活躍を見せ、吉永はコーチの期待に応えた。

 試合はシドニーユニが40-12で勝った。統制の取れた素早いディフェンスで、その後相手に得点の隙を与えなかった。
 この日の対戦では、20歳以下によるコルツ(1〜3軍)を含め、2軍以下、計6チームでシドニーユニが勝利を収めた。
ただ1軍による対戦、「シュート・シールド」(Shute Shield)だけは、シドニーユニのホームながらマンリーが意地を見せた。27-21と大逆転勝利を飾った。

 シドニーのクラブラグビーのシーズンは、すでに後半戦へと折り返している。しかし、試合数はまだ日本のレギュラーシーズンほど残っている状況だ(全21戦)。
 この時期からはスーパーラグビーの選手達がクラブに戻り、下位グレードにおいてもチーム内競争が激化する。
 8月のファイナルシリーズまでのふたりのさらなる成長、そして日本への帰国後の活躍も楽しみだ。

(文/YASU TAKAHASHI)

吉永純也がタックルへ飛び出す。(撮影/YASU TAKAHASHI)