考え抜いた末の挑戦だ。
6月5日、東芝は9シーズン所属したPR浅原拓真が退社したことを発表した。浅原はすでに6月2日にサンウルブズの一員として南アフリカ、アルゼンチンのツアーに出発。6月22日から始まるトップリーグカップ戦の選手登録は5月31日が期限のため、カップ戦は「浪人」。遠征から帰国後、プロ選手として新たなチームを探すことになる。
浅原は日本代表キャップ12、サンウルブズも初年度から参加しており、今季も3月18日の合宿から参加。6月1日のブランビーズ戦時点で今季7試合に出場。サンウルブズキャップ41と、エドワード・カーク(キャップ40)を抜いて、最多キャップ保持者となった。
「サンウルブズでプロの選手と一緒にプレーするようになって、プロに興味を持つようになりました。自分の価値は何だろうと考えたときに、もっとラグビーを突き詰めたいと。日本代表やサンウルブズでプレーできるのは今年が最後かもしれない。そう考えると、踏み切るのは今だと」
スーパーラグビーで世界を知ったことで、よりプレーヤーとしての自分が客観的に見えてきた。
「サンウルブズでプレーしてみて、自分の足りないものが分かった。なんとかしてそれを変えたい気持ちが強くなりました」
4月に発売されたラグビーマガジンの部員名簿には、東芝の一員として載っている。新シーズンがスタートしてからの退社となっただけに、夜も寝られず悩んだという。
「でも考えれば考えるほど、プロになるのは今しかないと。やめるタイミングがずれてしまったので、会社には本当に迷惑をかけました。東芝には感謝の気持ちしかないです」
法大から入社当時、チームには大野均はじめ日本代表選手を多数要しており、同じポジションには櫻井寿貴、笠井建志がいた。
「そうそうたるスクラメイジャーで、“どうやって、この二人を抜いてやろうか”と。がむしゃらにやっていたら、運よく日本代表に選ばれて。東芝でいろいろな経験をさせていただいて、本当にありがたかった」
今年の9月で32歳。夫人に相談すると、「それもあなたの人生」と理解してくれた。将来的に故郷・山梨に戻りたい気持ちが芽生えたことも、背中を押した。
「この歳で飛び出すことは、普通なら考えられない。でもここで動かないと一生後悔すると。プロになるからにはラグビーをとことん突き詰めたい。時期的に移籍が難しいことは分かっています。トップリーグやトップチャレンジだけでなく、海外も含めて、どこへでも行く覚悟です」
サンウルブズで誰よりも世界と対峙してきた男は、スクラムを極めるために腹を括った。