ラグビーリパブリック

朝鮮大・くるみクラブが笑顔で定期交流戦再開

2019.05.06

約20年ぶりの定期戦に多くのラガーが集結(撮影:見明亨徳)

 集まった老若男女のみなさんは笑顔だった。5月5日、青空の下、朝鮮大グラウンドで「朝鮮大ラグビー部・くるみクラブ定期交流戦」が約20年ぶりにおこなわれた。
 両クラブは1972年に朝鮮大、全源治監督(ちょん・うぉんじ。2014年死去)と中央大の授業から創立したくるみクラブの桑原寛樹監督が知り合い交流戦を始めた。当時、朝大はリーグ戦などに加盟できず試合を求めていた。くるみは1965年に創立後、1971年には蔵王にクラブハウスを作るなどクラブラグビーの先頭を走っていた。この交流戦は1975年に正式に定期戦となった。以降、切磋琢磨しながら成長した。くるみにとって毎年12月の早明戦と同じ日に戦う定期戦は大学4年生の最後の試合と位置付けられた。

 2001年に朝大が関東大学リーグ戦に参加を果たすと、日程が合わず定期戦は自然となくなり練習試合などを続けてきた。そして2019年5月5日に再開を果たした。
 交流戦実行委員長の朝大OB黄徹秀(ふぁん・ちょるす)さんは話す。「朝大は関東リーグ戦で2部昇格(2010年度から)、3部降格(’12年度から)、そして昇格(’16年度から)を続けてきました。学生は遠征費用をアルバイトで稼ぎながらラグビーを続けている。2部で戦い続けることができる環境を少しでも整えてあげたい。OBを集結する機会としてくるみクラブとの交流戦を再開しようと企画しました。OBが参加できるレベルの対戦も組みました」。朝大卒業後、2011年から4シーズン、トップリーグの現・宗像サニックスブルースで過ごした長身LOは、穏やかに語った。

 くるみもこの呼びかけを快諾した。交流戦の初期を知る渥美広敏さんは「基本的に全部賛成。クラブの歴史を改めて認識し、特に学生たちに重要性を伝えました。去年、朝鮮大は50周年、くるみも2015年に50年を迎えた、お互い50年を越えて交流できる、今後も続けていきたいですね」

くるみ社会人(黄色ジャージー)が朝大若手OBを止め続けた(撮影:見明亨徳)

 交流戦は朝大若手OB対くるみ社会人からスタート。6月2日に東京都クラブ選手権デヴィジョン1で戦うことになる東京闘球団高麗とくるみの前哨戦ともなった。お互いブレークダウンで激しいファイトを繰り返した。くるみが31-17で制した。

オーバー40。朝大、金新日さんは2トライ。「今年8月31日に在日フェスを朝大で開催します」(撮影:見明亨徳)

 2戦目はオーバー40の戦い。定期戦を知るメンバーも入ったが、40歳を超えたばかりのOBが多く見えた朝大が43-5で勝利。

 最後は現役、朝大とくるみ学生がしのぎを削った。関東大学リーグ戦2部の下位と苦しい朝大。ここではレベルの違いを見せつけ前後半16トライ、98-12で圧倒した。圧巻は朝大FB金秀隆(きむ・すりゅん、4年)、前半12分から24分にボールをもらうと大きなストライド、ランスキルでくるみを置き去り、3連続トライを決めた。

朝大FB金秀隆はランスキルで3連続トライを奪う(撮影:見明亨徳)

 社会人チームも注目するFBは「今年は2部で3勝を目指します。きょうは相手のスペースは見えていました。アタックには自信があります。上のレベルでラグビーを続けるためにディフェンス面などでコンタクトスキルを身につけたい」と目を輝かせた。
 朝大ではCTB13番、くるみはLO4、5、FL6番のプレーヤーが躍動していた。

くるみ学生も最後の攻撃でトライを取り切った(撮影:見明亨徳)

 試合後のアフターマッチファンクション。朝大名物の焼肉を味わいながら交流を深め楽しい1日を終えた。

アフターマッチは朝大名物「焼き肉」(撮影:見明亨徳)
朝大選手の家族。「大阪、東京などの親が朝大応援で知り合いました」(撮影:見明亨徳)
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