ラグビーリパブリック

【コラム】未来につながる不安定

2019.05.06
5月3日、ブリスベン サンコープ・スタジアムでのレッズ戦。サンウルブズは5枚のカードを出され、26-32で敗れた(Getty Images)

5月3日、ブリスベン サンコープ・スタジアムでのレッズ戦。サンウルブズは5枚のカードを出され、26-32で敗れた(Getty Images)

◼️どのグレイドでも同世代のてっぺんを走ってきた才能が、突然、ナイーブの魔界に引き込まれる。人間らしい。

 大学の入試、科目と科目のあいだの休み時間、大教室の片隅で、持参の一冊に目を落としたら、ちょうどそこのページの内容と同じ問題が出て、合否予測を覆し、受かった人物を知っている。それは参考書ではなく大衆的な「歴史読み物」であった。医学博士取得の審査、今回は準備不足、難しいか、と覚悟したら、たまたま直前にある書物のごく一部を読むと、まるまる関連する質問があって合格した男も酒場の友だ。

 人生、そういう場合もある。しかし多くは逆ではあるまいか。

 知っているはずなのに忘れる。前回、首尾よく運んだことが、なぜか、次はからきしできない。目の覚めるような「勝利」と擦ったマッチがすぐ消えるみたいな「敗北」のめまぐるしい繰り返し。いっぺん乗れた自転車は永遠に乗りこなせる。その通り。でも、ペダルを漕いで切れたタイムに次は届かない。こちらも本当だ。

 サンウルブズ。曇りと小雨どころか快晴と土砂降りの連続。スーパーラグビー史におけるヘビー級のチーフス、ワラターズを敵地で破りながら、それぞれの次戦では同じようにできない(対ブルーズ、20-28。対レベルズ、15-42)。4月19日、秩父宮で、3年前のチャンピオン、ハリケーンズに23-29の惜敗。翌週、同じホームで、ハイランダーズには0-52の惨敗を喫する。試合ごとのスコア同様、ひとつのゲームの中にも「晴れたり降ったり」はなかなか消えない。会心のトライの直後、ふわっと気持ちの浮くようなエラーは発生する。5月3日、アウェーのレッズ戦は反則多発、26-32で落とした。  

 ナイーブ(naive)。日本語を探すより先に、こちらの響きが頭に浮かぶ。「経験不足。賢明でない」。あるいは「どっしりとせず」。そんな意味だろうか。そう。2019年の(北半球の)春、サンウルブズはいまだナイーブだ。強くなった。だから強くあり続ける難儀もよくわかる。

 そして少し安心する。ラグビーはラグビーなのだと。優れた「個」が並んでも、成功と失敗を歳月を経て細胞化できたクラブがそこにないと、チームはしたたかになれない。1996年に船出した「スーパーラグビー」にサンウルブズが加わったのは2016年、20年の若さは、そのまま「晴れたり降ったり」につながる。現在の「どっしりとせず」は、だれもが通る成熟の過程なのだ。それでいいのさ、と、言い切っては敗北に寛容すぎるだろうか。だが、少なくとも、そういうものだ、とは書きたい。

 近所の子どもたちの交流試合がある。地域の高校の花園予選1回戦がある。全国にテレビ中継される伝統の大学対抗戦がある。スーパーラグビーのひとつのゲームがある。そしてワールドカップのファイナルがある。いつも思う。どのレベル、どんなカテゴリーでも、そこにナイーブってやつは派生する。スーパーラグビーでは存分に力を見せつけた選手が、国代表の決戦では、うぶな少年に戻ってしまう。

 うっすら知っていた上記の事実を再確認できたのは「2011年のコリン・スレイド」を見たからだ。あの年のワールドカップ、ほとんどニュージーランドの国宝のようなダン・カーターが突然の負傷にさいなまれた。10月1日。翌日のカナダ戦に備え、主将の仕切る軽い調整練習が行われる。ダン・カーターは、全体のトレーニングを終えると、ボールを芝に立て、プレースキックの独習を始めた。「アウト・オブ・ザ・ブルー」。青天のへきれき。現地の新聞の表現を覚えている。世界最高のスタンドオフは、左足に手を添えて倒れた。左足鼠蹊部、付け根の腱のトラブル。翌朝、テレビのニュースは伝えた。「悲劇です。ダン・カーターのワールドカップが終わりました」。


   そこで代役の先発を託された若者、それが23歳のコリン・スレイドだった。そこまで同大会のジャパン戦などキャップは「8」。キック、パス、ラン、タックル、すべてに優れており、バックスリーなど複数ポジションをこなす。しかし、地元開催の世界の大舞台の主要なゲームで背番号10をまとう覚悟は、おそらく、まだなかった。

2011年RWC、イーデンパークでの準々決勝で負傷に倒れたコリン・スレード(Getty Images)

 およそ楕円球王国の男の子として最高級の身体能力、ラグビーの技術を有しているからここにいる。なのにカナダ戦の開始45秒前後、チャージをくらい失点。以後、自陣深くからのキックがライナーになったり、オフサイドで戻されたものの、あわや失トライのインターセプトを許し、抜いたあとに落球したり、どこか、おどおどしたような攻守はつきまとった。パスの腕が縮こまっている。準々決勝のアルゼンチン戦、落球寸前、ノータッチ、落球と続き、前半終盤に「鼠径部を痛めて」退く。大会は終わった。以後、追加招集組、代表からもれてスケートボードを楽しんでいたアーロン・クルーデン、ワカサギ釣りにいそしんでいたスティーブン・ドナルドに10番は託される。

 カーター負傷以降のスレイドは、現地で追った本稿筆者の独断では「イップス」にすら映った。どのグレイドでも同世代のてっぺんを走ってきた才能が、突然、ナイーブの魔界に引き込まれる。人間らしい。

 オールブラックスの一員がそうだったのだから、サンウルブズにひどく滑らかでない試合が訪れても不思議はない。それも歴史のパートなのである。チーム、いや、クラブもひとりの人間と同じなのだ。

 そしてラグビーの闘争史は語る。よちよち歩き→一歩進んで二歩退がる→よく勝つようになる→ここというところで星を落とす→栄冠→常勝。順を踏んだ進歩は負けを嫌悪する態度によってのみ実現する。ファンなら、サンウルブズが仮にだらしなく敗れたらブーイングを浴びせたって構わない。悔しがらぬ者に未来の凱歌は訪れない。たとえ、次のシーズンを最後にスーパーラグビーから外されようとも、そこまでの残り時間は「未来」なのだ。