古瀬健樹は高校生だ。
名は「かつき」と読む。
この4月、新3年生になる。
在籍は東福岡。だが、全国大会優勝6回、歴代4位を誇るラグビー部の一員ではない。
勉学に励む。いわゆる「帰宅部」だ。
時折、グラウンドの片隅に佇んでいる。
監督の藤田雄一郎から「フッルセー」と声がかかると走って中央に移動する。
手には笛が握られている。
レフリーとして、同級生や後輩たちのゲームや試合形式をコントロールしてゆく。
侮るなかれ。
久保修平は言う。
「とにかく上手です。まだ始めて2年くらいでしょう? それであれはすごいですよ」
日本人で初めてスーパーラグビーをジャッジした37歳は同郷・福岡の高校生を激賞する。久保は、古瀬にとって大槻卓とともに尊敬する最上のA級レフリーでもある。
判定してもらう側、ラグビー部主将、廣瀬雄也も断言する。
「一番うまいと思います。ひとつひとつの笛がはっきりしていて、自信を持っています。同級生とはとても思えません」
17歳以下日本代表を経験したセンターから出るのも賛辞だった。
そのホイッスルの響きにはキレがある。伸ばすところ、短いところに差をつける。目を閉じるとたしかに大人の音色だ。
身長は178センチ、体重は75キロ。堂々としたサイズに褐色の肌が溶け合い、精悍に映る。姿勢もまっすぐ。レフリーに必要な押し出しのよさがすでに備わっている。
廣瀬は福岡・宗像のグローバルアリーナでの古瀬を特によく覚えている。
札幌山の手と試合をした。相手のスタンドオフは外国人留学生だった。
「彼はまだ日本語の理解が進んでいませんでした。コミュニケーションのため、通訳を呼ぼうとしました。その時、古瀬が英語を話しだしました。かっこいいなあと思いました」
日々の学習はレフリングにも生きる。
誕生日は2002年1月25日。早生まれのため、17歳になってまだわずか。出身は中心部福岡のベッドタウン・大野城だ。
中学は東福岡の付属中である自彊館(じきょうかん)を選んだ。
自彊の意味は「自ら努め、励むこと」。中高一貫6年で難関大学への合格を目指す。
「早慶を目標にしています」
平日は0時間目から8時間目まである。7時30分~18時までみっちり先生や教科書、参考書と取っ組み合う。
競技を始めたのは中学入学後。ポジションはフッカーだった。中3の夏に引退する。
その後、後輩たちの試合を見ていると、顧問の宮田耕太郎にすすめられる。
「レフリーをやってみたら?」
そこで試した。はまってしまう。
「プレーヤーをしていたら、見えないことが見えます。ここのスペースが空いている、とか。それがおもしろかったのです」
楽しさは隠れた才能を引き出す。
高校コーチの稗田新もその異能に気づき、参加をもちかけた。
レフリーなら平日の授業を優先できる。
「出られるのは水と木曜くらいですね。あとは週末になります」
グラウンドに行けない日も含めて、ほぼ毎日、時間を見つけてYouTubeなどでトップリーグや欧州6か国対抗などを見る。レフリーの動きに注意を払う。
昨年末、ユースレフリーのためのTID(Talent IDentification=人材発掘・育成)に参加した。12月28、29日の2日間、大阪に滞在する。出席者は7人。高校生は古瀬のみ。もちろん最年少だった。
初日は高校全国大会の1回戦を花園で見て、レフリーのパフォーマンスを学ぶ。
2日目は実践。東海大大阪仰星と関西大学北陽を回り、同世代の練習マッチを吹いた。講師として加わっていた久保は振り返る。
「頭がいいんですよね。僕たちが話したことを理解してくれます。そして、それをすぐ形に出せる。これはなかなかできません」
古瀬はレフリーとしての信条を話す。
「タイミングです。選手が笛を吹いてほしいところで吹けるかどうか」
まずプレーヤー・ファースト。そして、試合の制御も口にする。
「仮に反則があったとしても、それがどれくらい試合に影響するのか、ということを見極めた上で笛を吹きたいと思っています」
最終目標は決まっている。
「ワールドカップに参加できたら」
過去8大会で審判団に入った日本人は3人のみ。レフリーは1995年の斉藤直樹。アシスタント・レフリーは1991年の八木宏器と1999年の岩下眞一だけだ。
ターゲットは難しい。
だからこそ、やりがいはある。
「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」。
17歳の古瀬には、スペシャルで厳しい世界を突き詰めて行けそうな期待感が漂う。