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【ラグリパWest】ワールドカップ参加の吉報を待つ。久保修平 日本協会A級レフリー

2019.03.29

今年9月に開催される日本でのラグビーワールドカップへの参加を熱望する久保修平レフリー



 吉報を待つ。
 久保修平の今の心境だ。

 日本ラグビー協会最上のA級レフリー。
 今年9月、日本開催のワールドカップ(W杯)での審判団入りを熱望している。
 構成はレフリー12、アシスタント・レフリー(AR)7の計19人になる。
 当落の知らせはすぐだ。この4月に入ってくる。開催国枠は存在しない。

「キャッチコピーじゃないけれど、自分にとっては一生に一度です。2015年以降、特にここを目指してやってきました。その思いが形になって、ピッチに立てたら最高ですね」
 37歳の久保は力を込めた。

 ただし、残念ながらレフリーで加わる可能性は低い。入るとすれば、タッチライン外が主となるARになる。
 今年、南半球を中心とする国際リーグ・スーパーラグビー(SR)のレフリー15人から外れた。2016年、初の日本人として栄誉に浴したが、3シーズン10試合でひとまず履歴は止まる。

「W杯で笛を吹くためには、SRの準決勝を任せてもらえるくらいの力がいります」
 国同士の「戦争」とも表現される一戦を裁くには、遺恨が残らないよう異次元のレベルが要求される。イングランドやフランスなど欧州6か国のレフリーも集まって来る。

 久保には悔いの残る試合がある。
 レフリーとして、退場を示すカード、レッド(赤)を10分間の一時退出であるイエロー(黄)に弱めてしまった。

 昨年3月16日、チーフス×ブルズ戦。
 後半32分、チーフス、そしてオールブラックスの司令塔、ダミアン・マッケンジーが頭部に腕を伸ばしたタックルを受ける。
 久保はとっさに赤の提示を考えた。
「開幕前のミーティングで、頭へのタックルは厳しくとる、という申し合わせでした」

 ただ、そこに複雑な状況が絡む。
 マッケンジーが微妙にかがんだため、相手の手は頭に当たった後、上に滑る感じになる。大きなダメージには至らなかった。

 AR、ビデオで判定をするテレビ・マッチ・オフィシャル(TMO)とインカムで話す中、赤はきついのではないか、と思いだす。
 試合の残り時間は8分。どちらを示しても復帰はできない。
 それらを総合的に考えて、色を黄に変えた。

 当然、選手にとっては赤ならその衝撃、そして課せられる処分も違ってくる。

 試合後、色を変えたことを指摘された。
 結果、落伍する。
 開幕前、SRで2試合ずつこなし、悪かった者3人を落とす取り決めがなされていた。以後、試合を任されなくなる。今年、欧州6か国対抗のARは2試合担当したが、SRに呼び戻されることはなかった。

「結局、変えちゃあいかん、ということです。その方が後悔も少ない。ARやTMOから違うニュアンスが来たとしても、彼らにこちらの判断を理解させるようにもって行き、その上で言い切らなければなりませんでした」

 晴れ舞台の前年、悔しい思いをした。
 しかし、久保がこの国で一番優秀なレフリーであることに変わりはない。



 競技を始めたのは福岡・筑紫高に入学後。
「夕陽を浴びてランパスしている姿がキラキラ輝いていて格好よかったんです」
 ポジションはスクラムハーフ。卒業後は岡山にある川崎医療福祉大に進んだ。
「中高生の運動指導やケガとスポーツのかかわりなどに興味がありました」
 4年間で教員免許は中高の保健・体育一種、特別支援学校二種を取得する。

 レフリーを始めたのは大学2年から。
 2005年秋の岡山国体に向け、県内で審判団の養成が必要になった。
「コーチでラグビーを続けるためにはプレー経験が必要になります。でも、レフリーにはそれがいらなかったのも大きかったです」
 楕円球界にのめり込んでいた。

 国体後、教員採用試験に合格した大阪に引っ越す。2006年4月から府立の八尾支援学校で先生をしながら、レフリーを続ける。

 強烈な敗戦の中、久保のうまさを思い知らされた男がいる。近畿大ディレクターの神本健司だ。
 2008年の入替戦で大阪産業大に17-24と敗北。関西Bリーグへの降格が決まる。
「負けたチームはその怒りをどこかにぶつけたいものなんです。その対象としてレフリーになることが多い。でもあの時、彼には何も言えませんでした」
 敗者からグウの音も出ない完ぺきなレフリングだった。近畿大は翌年の入替戦で69-10と雪辱。1年でAリーグに復帰している。

 久保は2008年にA1、2013年にAに昇格する。国内で行われる国際試合を含むすべての試合をレフリーとして担当できるようになる。以後、降格は1度もない。
 同時に2014年4月から所属を日本協会に変えた。32歳でプロを選択する。

 休日と公休を全部消化しても依頼をさばききれない。道を究めたい思いも強まる。
「プロはよかったらいい、悪かったら悪い。公務員で切られるのはよっぽどのことをしない限りないですけど、僕はあります」
 人生の大きな勝負だったが、家族、教員の妻と娘2人の理解を得る。

 笛の質を落とさないためのトレーニングは週5回ほど。グラウンドが3、ジムが2の配分だ。1回2時間はかける。
 兵庫・尼崎の渡辺接骨院に勤務する山本大輔にトレーナーとしてついてもらう。
「最低でもこれくらいしないと、ついていけません。ラグビー界もプロ化が進み、選手のレベルが上がってきていますから」
 山本への報酬は年俸から支払っている。

 試合を重ねて得た哲学がある。
「正しいコンテストをさせる、ということです。継続だけではなく、争奪もラグビーの大事なパーツです。そこで反則じゃないものを反則としてとってはいけません。ラグビーの魅力がなくなります。そうしないためにはよく見ること。そして先入観を持たない。連続攻撃があれば、守っている側が反則をすると思いがちですよね。でもそれは違います。しっかり見ることが大切なのです」

 W杯審判団の一員に選ばれれば、サポートに回る心づもりはできている。
「担当するレフリーがどういう笛を吹くか、ということを事前に調べて、特性を引き出せるように協力していきたいですね」

 過去のW杯8大会で審判団に参加した日本人は3人のみ。レフリーは1995年の斉藤直樹。ARは1991年の八木宏器と1999年の岩下眞一だけだ。

 久保は、3月20日に打ち上げの日本代表の沖縄合宿にも監督のジェイミー・ジョセフの意向で参加した。試合形式練習やスクラム、ラインアウトで実戦勘を養った。
 その信条は「チャレンジ」。
 3年たっても不惑。
 まだまだ、挑める。