ラグビーリパブリック

【コラム】ひとりでもいるなら。

2019.03.28

「こちらが、子どもたちに楽しませてもらった。そう思っています」と吉田茂さん



 少年、少女のラグビーへの入口にいる。
 ラグビースクールのコーチたちは、この国の楕円球の世界を支える、かけがえのない存在だ。
 理由はどうであれ、まん丸でないボールが転がる場所へやって来た子どもたちをすべて受け入れる。自らの意志で来た子。無理矢理連れてこられた子。どちらにも分け隔てなく寄り添う。ラグビーを好きになってね、と心の奥で囁く。
 愛情を注ぐだけで、何も求めない。

 何年前だったか。諫早ラグビークラブの設立記念式典で聞いた言葉が忘れられない。
 久米俊一代表は、優しい笑顔で「たとえ入会者がひとりでも、最後まで全員で指導する。そういう気持ちを(関係者)みんなと確認しました」と言った。 
「いたずらにチャンピオンシップを追うのではなく、子どもたちに、無我夢中のうちに涙があふれるような体験をさせてあげたい」
 同じ想いの人たちが日本のあちこちにいる。

 3月23日の夜、東京・池袋。あるコーチの慰労会が開かれた。
 主役は吉田茂さん。ラグビースクールの垣根を外した少女たちの練習会を中心に活動する、『東京シャイニングガールズ』の中心だった。
 今月7日、還暦を迎えた。節目の年に、「ひとりのプレーヤーに戻ろうと思って」と、自分でプレーすることに軸足を置くことにした。
 周囲に信頼できる仲間がいる。少女たちのことは任せて大丈夫と思った。

 女の子たちに、もっとラグビーを好きになってほしい。
 ただ、その思いから始めた。
 まだまだ少数派のラグビー女子たち。仲間がいることを知ったら、もっと楽しくなる。男子との体格差が出てきたときの悩みも、女子同士なら解消できる。中学生になると活動の場を失う子も救いたい。
 場所を確保し、練習会の日時を告知する。当日になるまで盛況か空振りか分からないのに、環境を提供し続けた。

 福岡県北九州市の生まれ。八幡中央高校、福岡大学でラグビー部に入った。
 仕事で東京へ。結婚し、子どももできた。ラグビーを続けたくなったが、自分ひとりで日曜日に出掛けるのは気が引けるから、奥さんに「ラグビーをやらないか」と勧めた。
 妻・幸代さんは、のちに女子日本代表のフロントローとなり、第2回女子ワールドカップ(1994年)に出場する。

 人生って何があるか分からない。
 妻とともに、江戸川区のラグビーにどっぷり浸かる。ラグビースクールのコーチを務めた後、子どもたちのお母さんたちで作った江戸川区レディースの世話役、代表となる。
「彼女たちのラグビー人生、いや、ラグビーじゃなくても、人生が豊かになる手助けになれたらいいな、と」
 姉が3人いる。家には妻と娘。女心がよく分かる。




 セブンズがオリンピック競技となって、女子ラグビーの環境も変わった。
「若い子たちは増え、五輪を目標に、どんどんレベルが高まっています。底辺を支える存在は僅かばかりで、日本の女子ラグビーの構造は完全な逆三角形なんです」
 それをなんとかしたい。「若い女の子たちが年齢を重ね、楽しむラグビーをやりたくなったときのために、そういう場所(町のクラブチーム)を用意しておいてあげたい」と、地道な活動を続けてきた。

 時代の波に押されて江戸川区レディースも、近年は参加メンバーが少なくなっていた。以前取材にお邪魔したときは、毎回参加するのはひとりだけ…という時期だった。
 吉田さんは、それに毎回付き合った。ふたりでのランパス。コンタクト練習。他のクラブに混ぜてもらうときにも付き添う。
 たとえひとりになっても。
 諫早で触れた愛情が、江戸川にもあった。

 今回、東京シャイニングガールズの代表を引き継いだ土屋慎次郎さんも、吉田さんの慰労会に出席していた。
 前任者に挨拶を促された土屋さんも、子どもたちへの愛を惜しまない人だ。「代表とかでなく、私は連絡役ということで」と照れながら、皆の前に立った。

「私は昔からタイミングの悪い男で、今回も、吉田さんから(退く)相談を受けたとき、『(子どもたちが)2、3人しかいないんですから、もう活動はやめてもいいかもしれませんね』と言おうと思ったら…その日、10数人もいたんです。その子たちの顔を見ていたら、やるしかないな、と」
 照れくさいだけだ。その日参加した子どもがひとりでも、土屋さんは、きっとバトンを受けた。

 こういう人たちと会うたびに思う。
 日本のラグビー界には陰で支えるひとたちがこんなにいるのに、トップは、大切な気持ちを忘れていないか。
 例えば、スーパーラグビーからの除外が決まったサンウルブズ。3年前の参入後に生まれた、新たなラグビーファンは少なからずいる。
 しかし、スーパーラグビーの運営側から厳しい条件を突きつけられたら、やり合わない。小さな声に耳を傾ける愛はあったか。

 一人ひとりのことを考える。
 コーチに限らず先頭に立つ人は、まず、そこから始めなければ。


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