東福岡でのコーチ時代、藤田雄一郎は特に探求心が旺盛だった。
土井崇司は以前話したことがある。
「部員たちにしゃべってると、気がつけば後ろに藤田君が立っている。『おまえ、なんでここにおるんや』って言ったら、いっつもニヤッーと笑っとったねえ」
東海大付属の仰星で花園優勝5回の礎を築き、今は相模の総監督として強化に携わる人物にも若き日の藤田は残る。
仰星2代目監督の湯浅大智は親しみを込め、「ユーイチローさん」と呼んでいる。
藤田は土井が以前に著した2冊の『もっとも新しいラグビーの教科書』(ベースボール・マガジン社)を熟読した。
編集に携わった直江は証言する。
「中には付箋が貼ってあったり、書き込みがいっぱいありました」
そのため、本は借りず必ず買う。ライバルからも学ぶ姿勢がこの人の特徴だ。
趣味は読書である。
ラグビーの専門書だけではなく、小説やビジネス、宗教書などにも目を通す。
「すごいと思いません? 1500円くらいでいろんなところに行って、いろんな人と会えるんですからね」
特に感銘を受けたのは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』(文藝春秋社)。明治維新の功労者である土佐人・坂本竜馬を軸に、男たちの生きざまが描かれている小説だ。
「今まで4回くらい読み直しました。その年齢によって感じ取り方や良さが違う」
生き方を確かめる指標ともなる。
書籍に没頭する時間などを作るため、基本的には午前4時に起床する。
「朝は誰にも邪魔されません。ジムに行ったり、グラウンドを走ったりもします。6時30分には学校に来ています。朝練習をする部員に付き合ってあげないといけないので」
藤田は身長178センチ、体重90キロ。現役時代から体つきは変わらない。
「永遠の90キロです」
学生時代から自分への厳格さは続いている。
教員や監督としての1日を終えると夫人と二児が待つ家に帰る。疲れは晩酌で取る。ハイボールと刺身の組み合わせがお気に入りだ。
「ウイスキーはジャパン(日本製)です。生のサバが好きですね」
午後11時には眠りにつく。
「練習が終わったら、出し尽くしているので」
睡眠5時間ほどで翌朝を迎える。
藤田は1955年(昭和30)の学校創立時にできたラグビー部とともに、別の伝統も守る。
博多祇園山笠。
700年以上の続く九州、いや日本を代表するお祭に毎年参加する。舁き山(かきやま)と呼ばれるみこしをかつぐ。博多駅前などには、観賞用に歴史物などで彩られた飾り山と呼ばれる山笠が立てられる。
博多の地域祭りのため、参加できるのは住民が中心になってくる。藤田は7つある舁き山を持つグループのうち、西流(にしながれ)に属する。
「3歳からお世話になっています。祭りの間は早退したり、遅刻したり。その時期はラグビーより大切です」
祭りは7月の上旬に半月ほど続く。
楕円球との共通点を口にする。
「みんなが協力するところです。26人で交代しながら舁き山をかつぐのですが、ひとりでも気を抜くと前に進みません」
スタイルは締め込みをして、さらしのような腹巻を巻く。ヒザから下は脚絆(きゃはん)と地下足袋。おしりからくるぶしまでのラインがはっきりと出る。「永遠の90キロ」はここでも効力を発揮する。
生まれ、育った場所の文化を大切にして、次の世代につなげていく。それはラグビーにおいても変わらない。
20回目を迎える選抜大会は13年連続16回目の出場になる。優勝回数は大会最多の5。今回もV候補の最右翼である。
8つある予選グループはBに入った。札幌山の手、徳島・城東、慶應義塾の3校とリーグ戦を戦う。1位になれば準々決勝に進む。
東福岡の特徴である個々の能力の高さは例年以上だ。昨年の17歳以下日本代表にはメンバー最多の5人が選ばれた。
6人のリーダーのうち4人。廣瀬、小西(直前に負傷離脱)、川崎、高本、そしてナンバーエイトの西濱悠太だ。
5人ともに年末年始の花園大会で試合をこなしており、経験値は高い。
昨年度は桐蔭学園に苦渋を飲まされた。
19回選抜大会は8強戦で34-40、98回全国大会では4強戦で38-46と競り負けた。
この大会はその雪辱にもなってくる。
新チームになってから、守備面の強化に力を入れた。看板のワイドラインからの切り込みによる攻撃以上に時間をかける。
「ウチと桐蔭学園の差は何か。それはタックルの力だと思います。獲られたら、獲ればいい、ではありません」
1月6日、大阪・花園から帰福して以来、基礎的な練習に入った。
「小学校や中学校でやっているような、一対一のタックルからもう一度やり直しました」
福岡県予選、九州大会を含めた公式戦7試合で失点はわずか3。決勝戦の佐賀工に許したペナルティーゴール1本のみだった。
ディフェンスがより強固になった東福岡は、3月28日、大会開催日前日に決戦の地、埼玉・熊谷に入る。
チーム、そして藤田の頂点を目指した春の戦いが幕を開ける。