ラグビーリパブリック

防御で勝負。43年ぶり埼玉県新人大会優勝の浦和高校、全国選抜の準備すすめる。

2019.03.02

砂場でタックル、ブレイクダウンの練習が繰り返される。(撮影/松本かおり)



 練習の最後、みんなが笑顔になった。
 円陣の真ん中で、2年生のLO阿讃坊元(あさんぼう・げん)が話したときだ。
「こないだの東京朝鮮高校との試合、スクラムを組むときにトイメンのLOと目が合いました。苦しい状況だったのに、相手は笑っていた。そういうのって、こわい。僕らもそうしましょう。ヘン顔の練習したり」
 ドッと沸いた。

 3月29日に熊谷ラグビー場で開幕する第20回全国高校選抜大会に出場する埼玉県立浦和高校ラグビー部が、その舞台で戦うための準備を進めている。
 先の埼玉県高校新人大会では、決勝で立教新座高校に33-10で勝って優勝した。43年ぶりのことだった。

 関東新人大会では1回戦で慶應高校に7-61と完敗も、選抜大会には開催県1位校として出場する。
 同大会には過去にも出場したことがある(7年ぶり/過去に2回出場)。しかし、県の王者として出場するのは初めてのことだ。

 東大合格者数が全国上位の公立校で男子校。部活動も学校行事も盛ん。全校生徒が参加するラグビー大会もある。
 2013年度には2回目(54年ぶり)となる花園出場も果たした『浦高/ウラコー』ではあるが、部員のほとんどが高校で楕円球を追い始める。

 前出の阿讃坊は中学時代は陸上部。いつもいちばんにグラウンドに出て仕事(練習の準備)をする。勉強でもなんでも全力で取り組むから信頼される。
 ディフェンスの要となるCTB吉田凱(がい)、東島和哉のコンビは、それぞれ中学時代は野球部、バスケットボール部。キックのうまいFB高田賢臣(けんしん)はサッカーをやっていた。

 2年生13人のうち中学時代にラグビーをしていた者はひとりだけ。
 1年生16人も同様で、中学校時代の経験者はひとり。他に、小学校時代にラグビースクールに通っていた者がひとりいるだけだ。
 経験値の総数では他校に劣る同校が埼玉でいちばんになれたのは、愚直さと集中力で相手を上回ったからだ。

中学時代のラグビー経験者は少ないが、やり切る力がある。
後方に見えるのが学校のシンボルである大銀杏。(撮影/松本かおり)



 2月下旬のある午後、右足首を捻挫している松永拓実主将は別メニューのトレーニングを終えた後、仲間の練習を見守っていた。
 県大会の準決勝で足首を痛めた。しかし、その後の試合にも直訴して出場。テーピングで患部を固め、チームの核(NO8)としての責任を果たした。

 小学校に入る前からワセダクラブでプレーしている同主将が、仲間について話す。
「初心者が多いので、その瞬間の状況を見て、判断して動くのは苦手なところもあります。でも、決めたことをやり切る力はあるんです」
 ひたむきなディフェンスは、このクラブの伝統だ。攻撃ではキックで敵陣へ。そしてモールで武骨に。それが、このチームが得意としているスタイルだ。

 松永主将は同期でラグビー経験者が自分だけという状況を嘆かない。
「他のスポーツをやってきた人たちは、それぞれ、いいところを持っている。それをラグビーに活かしてくれます。今年のチームは体は小さいけど、チームワークがいいんです。仲間意識が強い」

 ただ、関東新人大会では足りないものも露わになった。
「フィジカルがまったく足りませんでした。そして意識が低かった。県内で勝つことを目指していては、関東や全国では戦えないと分かりました。目標は花園ですから、選抜でもいろんなことを学びたい。関東新人大会で分かったことにそれを加えて、強いチームになりたいと思っています」

 授業が終わった後の午後4時前から2時間強練習するのが日常。その後、夜9時まで開放されている教室、図書館で勉強してから帰宅する生徒も多い。
 松永主将は「意識を高く持ち、時間をうまく使ってクレバーなラグビーをやりたい。(部員の)人数が少ないことも長所にしたいです」と言う。

 今年からチームの指揮を執る三宅邦隆監督は同校OBで、前任の小林剛監督のもと、7年間コーチを務めてきた人だ。
 同じ筑波大卒の山本義明部長とともに、砂場でのコンタクトプレーの徹底など、丁寧な指導をする。

 練習の合間に、選手同士で話し合わせる時間を設ける。それが三宅監督のスタイルだ。教え込むより、考えること、見つけ出すことを促す。
「試合で失敗しないため、練習で小さな失敗をするような練習をしています。県大会ではしっかりディフェンスをして、エリアを考えてプレーし、FW中心でロースコアに持ち込む戦い方がうまくいきました。ただ、運もよかった。すべての部分をもっと積み重ねていかないといけない」

 OBでもある三宅監督は、このクラブが大切にしてきたことをよく知っている。
「プレーではディフェンスです。ここは毎年、自分たちの強みにしていかないといけない。それと、これは学校の方針でもありますが、自律すること。自分で考えて律する。そういう人間になることがラグビーでも大事だと思っています。このスポーツを通して、世界をどこかで支えるリーダーになるための準備をしてほしい。そうなることがラグビーでも、人生でも重要です」

集中力のある選手たち。短時間の練習で成果を出す。(撮影/松本かおり)
グリーンのジャージーがNO8松永拓実主将。キアラン・リード、アーディー・サベアが好き。
(撮影/松本かおり)
1896年に開校した浦和中学が前身。JR北浦和駅から徒歩10分ほどのところにある。
ラグビー部の創部は1946年



 中学時代はバラバラのスポーツをやっていた少年たちだけど、実は、同じ思いを持って浦高にやってきている。
 勉強だけでなくスポーツにも打ち込みたい。学校行事にも。
 二兎、三兎を追う人生を求める。そうだからこそおもしろいと思える少年たちだ。

 東大に進学して行動経済学を学びたいSHの宮崎隆之介は、浦高に学んでいた兄から「ラグビー部は全校から応援される存在だぞ」とアドバイスされて入部した。
 志木二中時代は野球部に所属していた。

 宮崎は1年生の秋から冬にかけて勉強との両立に悩み、ラグビー部を続けるか否か揺れていると、監督に相談したことがある。
「でも、みんなで一緒に遊びに行くことがあって、そのとき、やっぱり(この仲間と)いたいな、と思い直したんです」
 必死なのは自分だけじゃない。友だちといる方が頑張れると感じた。

 1年生で唯一の中学ラグビー経験者の山際毅雅も、同志を求めてここに来た。小5のときから宇都宮ラグビースクールでプレーを続けている。
「ラグビーか勉強かどちらかでなく、両方で頑張りたかったんです。浦高はそれがやれると聞いていたので、中2のときに行こうと決めました」
 経験者として同期に教える機会もある。「みんながうまくなっていくのが分かると嬉しい」と笑うHOは、将来、指導者になりたい。

 濃紺のジャージーの胸に「U」の文字。
 2013年にそのジャージーが花園の芝の上を駆けたときには、大応援団が花園第1グラウンドのバックスタンドを濃紺に染めた。
 熊谷ラグビー場での全国選抜大会でも同じ光景が見られるか。
 ピッチで猛タックルが連発されることは約束されている。

機を見て鋭く仕掛けるアタック。シンプルに、精度高く攻めたい。(撮影/松本かおり)
三宅邦隆監督(右)と山本義明部長。ともに筑波大卒。(撮影/松本かおり)
部室にはOBたちの古い写真も。(撮影/松本かおり)