錚々たるメンバーとは、このことだ。
2月23日、東京都内のホテルで國學院久我山高校ラグビー部創部70周年記念式典が行われ、OB、来賓あわせ約350人が一堂に会した。過去、全国優勝5回(花園)を誇る名門校の節目に、元監督の中村誠先生(現在は埼玉・昌平高校総監督)が自ら壇上で教え子たちを次々に紹介した。
否、初めの一組だけは教え子ではなく先輩だ。
1948(昭和23)年、篠高一先生によって創部されたラグビー部。その第一期生である山下恵三氏ら4人の、久我山ラグビー萌芽期の先輩が壇上に並ぶと、場内からは大きな拍手が沸き起こった。
次々と期ごとに紹介される面々は日本ラグビーの「歴史」上の人、そして現在、ラグビー界をはじめさまざまな分野で活躍する人の名前が並んだ。
一際盛り上がったのは、國學院栃木監督の吉岡肇氏がはじめにマイクを握った31期(主将は平地敏行氏)の紹介だった。
前年は史上二度目の優勝、この年も決勝に勝ち上がり目黒と戦ったが、ラスト14秒で逆転され準優勝となった3年生たちの代だ。「あと14秒、久我山が花園連覇に、もっとも近づいた瞬間でした。負けちゃったけれど!」。吉岡氏が会場を笑わせる。
後ろで苦笑いする方々は、現在はOB会長を務める今野貴之氏、田村誠氏(元トヨタ自動車&豊田自動織機監督。長男は日本代表・田村優選手)、荻窪宏樹氏(元クボタ監督、現日本協会)、美土路昭一氏(元朝日新聞、元日本協会広報)などなど、紹介しきれない豪華な顔ぶれだった。
同じ31期の土屋謙太郎・現監督に「変わらない久我山らしさ」について聞くと「勝つために、工夫すること、でしょうか」。シンプルな二つのフレーズに歴史と矜持がにじむ。「自分たちは、あの時に負けたからこそ、その後も頑張れたのかもしれません」と、ポツリ言っていたのが印象的だった。
「第1期から、高3の70期までが集まってくれた。こんな機会は最初で最後かもしれない。100周年の久我山を、私らは、たぶん見られないからね」
真顔でユーモアを交える中村誠先生は1959年から28年にわたって指揮を執った。中村先生にも「変わらない久我山は何か」をうかがった。
ひと呼吸おいて先生は「それはね、指導者によって変わっていくものだけれど」。
「きょうもOBたちの顔を見ていて思うのは、卒業後の進路についてはしっかりと面倒を見なければということ。ラグビー推薦もいいけれど、 よーく、聞いてほしい、 基本は、将来を考えてしっかりと勉強をすることです」
「なぜ勉強をするべきか。それはラグビー同様、人の内面を豊かにするからだ。社会人としての教養を身につけること。世の中のことを知らなければ、人様と世間話もできない。それでは通用しない。毎日の、努力です」
壇上で教え子たちに再会し、それぞれの時代を振り返った中村先生、目には光るものが見えた。
竹内伸光部長は、6度目の日本一をと力強くスピーチし、最後に会場が引き締まった。創部以来約1300人のOBを世に送り出してきた久我山ラグビー、結束の夜だった。