ラグビーリパブリック

【ラグリパWest】髙橋家のしあわせ。

2019.02.25

大学選手権に優勝した長男・汰地さんを囲む髙橋家。父・晃仁さん、本人、母・繭子さん、妹・和花さん、妹・采絹さん(左から)。沖縄への家族旅行から帰ってきた神戸空港でのひとコマ


 ここに一枚の写真がある。
 加藤尋久、飛騨誠、福本正幸、戸田太、小辻陽二、デービッド・ビックル…。
 夏のオフ、海水浴、笑顔が並ぶ。

 神戸製鋼のチームメイトたちは、みなまだ20代の若さだった。1988年度から始まった7連覇、そしてその後を支えた。

 青い日本海を背景にしたワンカットには、髙橋晃仁(こうじ)と繭子も映り込む。
「場所は琴引浜。1995年ですね。私たちはその前の年に結婚しました」
 繭子ははっきりと覚えている。

 2人は高校時代から8年越しの交際を実らせる。この時、愛の結晶はまだいない。
 第一子の汰地(たいち)が生まれたのは、翌年のことだった。

 それから20年以上が過ぎる。
 2019年1月12日、明治は第55回大学選手権を制した。天理に22-17。優勝は実に22年ぶり。緑の天然芝の上で、紫紺は歓喜を爆発させる。その中には汰地もいた。

 父は伏見工(現京都工学院)でラグビーを始め、神戸製鋼に入った。息子も同じウイングとして学生日本一になる。
 親子の軌跡は重なり、よろこびは広がる。
「いや、もううれしいだけですよ」
 現在はグループ会社・神鋼環境ソリューションに籍を置く父は目を細めた。

 2人から5人に増えた家族は、快挙を秩父宮で見た。自宅のある神戸から上京する。
 上の妹の采絹(あやき)は感動した。
「トライしてくれた瞬間、泣きました。見たかったものが見られました。友達に自慢できるお兄ちゃんです」

 汰地は、スクラムハーフの福田健太とのスイッチプレーでインゴールに飛び込む。前半22分、10-5と逆転した。
「素晴らしいよ。彼のお蔭で勝ったんだ。決勝の天理も、準決勝の早稲田も」
 藤島大は振り返った。ラグビー・ライティングで他の追随を許さない男は絶賛する。

 采絹は龍谷大の新3年生。ラグビー部員だ。関西Bリーグに所属するチームでトレーナーをしている。父、兄と同じ道をたどり、大学から楕円球界の住人になった。

 下の妹の和花(のどか)はにっこりする。
「いない、いない。タイチみたいに、かっこいい人は、学校に。それにおもしろいし、優しいし。ずーっとおしゃべりしてます」
 共学の神戸龍谷で新2年生になる。女子高生「のんちゃん」にとって、兄はパーフェクトな存在だ。

 汰地が競技を始めたのは5歳だった。
 父の現役引退は、その前の年にあたる2000年3月。大卒選手が主流の神戸製鋼で、高卒ながら公式戦43試合に出場した。
 おぼろげながら覚えているプレーに、汰地は導かれる。地元の兵庫県ラグビースクールに入った。同時に父も指導員を始めている。


 高校は両親が過ごした京都ではなく、大阪に決めた。父は母校を勧めた。
「おじいちゃんの家から通うか、ってそれとなく聞いてんけど、常翔学園になりました」
 汰地は振り返る。
「強いチームが多いところでラグビーをするのはかっこいいと思いました」
 高1の第92回全国大会(2012年度)は、メンバー外ながら全国制覇を経験する。ただし、残りの2年は府予選決勝で敗れた。

 明治を選んだのも理由がある。
「誘って下さったし、チームの雰囲気なんかもよかったです」
 進学は父の希望でもあった。
「自分は大学に行きませんでした。だから息子には行ってほしかった。出てからの人のつながりが全然違います。神戸にいてそれを目の当たりにしました」
 若き日に作り上げた人脈は、ラグビーのみならず、その後の仕事や人生にも影響する。父は世間に出てそのことを実感する。

 この国有数の才能が集う大学で、汰地は3年から先発に名を連ねる。
 50メートル走6秒1の速さは血を継いだ。父は中学時代、陸上部だった。100メートル走で11秒3の京都府記録を持っていた。
 その快足に、息子には180センチ、93キロのサイズを利した強さが加わる。
 兼ね合わせの妙。アイランダーを父祖に持つ選手の決定力とそん色はない。

 最終学年はストレッチに力を入れた。
「自分は元々両ひざがよくないので、太ももなどの筋肉を伸ばすことを教えてもらいました。毎日やっていたら、ヒザの調子はいいし、スピードも上がりました」
 さらなる進化を自覚した上で、もぎ取った優勝だった。

 卒業後はトヨタ自動車に入社する。
「ラグビーの強いところに行きたかったし、やめた後も仕事をしたかったのです」
 父と同じ深紅のジャージーを着る選択肢もあった。
「コネを使った、と思われるのが嫌でした」
 会社も自分自身で決めた。

 トヨタ自動車の新人集合日は3月2日。チームへの合流は4日だ。東京・八幡山から愛知・豊田に移った生活が始まる。
「大学で外に出した時から、こっちに戻ってこない覚悟はしていましたから」
 母は強い。

 父はポロっと本音を口にする。
「保険証の扶養家族の欄から、タイチの名前が抜けてしまうのはさびしいなあ」
 和花は末っ子らしく明るい。
「ケンタ君も行くし。タイチのおかげでいろんな選手と仲良くさせてもらいました」
 ひいきの福田と兄が引き続き一緒にプレーするのを楽しみにしている。

「これからも応援に来てもらえるよう、自分自身が頑張らないといけません」
 汰地は口元を引き締める。
 家族の期待を背に、新しい環境でラグビー、そして仕事に取り組んでいく。
 難しさや厳しさを越えた先に待っているのは、髙橋家のさらなるしあわせである。

(文:鎮 勝也)

大学選手権決勝でトライラインを目指して走る髙橋汰地。(撮影/松本かおり)