ラグビーリパブリック

【コラム】やっぱりONE AND ONLY. だった。

2019.02.15
流経大の2年生WTB、中根は、部員5人のチームから大学レギュラーへ(撮影:松本かおり)

流経大の2年生WTB、中根は、部員5人のチームから大学レギュラーへ(撮影:松本かおり)

■きっとウォームアップから楽しい。

 今年は『ONE AND ONLY. 』で昨年は『Precious ONE』だった。

 ラグビーマガジンで全国高校大会をまとめる時には、予選から一貫してキャッチフレーズをつけている。
 
 花園の2週間はもちろん、各カテゴリーのラグビーシーンは、それぞれが選手、コーチ関係者にとってかけがえのない場所、時間であることを実感させられた。
 
 世の中に日々流れる洪水のような情報の中、たとえば花園1回戦2点差試合のニュースは砂粒のように小さい。小さいが、ラグビーにとって、全国で楕円球に携わる人にとっては、大切な事実だ。
 
 下記、2018-2019シーズンに数えきれないほど出あった『ONE AND ONLY. 』から、ラグビーマガジンに掲載しきれなかった人々や場面を駆け足で紹介したい。
 
 2018年11月25日、関東大学リーグ戦最終戦で法政大学が、雄叫びをあげた。

 法政大 22-21 流経大。法政が、4季ぶりに流経大に勝った。試合後の会見で、高鍋高校出身、川越藏主将はまだ泣いていた。この勝利の喜びに半分、もう半分は終えたシーズンへの複雑な感情からだ。
 
 2週前、東海大に敗れた時点で法政は4位以下が確定。大学選手権へは駒を進められないことが決まってしまった。すると間もなく、公式戦メンバーに入らないCチームの4年生から、もう練習には出ない、との申し出があった。彼ら自身の臨む試合がそれ以降はないからとの理由だった。
 
 どうしても、部員全員で最後の試合に臨みたかった主将は、申し出のあった個々に話をしにいった。その4年生自身にとってプレーをする理由が感じられない背景や気持ちを聞き、プレー以外の部分でメンバーをサポートしてほしいと希望を伝えた、という。

「それまでに、辞めてしまっていた部員もいます」。自らを不甲斐なく感じているのか、川越主将の表情は晴れない。

 だからこそ、最後に挙げた白星はうれしかった。法政にとっても、流経大にとっても選手権出場には何ら影響のなかったゲームだが、法政には戦う理由があった。

「東海、大東、流経のトップ3には、僕らの大学生活過去3シーズンで一度も勝てていなかった」(川越主将)。

 選手権には出られなくても、3強との差をなんとか詰めて代を引き継ぎたい。サポートに残った部員のためにも結果を出したい。それを足掛かりに、今後はもっと一体感を作り出せる集団に変わってほしい。対戦校と、自分たちの部の文化に対する挑戦だった。

 法政大 22-21 流経大。後半26分、中井健人の逆転トライで3強相手に挙げた「初めて」の1点差勝利に、法政は沸いた。

「過去3年、たとえば東海には50点差以上でやられたこともあります。少しずつでも差を詰めてきたことが、きょうは形になりました」。川越主将はこの試合でラグビーから離れることが決まっていた。宮崎の実家の稼業である保育園に勤務するという。
 
 対戦した流経大のほうへ話は移る。
 
 流経大には、この法政戦だけメンバー表に名前の無かった選手がいた。WTB中根稜登。起用をめぐりトライアルを続け大学選手権に向かっていた流経大は、次戦の大学選手権、福岡工業大戦で、4戦ぶりにWTB中根を先発で起用した。
 
「久々にスタートからだったので緊張してしまいました」(中根)

 足は速いがフィニッシャータイプではない。タッチライン際を走ることでタテのスペースを作り、味方につないでトライをアシストする。自分がつぶれて相手を寄せ、一気に逆サイドへ振ってのトライを下支えすることも多い。
 
 中根は、神奈川県立 田奈(たな)高校出身。高校時代は合同チームでしか公式試合を経験していない。
 
「部員は全部で5人でした。同期が2人、下級生が3人」
 
 平日、5人での練習はメニューが限られていた。

「シンプルなコンタクトとか、できるメニューをやってきた」。もともと、入部は2年の春と遅かった。「前から先生に誘ってもらっていたんですけど、覚悟が決まらなかった」
 
 大学に来て門を叩いた流通経済大ラグビー部は100人超の規模。衝撃だった。圧倒された。ウォームアップから、すでに楽しかった。「これがラグビーなのか! と思いました」

 大人数でプレーする喜びに浸り、努力を重ねていると、フォーストジャージーにも手が届きそうな位置まで階段を上っていた。今季はFLからWTBへのコンバートも乗り越えた。はじめは、思い切りタックルして、思い切り走るだけ。タッチラインへ押し出されない工夫。FW仕込みの踏ん張りでしっかりとボールを出せる、攻撃の起点になれることも評価を上げた。

「もともと運動神経は悪くないほう」(本人)。WTBへ移ってからはラグビー理解も向上し、右WTB・中根は定着したかに見えた。

 しかし試練はそこから始まる。

 リーグ戦序盤は先発だったが、今年は3人まで留学生が出られるようになった影響もあり、中盤戦からはリザーブに。

「ライバルがライバルなだけに、もう出場は難しいかも、と思った時期もありました。そんな時期に、すかさずヘッドコーチの池英基さんが声を掛けてくれて、30分ほど話をしてくれました。お前は絶対に諦めるなと」

 一縷(いちる)の望みを保ちながら準備を重ねていると、またチャンスをもらえるようになった。リーグ戦最終戦ではいったんリザーブからも外れた中根は、次戦、大学選手権3回戦・福岡工大戦で、晴れて先発に復帰した。

「久しぶりのスタートからのプレーで、本当に緊張しました。けど、絶対に結果を出してやるという気持ちは前より強かった」

 福岡工大を63-26で破って迎えた準々決勝、帝京には0-45で敗れたが、つかみ取った14番のジャージーに恥じないプレーはできた。毎日、毎週、自分にできることを続けた。一戦一戦が、どんな境遇にあっても重要だった。最後の2試合はレギュラーを勝ち取った。
 
「実際にやってみて、帝京相手でもいけると思える部分はたくさんあった。ただ、トライを取り切る力に差を感じた。来年からは、それをふだんから意識して変えていきたい」

 リザーブメンバーを含め、この日ピッチに立った選手のうち11人は、来年以降も、そのチャレンジができる。

U18合同チーム。西軍(写真)が26-12で東軍を上回った(撮影:宮原和也)

 1月7日、全国高校大会決勝の前の花園に、第11回を迎える重要な試合が行われた。「U18合同チーム東西対抗戦」。

 1、2年生だけで臨む新人戦の段階で単独チームが組めなかった全国のチームが選考対象。ピックアップされた優秀選手が東西に分かれ、力をぶつけ合った。

 沖縄・美里高校の高校代表候補、石川瑠依のはじける走り、BST昭和高のLOブルースケオン壮太はまだ2年生、もうすぐに190センチを超えるだろうサイズでシャープに動いた。このほかにも逸材多し、ラグビーマガジン142ページの選手名とチーム名をおぼえておくと、数年後の大学やクラブの試合がより楽しくなるかもしれない。

 勝った西軍の2番は、ラックができると遠い方、遠い方へ走って、抜けて当たってよくパスを放った。順目側で光ったキャプテン、HO甚川恭佑。所属する島本高校は、HO堀江翔太をはじめ日本代表を複数生む大阪の古豪だ。
 
 島本高校ではずっと1人で、練習してきた。

「いえ、入った時は3年の先輩が1人、いました。1対1のタックルをやったり、パスしたり。札木(理・監督)先生が来られる日は3人でできた。合同チームの練習がないときは、一人でウエイトとか…、いろいろできることはありますよ」

 そうだよな、と肩を叩きたくなる。この人は一人にして確かに島本のキャプテンなのだとあらためて思わされた。

 恭佑は、小4の時に高槻ラグビースクールで楕円球に出合った。高校は私立校を選んだが、1年時、事情から学校をやめ、翌年に別の学校に1年生として入り直すことにした。なるべくラグビー部のありそうな公立を、と探し当てたのが、府立のラグビー伝統校・島本。部員数は意外だったが、合同チームの仲間もいる。またラグビーに取り組める日々は上々だ。

 チームとしてのプレー機会を少しでもと、部員獲得や、環境づくりに走り回ってくれた監督、そしてただ一人の先輩にも感謝している。

 2018年の春、3年生になった恭佑に1年生の後輩ができた。

「1人、入ってきてくれました」

 入学時に自分を迎えてくれた先輩はこんな気持ちだったのかと、ことあるごとに思う。秋、7校から生徒が集まった「合同D」チームは予選リーグ2戦2敗に終わった。1月7日の舞台は、母校の名を売るチャンスでもあった。西軍主将、島本高校のHO甚川はしっかりと観る者を引きつけた。卒業後は、愛知学院大へ。東海大学リーグの有力校だ、きっとウォームアップから楽しい。

 あの島本高校が今や部員2名に。

 時の流れをそう嘆くこともできるが、2名でも、部員1名になってもチームが存続してきたことには、見えない、多くの人の力と思いがかえって感じられる。この日全国から集まった合同の仲間たちの元にも。来年の春、一人でも、2人でも後輩がラグビー部の門を叩きますよう。

 花園2週間の最後の日、全国高校大会決勝前の60分。前座のように見えるゲームも、ラグビーにとって、全国で楕円球に携わる人にとって大切な60分だった。

この試合のレベルがぐっと向上して久しい。才能発掘やプレー機会を保障する施策をもっと(撮影:宮原和也)