■迎えた2年連続の決勝。背番号18の吉岡の出番は試合終了間際に訪れた。
冬晴れの八幡山は、笑顔に包まれていた。
2月2日、22年ぶりの大学日本一を果たした明治大ラグビー部の卒部試合が行われた。紫紺と白のジャージを着た4年生が、後輩たちと胸を合わせる最後の機会。スタンドは父兄やファンでぎっしり埋まった。「やっぱりあいつら、格好いいな」。ラグビー部をまぶしそうに見つめるホッケー部のつぶやきが、なぜか誇らしかった。
主務の喜多川俵多がトライを決める。マネージャーの 古岡奈緒は左サイドを駆けた。最後は主将の福田健太。正面のゴールキックの寸前、後輩たちから「外したらおごってくださいよ」とプレッシャーをかけられる。「外したら焼き肉おごるわ」と喜ばせた隙に、キックを決めて大団円。明るくて勝ち気な福田らしい締めくくりだった。
2018年度は春夏秋冬と八幡山に通った。多くは午前7時前からの「朝稽古」取材だった。なぜ早朝に練習するのか。田中澄憲監督は一番の理由に授業を挙げる。「今の学生はきちんと授業に出席しないと単位をもらえない。自分が大学生だった頃より全然きつい」という。
学部の中でラグビー部との両立が最もきついのは農学部らしい。まずキャンパスが生田にあって、八幡山から物理的に遠い。その上、下級生の時は朝から夜まで授業が続き、研究課題もたんまり出るのだという。
PR吉岡大貴は宮崎・日向高出身。高校からラグビーを始め、九州選抜に選ばれるまでに成長したが、花園には3年間届かなかった。「農学部の枠でセレクションを受けないか」と誘われ、「明治みたいな名門にはなかなか行けない」と挑戦を決めた。両親も応援してくれた。
入学後しばらくは、心身ともギリギリだった。朝練のために午前4時半~5時に起きて準備し、7時20分ごろには練習を切り上げて生田に向かった。当時は洗濯などの雑用も1年生の仕事。
雑用や筋トレを終えてから授業の課題に取りかかり、徹夜が1週間近く続いたこともあった。
「あの時は結構、病みましたね。これじゃラグビーを続けるのはきついなって」。入学時に105キロほどあった体重は、一時2桁にまで落ちた。2年生からの進級時には単位が足りずに留年。
吉岡は優勝メンバーで唯一の「5年生」だった。
明大スポーツのサイトには「同期と勝ちたい、勝ちます!」の見出しで始まる2017年の吉岡の記事が残っている。1点差で敗れた帝京大との決勝では先発していた。あと少しで優勝に届かなかった同期の思いも背負って、5年目を戦おう。時に孤独を感じながらも部に残り、生田キャンパスでは遺伝子改良など生命科学体の研究にいそしんできた。
迎えた2年連続の決勝。背番号18の吉岡の出番は試合終了間際に訪れた。明大は最後のピンチの場面で、FW前3人全員を代えた。勢いに乗る天理大ボールのスクラムだ。2回崩れた後の3度目の正直。それまでの劣勢を覆し、吉岡たちは天理大を押し返した。「スタッフは僕らを信頼して、あの場面で出してくれた。押す気しかなかった」。あの一瞬には間違いなく、5年生の意地が詰まっていた。
もう一人の農学部のFL、朝長駿は「勉強でもやるべきことをやってきた分、メンタル的に強くなれた」と振り返る。
努力は報われないこともある。でも、つらい時に踏ん張るか踏ん張れないかで、人生は変わる。勉強とラグビーを両立させた二人の努力は、報われた。つらい時に踏ん張れたから、報われた。
吉岡はずっと、一つ下の後輩たちに心から受け入れられているか、不安だった。でも、優勝後に集まって飲んだ時、同じポジションの祝原涼介が「残ってくれてうれしかった。残ってくれたから、この結果になったと思う」と言ってくれた。その一言で、気持ちは楽になった。今は2年にわたって同期がいるという自分の境遇を幸せに思う。
卒部試合、みんなの後方で控えめに笑う吉岡を見た。色々な個性が一つになったから、明治は殻を破れたのだなあ。しみじみと、そう思った。
※加筆しました(2月8日15:19)
※冒頭マネージャーのお名前に誤りがありました。 正しくは古岡奈緒さんでした。申し訳ございません。お詫びして訂正いたします(2月8日17:41)