■「確かに彼は、チームメイトのことをよく見ていて、誰かがその日の練習中にしたいいプレーをさりげない会話のなかで褒める。こうした相手への敬意が伝わっているのが大事なのだと思います」
「ラグビーは人生の学校」と謳ったのは、『ラグビーマガジン』の2009年1月号。当時サントリーを率いていた清宮克幸や、いずれ日本代表のヘッドコーチとなるエディー・ジョーンズらの対談記事のタイトルだった。ここでは出席者がそれぞれの立場で「ラグビーを好きでよかった」の思いを語っている。
いまは亡き元オールブラックスのジョナ・ロムーは「異なる環境に育った者とも仲間として共通のテーマに取り組む。そうして他者を理解すること、他者に寛容であることを学べるのです」とし、実業家の顔を持つ元オーストラリア代表のジョージ・グレーガンは「実際、多くの人たちがラグビーからチームワーク、コミュニケーション、正直であること…といったインスピレーションを受けている」と続ける。
構成者はスポーツライターの藤島大さん。実際にお会いした際は、「ひとつの試合結果に即物的に反応しないほうがよい」などの意味で「インスタントな感情に流されるな」と教えていただいたことがある。
名手にとってのラグビーが「人生の学校」であるように、一介のラグビー記者にとっての取材活動もまた「人生の学校」。筆者の自宅の隅で眠る数十冊のノートにも、ラグビーを生きる人の至言が並ぶ。
ある日本代表経験者へ「上下関係」について聞いた時のメモには「敬意」と記されていた。どうやらその選手は、所属先の年下の同僚に頭髪を「わしゃわしゃ」と触られることがあるとのこと。その様子は本人以上に周りが気にするようで、「さすがにやりすぎでは」とたしなめる選手もいるそうだ。
それに対し、「わしゃわしゃ」の後輩の返答は「俺は○○ちゃん(当該選手のニックネーム)のことを尊敬しているからいいんですよ」。穏やかな先輩は、怒るどころか「一理ある」と頷いたという。
「他者に寛容であること」を無意識的に表現するこの「○○ちゃん」本人は、仲間から受けた「インスピレーション」についてこう話した。
「確かにその後輩は、私を含めたチームメイトのことをよく見ていて、誰かがその日の練習中にしたいいプレーをさりげない会話のなかで褒めています。こうした相手への敬意が伝わっているのが大事なのだと思います」
相手の世界観に自分を立脚したり、相手のよさを探してそれを好きになることが「敬意」なのだとしたら、その後輩は確かに「○○ちゃん(当該選手のニックネーム)のことを尊敬している」のだろう。
最近、本物の「学校」の廊下の映像が物議を醸している。ここでは男性教諭が男子生徒をぶん殴り、倒れたところを掴み上げ、止めに入った他の生徒の手を振り払っている。動画では生徒が苛烈な暴言を吐いていて、撮影者(もしくはそれに近しい生徒)が予めインターネット上での拡散を狙っていたかもしれなかった。
当事者たちのキャラクターや関係性、教員不足をはじめとする現代の教育現場での諸問題などを脇に置いて考えれば、このニュースからは本稿引用箇所でいう「インスタントな感情」を受け取ってしまう。無配慮に動画の隠し撮りを試みた側は稚拙かもしれないし、未成年の人物へ逆上する側も少し落ち着きが足らなかったような。各種報道では「生徒への体罰は悪かもしれないが、この青年は生徒ではないからやむなし」との論調も強まるが、互いの(もしくはどちらか一方の)「敬意」が前提にあれば人が人をあんな風には殴るまい。
ラグビーに生きる人も神ではないし、拳を振り上げたことのあるラグビー選手だってゼロではない。もっとも、さまざまな働き場のあるラグビーが相互理解の心を育むのは、先人の言葉に証明されている。「ラグビー精神が万事を解決する」と言い切るのは早計だろうが、「あの動画に映った人たちはラグビーを観たことがあるのかな」と想像するのはそこまでおかしくなさそうである。
いつだったか。尊敬する先輩の1人から「読者がラグビーを好きでよかったと思える原稿を」と激励していただいた。その時の文脈とは無関係かもしれないが、今度の動画からラグビーを思い出したことで「ラグビーを好きでよかった」と再確認できた。