1月29日、都内・日本青年館で清宮克幸監督が勇退会見を行なった。メディア約100名が待ち受ける中、登場した清宮氏は終始、笑顔。ヤマハでの8年間の思い出や、今後の事業などについて1時間あまり壇上で語った。ヤマハ発動機監督の後任には、現ヘッドコーチの堀川隆延氏が就く。
会見は午前中に始まり、第一部、第二部に分けて進行された。第一部では監督勇退について、第二部では今後、清宮氏が取り組む地域スポーツ事業について発表された。
清宮氏は「思い出ばなしを少々」と切り出し、8年前のヤマハ就任時の逸話を語った。
「時代は2010年、リーマンショックの影響でヤマハでは部の強化縮小が伝えられ、チームは崩壊寸前の状態でした。そんな時に私に監督就任の打診があった背景には、現会長の柳さん(弘之)の社長就任がありました」
「ヤマハはスポーツを生業にしてきた会社。スポーツはこれからもやる、会社の業績も回復させる。清宮さんの力を貸してほしい――柳さんはそうおっしゃった。心を動かされました」
「そしてもう一人、決定的だったのは、大田尾竜彦という男でした(現BKコーチ)。多くの選手がチームを去る決断をする中、彼は言いました。もし清宮さんがヤマハに来るのなら、僕はチームに残る。また清宮さんとラグビーがしたい――私はこの時、監督を引き受けることをその場で決断しました」(就任は1年後の2011年)
初めて磐田のグラウンドを訪れた時に見た写真が印象に残っている。
「2001年に、関西リーグで優勝したときの歓喜の写真でした。ヤマハはそれ以降、そのような最高の瞬間を体験していない。こういう表情をした仲間と一緒の写真をまた残したいと思いました。そして2015年に撮ったのが、これです。僕の宝物です」
2014年度、ヤマハ発動機は日本選手権優勝に輝いた。
「この日本一は日本中の多くのチームに勇気を与えたと思っています。『僕たちもできる』『やれば、できる』という希望を。人材や環境に恵まれないチームが、4年で日本一になった。これがヤマハでの、僕の一番の仕事だと思っています」
質疑応答では、ヤマハの選手採用基準について「個性。何か一つ、秀でているものがあること」と答えた。「選手たちのレベルには他チームに比べ劣るものがあったが、ヤマハしかやらないラグビーをやろうと言ってきた。選手はそれを100㌫理解してプレーした。海外選手がスーパーラグビーなどのプレーの仕方を引き合いに出すようなことがあると、モセ(・トゥイアリイ。古株の外国選手)が、たしなめてくれていた。『お前が間違っている。ここではヤマハスタイルをやるんだ』と。これは大きな力になりました」
2018シーズンの開幕戦、先発FLに入った粟田祥平は、関西学院時代は4本目のFB、WTBだったという。
「来年は、160㌢のHOを採りました。面白いですよ」
無名選手でもヤマハにいけばなんとかしてくれる。トップリーグをめざす学生たちの間ではそんな話が回っていたこともあった。「早稲田ラグビーで育った」と本人が語る独自のアプローチでチームを率いてきた名将がトップリーグから卒業する。新年度からはヤマハにアドバイザーとして関わり、他のチームで指揮を執ることはないとのこと。
この1月、女性と子供に特化した総合型スポーツクラブ『アザレア・スポーツクラブ』を静岡県で立ち上げ、その代表理事に就いた。『アザレア』では女子7人制チームも新たに創立する。今後の展望については 『アザレア・スポーツクラブ』へ。
アザレア・スポーツクラブ
https://azalea-sc.com/tryout/index.html