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【ラグリパWest】関西のチームが勝ってくれることがうれしい。 関西ラグビー協会 坂田好弘会長インタビュー

2019.01.26

2018年度の関西勢の躍進を振り返る関西ラグビー協会の坂田好弘会長

 多くのカテゴリーで、ここ数年とは違う色のジャージーが躍動した2018-2019年シーズンの日本ラグビー。その中で強い印象を残したのが関西勢だ。真紅のジャージー、漆黒の軍団などなど、スタジアムを沸かせた。
 その背景、この先について、関西ラグビー協会の坂田好弘会長に話をきいた

■この2018年度シーズンは関西勢の活躍が目立ちました。大学以外はみな優勝しました(※1)。

 関西協会の会長として関西のチームが勝ってくれることの方が、大阪体育大の監督をしていた時に勝つよりもうれしいです。
 トップリーグのカップ戦でもトヨタ自動車が勝ちましたね(※2)。これまで、高校を除くとトップにくるチームは関東が多かった。そのことを考えれば、関西のラグビーが全体的にレベルアップしたと言えるでしょう。

※1
●第9回全国中学大会(太陽生命カップ)
決勝 東海大大阪仰星40-19茗渓学園
●第98回全国高校大会
決勝 大阪桐蔭26-24桐蔭学園
●第49回全国高専大会
決勝 奈良高専14 - 12神戸市立高専
●第55回全国大学選手権
決勝 天理17-22明治
●2018年度トップリーグ リーグ戦
決勝 神戸製鋼55-5サントリー
●同年度トップリーグ カップ戦
決勝 トヨタ自動車43-34サントリー
※2
静岡、愛知、岐阜、富山は関西協会管轄。

■天理大は明治大に5点差負けでした。

 天理大は外国人留学生がいるものの、天理高をはじめ、関西の高校出身者を中心に構成されています。
 大学選手権を見た中では、天理だけが質の違うラグビーをしていました。まず抜きにかかる。当たりに行くのではありません。もちろん、外国人留学生がいて、彼らを突破役に使ってはいるが、基本的にはライン全体でフラットパスやアングルチェンジを織り交ぜ、走るスペースを作り出していました。ラグビーをよく研究していましたね。

 弟分の天理高も、体の小ささをカバーすべく、浅いラインを引いて、入れ違いで裏に出ようとしていました。全国大会の桐蔭学園戦ではトライを5つ取りましたね(※3)。敗れはしましたが見事な戦いぶりでした。
 天理のラグビーは日本のチームが目指すべき方向を示してくれていると思います。

※3
天理高は準々決勝で桐蔭学園に29-44で敗れる。トライ数は同じ5だった。

■大阪桐蔭は坂田会長の大阪体育大時代の教え子たちで頂点に立ちました(※4)。

 大阪体育大のラグビーが指導者たちにつながっているのはとてもうれしいことです。綾部監督はよくやってくれましたね。優勝もさることながら、よい選手たちを大学に送り出してくれていることも日本のラグビー界にとってはプラスです。決勝戦後のアフター・マッチ・ファンクションに私も出席しましたが、「いいラグビーをしてくれて、ありがとう」と伝えました。

 トヨタ自動車の高橋GM(※5)も教え子のです。彼もカップ戦を勝ってくれました。このトーナメントは意義づけが難しいですが、優勝は優勝です。ホワイト監督とともに、よくチームをまとめたと思います。

※4
綾部正史監督、山本健太、文原俊和の両コーチの首脳陣3人。文原コーチはプロップとして日本代表キャップ1を持つ。東京の日本IBMにつとめながら、休暇を利用して主にスクラムを教えた。

※5
高橋一彰GMは大阪体育大出身者として初の日本代表選手。プロップとしてキャップ21を持っている。

■会長が提唱している「オール関西」が大学を中心に出来上がりつつあるようです。

 大学選手権の決勝は秩父宮で見ました。試合後、天理のロッカーに行き、「感動的な試合をありがとう」とお礼を言いました。
 その時、天理の理事長と学長が挨拶に来てくれて、「オール関西で頑張りました」と言ってくれました。すごい言葉だと思います。「天理」ではなく、「関西」を出してくれた。それこそが私が望んでいたものなのです。
 1月2日、準決勝で帝京に勝った時も、小松監督は「ひと枠、増えました」(※6)と電話をくれました。うれしい知らせでした。

※6
天理大の決勝戦進出によって、来年度の選手権の関西出場枠は3から4に増える。これは選手権のシステムが変わった53回大会以降、4大会目で初めてのことになる。ちなみに関東の対抗戦は4、リーグ戦は3になる。

2012年に会長に就任して以来、特に大学の強化を進めてきました。

 私が会長になった時、関西協会の主な収入源は関西大学Aリーグの入場料でした。
 ということは、このリーグを強くして、観客動員につなげないと協会の運営は成り立たちません。お客さんが増えれば、チケットが売れ、興行収入がアップします。そうすれば、強化にお金が回せる。
 私の就任当初は関西の大学は総じて関東には勝てなかった。ですから、最優先したのは大学の力を上げることでした。

 ただ、強化をするといっても、最初はやはりお金が必要です。先立つものがないと動けません。私はスポンサーを集めました。今年度は15社近くに賛同してもらえ、3000万円くらいは集まりました(※7)。
 そのお金を中心にして、私自身が現役時代の留学などで縁の深いニュージーランド(NZ)と交流を持つようにしました。2017年の春には関西学生代表で遠征をし、昨年2018年にはニュージーランド学生クラブ代表(NZU)と試合をしました(※8)
 今年の3月末には関西学生代表を再び組織して、2回目となるNZ遠征を行う予定です。これまでの経緯から現地での滞在費は向こうがもってくれます。といっても、エア・チケットやジャージーを作ったりするお金はこちらもちになります。

 今考えているのは、最低でも2年に1回はこういう遠征を続けたいということ。関西の大学に入って、選抜メンバーになればNZに行ける、ということを高校生たちが関西に留まってくれるひとつの魅力にしたいのです。
 そうして、関西学生の力がついてくれば、弱いという理由でなくなった「東西対抗」も復活させていきたいですね(※9)。

※7
大口のスポンサーになったムロオ(大手チルド物流)の山下俊夫会長は近鉄、フルタイムシステム(宅配ボックス)の原幸一郎代表取締役は同志社大における坂田会長のチームメイトである。

※8
5月3日、京都・西京極で関西学生代表は33-47で敗北した。日本の大学クラブと違い、NZでは学部学生だけではなく、社会人であっても会費を払い、会則に従えばそのクラブでプレーできる。

※9
関東と関西の学生代表が主にその中間地点である愛知・瑞穂ラグビー場で行った対抗戦。1月末に行われ、三大学対抗戦のあった早慶明以外のトップ選手にとってはシーズン最後の試合になった。2009年の63回(東軍102-14西軍)を最後に中断されている。

■これから協会運営のカギは。

 大学を中心に強化がなされれば、次の段階は、その強さを維持するために協会が所有する専用球場を持つことに移ります。
 それがあれば、他競技とグラウンドの取り合いをすることもないですし、心おきなくスケジュールが組めます。
 関西のアメリカンフットボールは拠点を持っています(※10)。たいしたものですね。

 ラグビーには花園ラグビー場がありますが、今は東大阪市の持ち物です。優先的に使わせてはくれますが、当然ながら使用料がかかってくる。協会で専用球場を持つことができれば、その経済的負担も圧縮できます。
 もちろん、これは大変な計画です。スタジアムをいちから作るとなれば土地買収や建設など莫大な費用がかかります。アクセスの問題もあります。秩父宮ラグビー場は都心の青山にあるからこそ人が集まってくる。山奥では当座の費用は抑えられても。完成してからの観客動員に大きな差が出てしまいます。
 スタジアムというのは、そう簡単にできるものではありません。しかし、関西のラグビー発展のためにも、少しずつでも前進していけたらと考えています。

 今はチャンスが来ています。
 大学が勝ち始めました。私が思い描いた第一段階になりつつあります。
 天理大がこの強さを維持してくれれば、その戦いを見ようと人が集まります。リーグに活気が出てくる。同時に「打倒天理」に向け、京都産業大、立命館大、同志社大などが磨き合いに入ります。そうなれば、強化と同時に観客動員にもつながり、先ほど話したように、経済的な部分も潤ってくる。それが続いて行く運営をしていかなければなりません。

※10
 アメリカンフットボールは神戸市にある神戸市王子スタジアムと大阪の吹田市にあるエキスポフラッシュフィールドを2大拠点として春秋の大学や社会人のリーグ戦を運営している。

(取材/構成=村上晃一、鎮勝也)

★坂田好弘(さかた・よしひろ)
 1942年(昭和17)9月26日生まれ。76歳。京都市出身。洛北高でラグビーを始める。ポジションはWTB。同志社大から近鉄に進む。日本代表キャップは16。1968年、オールブラックスの下に位置するジュニアを23-19と現地で破った伝説の一戦にも出場。4トライを記録した。翌1969年にはニュージーランドに半年間留学。カンタベリー州、学生クラブ、バーバリアンズなどに選出される。NZ出身のウエイン・スミス(神戸製鋼総監督)、ロビー・ディーンズ(パナソニック監督)らとの親交も深い。現役時代の愛称は「世界のサカタ」や「空飛ぶWTB」。1977年、大阪体育大の監督に就任する。2012年にアジア人初となる「ラグビー殿堂」入り。同年、関西ラグビー協会会長就任。そして、70歳になるこのシーズンを最後に監督退任。2019年4月から会長として8年目に入る。日本協会の副会長でもある。