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【ラグリパWest】日立、栃木市、八幡山での集大成を鈴鹿で。 WTB尾又寛汰(Honda) 

2019.01.25

1994年11月2日生まれの24歳。(撮影/上野弘明)

 三重県は関西協会に属する。
 鈴鹿市にあるHondaはラグビー界では上方のすみ分けになる。

 尾又寛汰はその黒にアクセントの赤が入ったジャージーを選んだ。
「声をかけてもらえました」
 選手として根を下ろす街としては4つ目。西の方角は初めてだ。
「苦じゃありません。人と関わるのが好きなので、すぐにみんなと仲良くなれます」
 愛称「カンタ」は目をさらに細める。

 Hondaの2年目ユーティリティー。
 172センチ、84キロとそう大きくはない体は、器用さで満ちる。SOやCTBを経て、社会人ではWTBに挑戦する。
「すべて自分のラグビーに生きてきます」
 ポジションへのこだわりはない。

 チームは今季からトップリーグを戦う。
 尾又はリーグ戦では6節のコカ・コーラと7節の東芝に先発する。3と1の計4トライを挙げ、連勝に貢献した。

 若手を積極起用する流れのカップ戦では、5試合中、初戦のサントリーを除き、4連続で先発出場を果たす。
 NTTコミュニケーションズでは2、サニックスは3の計5トライをマークした。
 1月19日、シーズン最終となるコカ・コーラ戦ではノートライに終わる。
「トライがすべてではありませんが、ターゲットのひとつです。悔しいです」

 24-40と黒星をつけられたコカ・コーラ戦では非凡な才能を垣間見せた。
 後半4分、外側でボールをもらい、横流れから一気に立て直す。ディフェンダーの間に飛び込んだ。
 スタンドのファンからは「ギュィーン」と速さの掛け声が飛ぶ。前にひと伸びして、ゲインラインを突破した。

 50メートルは6秒1。
「短い距離はタイム以上に自信があります」
 入社以来、瞬発力アップに心を砕いた。バーベルのバーのみを背負ってのジャンプなどを続け、その効果を実感する。
 前GMで今季からトップリーグの担当部長として出向している伊藤英章は評する。
「スピード、ステップともによく、Hondaのモータースポーツを連想させてくれます」

 尾又は5歳から茨城県の日立ラグビースクールで競技を始めた。帝京大のSOだった父・寛人の影響がある。
 高校は隣県の國學院栃木に決めた。
 体験参加した練習の雰囲気がよかった。
 監督の吉岡肇は、尾又のSOとしてのプレーよりも、7人でスタートした寮生活の方をよく覚えている。
「ちょうどアパートから寮に変えた時だったのね。いうなれば先駆者。あいつと井出三四郎が寮長として頑張ってくれたのよ」

 中央大から栗田工業に進む同期のCTBとともにその運営に腐心する。
「短大の寮を借り受けた形だったから、最初はきれいじゃないとか、ごはんができあいだったとか色々あったのよ」
 吉岡はその苦労を口にするが、尾又は一笑に付する。
「僕たちが基準でしたから」

 7人から始まった寮は今、野球やサッカーなど他クラブを含め106人が暮らすようになった。ラグビー部は58人を数える。
 吉岡肇には教え子に感謝が残る。
「よく切り盛りしてくれた。あいつと井出がいなけりゃここまでの発展はないよね」

 そして、明治大に進む。
「僕の一族に3人、明治のラグビー部だった人がいました。それに、ひとつ上の塚原さんと田村さんが行ったこともありました」
 敬慕するPR塚原巧巳(神戸製鋼)やFB田村煕(サントリー)のあとを追う。

 大学では自身の希望でCTBに移った。
「丹羽さんがやらせてくれました」
 前監督の丹羽政彦に謝意がある。
 22大会ぶり13回目の大学選手権優勝は、尾又にもよろこびと励みをもたらした。
「感動もしたし、僕も頑張らないといけない、という気にさせてもらえました」
 トップリーグ自己最多タイの3トライを記録したサニックス戦は決勝戦の翌日、1月13日にあった。

 Hondaではレメキ ロマノ ラヴァを兄とも師とも慕う。日本代表キャップ8を持つチームの顔だ。
「寮の部屋にいるよりも、レメキさんの家にいる時間の方が長いです」
 6歳上の同じWTBからは技術的なことはもちろん、ラグビーへの向き合い方を学ぶ。
「土曜の夜から日曜いっぱいがオフの場合、レメキさんは、夜は飲んだり食べたりするけれど、朝は早く起きてトレーニングに向かいます。オンとオフがはっきりしています」

 プロ選手のレメキにとって、尾又は若手、社員選手とはいえ、ライバルに育つ可能性がある。抜かれれば、死活問題になる。
 それをわかった上で、トンガに祖を持つ30歳は尾又を可愛がる。先輩の器の大きさ、後輩の人間性のよさが示される。

 Hondaはトップリーグ再昇格1年目で16チーム中9位と健闘した。
 尾又は来季の個人的な抱負を口にする。
「コンスタントにゲームに出られるようになって、チームの勝利に貢献したいです」
 リーグ戦、それに続く順位決定戦を合わせた10試合中、出場は2試合のみ。その数を積み増していきたい。

 尾又は茨城、栃木、東京を経由して、三重にやってきた。親元を離れた暮らしの連続は、覚悟を磨く。その精神的な強さを下地に、ラグビー選手としてプレーを確立させたい。それは、Hondaのさらなる躍進にじかに結びついてくる。
(文:鎮 勝也)