はじまりは酒場の会話だった。
大晦日。大阪での忘年会である。
ビール大瓶400円。「天満酒蔵」が開いていた。小気味よい居酒屋に田村一博と藤島大はご機嫌さん。ラグマガ編集長と執筆&解説の名人は花園2回戦での好チームを語る。
八幡工の名が挙がった。
滋賀の県立工業校。読みは「はちまん」、愛称は「ハチコー」だ。ジャージーは青と黒の段柄。赤のヘッドギアがアクセントになっている。
明けて元日。3回戦ではモスグリーンに7-80。Aシードの東福岡(福岡)は強かった。
ただ、一筋の光明は残る。
前後半60分。そのうち、わずか5分ほどは敗者がスタンドを沸かせた。
後半23分、モールを約10メートル押し込み、唯一のトライを奪う。
勝者の藤田雄一郎は話す。
「ディフェンスは取られてしまいましたね。いいアタックに反応できませんでした」
花園優勝6回を誇る歴代4位チームの監督は、失点までに最大交替人数の8を使い切っていた。点差は70以上。それでも、敗者を讃える言葉を折り込んだ。
ラグビーどころの近畿にあって、八幡工のある滋賀の印象は、この地方の2府4県を潤す水がめ・琵琶湖ほどに強くない。
県勢の全国初出場は50回大会(1971年)。51都道府県から最低1校が出られる記念大会において八幡工がその先駆けになった。
戦績は1回戦敗退。國學院久我山(東京)に5-22だった。
それまで不出場の理由は、京滋(けいじ)代表という区割り。全国準優勝3回の花園などが中心の京都府に勝てなかった。
次の出場は10大会後の同じ記念大会。隔年を経て、64回から単独枠を得る。
県勢のこれまでの出場回数は38。校数は3。八幡工が27と群を抜き、光泉の8、膳所(ぜぜ)の3となる。
最高成績は3回戦進出。八幡工がこの98回大会も含め、7回記録している。今回は1回戦で朝明(三重)を14-12、2回戦で城東(徳島)を24-14と連破していた。
八幡工は琵琶湖の東側、湖東と呼ばれる近江八幡市にある。
名高い「近江商人」発祥の地のひとつ。その祖がデパートの大丸や高島屋、鉄道などを持つ西武、商社の伊藤忠などを作り上げた。
市は商業学校系が強かった野球が盛んだ。「ハッショウ」と呼ばれる八幡商は春夏14回、甲子園に出ている。その学校創立は1886年(明治19)。八幡工の1961年とは75年の開きがある。近隣の彦根市にある私立の近江は夏の選手権で準優勝。県下有数の公立進学校・彦根東もこの競技で名をはせる。
白球中心の土壌で、八幡工は開校と同時にラグビー部ができる。
著名な監督は岩出雅之。80年代終わりから、90年代中頃ごろまで、7年連続で花園出場を決めた。成果を携えて帝京大に移る。
そして、大学選手権9連覇を成し遂げた。
その指導の原点はここにある。
今の八幡工には「ツクバの頭脳。タイダイの気合」が溶け合っている。
部長の池浦文昭は筑波大出身。現役時代はプロップだった。20年以上チームに携わり、この3月、還暦の定年を迎える。
46歳の監督・小宮山彰人は大阪体育大時代、タテに強いフランカーだった。リフターがなかった時代のラインアウトも獲った。
フォワード出身の2人が教え込んだモールは、東福岡のインゴールを割った。
「0はなにをかけても0やけど、1はかけるもんによっては、100になる可能性があるんやで」
そう話したのは、「アキ」こと岡田明久。天理大でスクラムを主に教えるコーチだ。明治大からワールド(現在は廃部)でプロップとして活躍した。監督の小松節夫とは天理(奈良)の同級生。2人は57歳になる。
天理大は昨秋、7戦全勝で関西リーグを制した。最終戦では、優勝の可能性を残していた京都産業大に70-12と快勝する。
勝因を問われた小松は岡田を指差した。
外国人留学生でも、自分が教えるバックラインでもなかった。スクラムだった。
ラグビーの起点を制圧し、相手の強みを消し去る。
小松が漆黒軍団を教え始めたのは1993年4月。日新製鋼(現在は廃部)を辞め、コーチとして故郷に戻った。当時の所属は関西リーグ三部のC。金髪に近い選手もいた。
そこから四半世紀が経った。
1月2日、岩出の率いる帝京大を29-7で破る。同じくスクラムを押し込み、大学選手権10連覇を阻止した。94年の部史の中で、初の大学王座にあと一歩と迫る。
八幡工にはモールがある。
勝つためには、ゴール前で組む状況を多く作る。アクセスのためキッカーを育てる。サッカー部から引っ張ってきてもいい。
モールをさらに鍛え上げれば、同じ密着プレーであるスクラムにも効果は波及する。
1.5メートル以上押せない高校ルールではスクラムトライはない。しかし、チームの拠り所は2つに増える。
東福岡戦の5分を10分、そして15分にする。それを前半に広げる。後半ももたす。
八幡工は1、いやそれ以上のものを持っている。あとは100にするだけだ。
そして、それはどのチームにもあてはまる。フィフティーンがいるのなら、全国トップに駆け上がる可能性は、0ではない。
(文:鎮 勝也)