土井環奈(かんな)は2世選手だ。
父・崇司は高校ラグビー界の名将。
そのDNAを受け継ぎ、U18花園女子15人制のメンバーに選ばれる。20分ハーフの試合は東西対抗の形をとった。
156センチのスクラムハーフは、12月27日、花園第一グラウンドの緑鮮やかな芝を初めて踏みしめる。
「ラグビーをよく知っている子たちと一緒にプレーができて、楽しかったです」
父と同じ少し茶を帯びた大きな瞳が光る。
高2の春、東海大付属の仰星から翔洋に転校した。大阪から静岡にひとりで移り住む。
高3の冬、故郷に錦を飾る。
この試合は、2021年の女子ワールドカップを目指す世代の普及と強化を目的に実施される。15人制になって4年目を迎えた。
かんなの前には世界が広がる。
ジャージの色は青。白いスパイクにはオレンジの靴ひもを通す。両方の親指と小指には黒のテーピングを巻いた。
「ボールをまわす力が大きいのはこの2本です。あとの指で感覚を確かめます」
女の子らしい色合わせをしながらも、ラグビーに対して抜かりはない。
かんなは東軍(EAST)に属する。後半開始から交替出場する。
13分にはラックなどに素早く寄り、3回のパスをミスなく出し、トライを引き寄せる。
10-12の敗北の中、存在感を示せた。
父はメインスタンドから見守る。
「あの子がポイントに行くのが一歩遅れていたらトライになってへんね。すごいわ」
指導者の目線に、つい娘への愛が混じる。
父は仰星を花園優勝5回の強豪に育て上げ、今は相模で総監督をつとめている。
母・孝枝はバレーボール出身。2人はともに保健・体育教員となった仰星で出会う。かんなは運動の良血を受ける。
生まれは2000年10月10日。祝日「体育の日」も偶然ではないだろう。
生を受ける9か月前、仰星は初めて日本一になった。79回大会決勝では、埼工大深谷(現正智深谷)を31-7 で下す。
楕円球を追うには最良の環境があった。
幼稚園の卒業文集に書いた。
<ラグビー選手になる>
本人は照れ笑いを浮かべる。
「そんなこと書いた覚えはないんですが…」
母は花園のスコアボードを指差した。
「あそこで生まれた時から泥だらけになって遊んでいましたから」
改装前、得点板の裏側には芝や土がむき出しになった小さいスロープがあった。父が試合の間、そこが公園だった。
小4から交野(かたの)ラグビースクールで本格的に競技を始める。
テレビで食い入るように見たのは「マイケル・リーチ」。本物を目の当たりにしているため、当時から趣味はしぶかった。
仰星の中高でもラグビーを続けた。
しかし、高1で転校を決意する。
仰星は伝統として、中高も男女も関係なくともに練習をする。かんなは、よかれと思ったことは口にした。
ただ、100人近い部員の中、女子はたったひとりだった。
正論に対して、口で負かせない男子たちは、体の大きさや数の論理で来る。
「男の子が集団でくると圧がかかります。言いたいことが言えません。認めてもらえず、苦しかったです」
大好きな父が作ったチームへの思い入れ、そのよき文化を守ろうとする意志は、同じ境涯にある者でないと分からない。
その時、翔洋に女子だけのチームがあることを知る。兄弟校のため、転校の手続きは煩雑ではなかった。女子寮もあった。
昨年4月、静岡に旅立つ。そこには気兼ねなく話ができる同性の仲間たちがいた。
「来てよかったです。楽しいです」
自己管理はできていた。
お弁当はふたの裏についた米粒もキレイにとって口に運ぶ。揚げものは控える。寮生活に何の問題もなかった。
花園でのかんなの勇姿に拍手を送ったのは父母だけではない。中高でのコーチをした能坂尚生も同じだった。
「メールで『出ます、頑張ります』と連絡をくれました」
仰星は優勝旗の返還に来ていた。
戦後6校目の連覇を狙ったが、地区決勝で常翔学園に7-54で敗れていた。
この春、日本体育大に進む。
女子ラグビーの強豪は、2018年の4大大会(太陽生命ウイメンズセブンズ)では半分の2大会を制した。2年ぶりの年間総合優勝も達成している。
神奈川では父とふたりで暮らす。
「ごはんを作ったりしないといけないけれど、それは苦になりません」
得意な料理はジャーマンポテト。じゃがいも、ベーコン、たまねぎなどを炒め、塩コショウで味を整える。ラグビー女子にはもってこいの大皿料理だ。
大学生活に期待感をにじませる。
「常識をわきまえた立派な人間になりつつ、レギュラーを獲ったり、代表になりたい気持ちがあります」
かんなは家では唯一の現役選手だ。
姉・瑞季(みずき)はマネジャー。仰星3年時には95回大会の優勝を裏方として支えた。現在は同志社女子大の3年だ。
弟・瑶太は仰星中1年。ゴルフ部にいる。
5人の家族の代表として、健志台ではさらに高みへはばたきたい。同時にそれは土井家にとっても大きなよろこびや励みになる。
(文:鎮 勝也)