報徳学園の2年生エース、FB山田響。憧れの先輩、梶村祐介(右/サントリー)と写真におさまる
この秋、日本の裏側で成長した。
アルゼンチンのブエノスアイレス。
山田響(ひびき)は、第3回ユースオリンピックに参加する。
ラグビー競技で3位。
男子7人制ユースの初快挙に貢献した。
「僕の年齢で世界と対戦できることはありません。すごく貴重な経験になりました」
山田は17歳。兵庫・報徳学園の2年生は大学生らに混じる。チーム12選手中最年少。大会の対象年齢は14~18歳(2000年の早生まれまで)だった。
日本は10月13日~15日までの3日間で6試合を戦う。山田は28-5と大勝した3位決定戦の対南アフリカを含め5試合に先発。17-17と引き分けた第4戦の対アメリカも後半から出場した。
スクラムハーフとしてチームをつなぐ。左利きの正確な蹴りでキックオフも任された。
「エトウさんやナカニシさんがいてくれたので、緊張もせず楽しくできました」
山田にとって高校の「イチサン」だった江藤良が明治大から、中西海斗が流通経済大から加わっていたのは幸いだった。
唯一の高2生抜擢の理由は、監督の梅田紘一の強い推薦にあった。昨年、江藤と中西の視察に報徳学園を訪れる。昔なじみのコーチ・泉光太郎は話しかけた。
「3年生もええけれど、1年生にも、ものすごいバネをした子がおるよ」
山田の50メートル走は6秒1。大きなストライドで飛ぶように走る。
昨年度の全国大会では1年生ながらメンバー入り。2回戦の御所実戦では正スタンドの森元翔紀に替わって、後半開始から出場。22-17のBシード倒しに加わった。
泉は起用の理由を話す。
「森元はパスをしながらちょこちょこ前に出ていく。山田は一気にぎゅーんときます。そのスピードを考えました」
山田は1回戦の富山第一、そして20-50で敗れた8強戦の東海大仰星にも交替出場する。5試合中3度、花園の緑芝を踏んだ。
梶村祐介は別の長所を見い出す。
11月24日のロシア戦(35-27)で日本代表初キャップを得た先輩は山田より6歳上だ。
「ランニングコースがいい。走りながら空いているところをしっかり探しています」
サントリーの新人センターは会社の有給休暇を使って母校でコーチングをしていた。
山田は科学技術との県大会決勝でもフルバックで先発。能力の高さを見せつける。
後半12分、森本のキックパスを受け、インゴールに飛び込む。
「その前に右を攻めたので左に移動しました」
3分後、ウイング・下村寛太との間にディフェンダーが入っていると見すますや、ショルダーパスで5点をアシストした。
「僕は細いんで、空いているところをできるだけ見つけるようにしています」
遠近に限らず梶村の評価する視野の広さがある。
観察は頭を使う。それは勉強にも派生する。
周囲の噂では、学年トップ、10番程度の成績を持つらしい。
山田は答える。
「いや、30番くらいです」
盛らない正直さも美徳のひとつだ。
ラグビーに長けた血は父・賢(たけし)から受け継いだ。
男親は明石清水で高校日本代表候補に挙がる。大阪教育大を経て、消防士になる。
大学の後輩であり、御影(みかげ)監督の榎本誉展(やすのぶ)は人柄を語る。
「ごはんに連れて行ってもらったりお世話になりました。山田さんは卒業していましたが、同じ兵庫出身の後輩が少なかったこともあって、可愛がってもらいました」
榎本は星陵出身。現在、県大会運営のトップ、委員長をつとめている。
父は現在、消防と並行して明石ジュニアラグビークラブの代表をつとめている。
山田も小中とこのクラブに籍を置いた。
兄弟は3人。兄・駆(かける)は関西大の2年生スタンドオフだ。弟の暉(ひかる)は小4。同じクラブで楕円球を追いかける。
自宅は明石の魚住(うおずみ)にある。
この地域は鯛やタコなど魚介類の美味しさ有名だ。山田はJRと置き自転車で1時間30分かけて学校に通う。
「兄が行っていましたし、花園に出たい、と思いました」
報徳学園は12月27日から開幕する第98回全国大会に出場する。3年連続44回目。前年度を含め8強は5回ある。最高位は77回大会(1997年度)の4強だ。
山田は目標を掲げる。
「全国制覇です」
チームはBシードに選ばれ、30日の2回戦で大阪朝高と日川の勝者と対戦する。勝てば日本航空石川と当たる公算が高い。同じくBシードでトンガ人留学生を擁する。
厳しいゾーンを抜けるためにも山田の奮闘は不可欠だ。ユースオリンピックの経験から、今はウエイトトレに精を出している。
「体重やコンタクトの大切さを感じました。背中と足の2部位を中心にやっています」
引いたり、体を支える力がつけば、さらに決定力は増す。
「あいつがボールを持つとわくわくします。今度は何をしてくれるんやろう、ってね」
泉の期待は大きい。
銅メダルの経験を生かす時がやってきた。