東海大WTB清水?太郎。最後の最後まで全力を尽くす。(撮影/松本かおり)
ジュニア選手権優勝を果たした明大LO舟橋諒将(写真中央)。(撮影/松本かおり)
こっちまで泣いちゃうよ。
4年生のウイング、清水?太郎は涙をこらえ、「くやしいです」としぼり出した。
11月24日、明大・八幡山グラウンド。
東海大の4年、BKリーダーの清水は14番のジャージーを着てピッチに立っていた。
翌日の関東大学リーグ戦1部の優勝を決める東海大×大東大に出場しないことを意味していた。
大一番の前日におこなわれた関東大学ジュニア選手権決勝、明大×東海大。清水は東海大のゲームキャプテンを任された。
試合には26-42で敗れる。
しかし東海大は、FWが結束して何度もモールで押し込んだ。全員が体を張ってタックルした。
試合後、清水は言った。
「負けてしまいましたが、熱さは伝わったと思います。明日(のAチーム)はきっと、東海らしく、前に出てディフェンスしてくれる」
小学生のとき、グリーンクラブラグビースクールで楕円球に出会った。中学生になり、神奈川DAGSで本格的にプレーを始める。桐蔭学園高校を経て、東海大へ入学した。
ラストイヤーの今季、最初はAチームでプレーした。しかし、シーズン途中からメンバーを外れる。
でも、最後まで上を狙い続けた。
Aチームの決戦、大東大戦に23番(のジャージー)でいくぞ。
ジュニア選手権決勝と試合が続くが、いけるか。
そんな話もあった。でも、なくなった。
BKリーダーとして試合で仲間を牽引したかった思いと、それを果たせなかった現実、下のチームを束ねる責任感。
すべての思いをひっくるめて「くやしいです」と呟いた。
ジュニアチームの主将として清水はみんなに言った。
「大東大戦にいい流れを作る試合をしよう。4年生にとっては引退試合になるかもしれないから、これまでの思いをすべてぶつけよう。そう話しました。自分自身、10年間必死にやってきたラグビーのラストゲームという思いでやりました」
清水とジュニアメンバーの思いは届いた。
翌日、東海大は大東大に28-21と競り勝ち、優勝を決める。最後はモール、またモール。自分たちのスタイルを貫いて勝利をつかんだ。
自分たちのプレー、気持ちが、チームの力になる。
そう思ってピッチに立っていたのは明大のジュニアチームを率いた4年生のロック、舟橋諒将も同じだった。
昨季は3年生ながら関東大学対抗戦に5試合先発も、今季は1試合しか出場できていない。「ボールキャリーやアグレッシブさなど、自分の強みを出せなくて悩みました」と言う青年はしかし、リーダーの役割はしっかり果たした。
「下のチームの頑張りは部の力になる。(大学選手権で準優勝した)昨年、あらためて学んだことです。先輩たちの姿を見ていました。Aチームでなくても、最後までそこを狙って必死にやる。自分たちも同じようにやろう、と」
試合後全部員の真ん中で、賞状を手に、記念写真に収まった舟橋は言った。
「チームは3冠を狙っています。ジュニア選手権。対抗戦。そして大学選手権。そのうちの最初の1冠をとれてよかった」
責任を果たした男は、「ここからの(大学選手権決勝までの)残り数週間、一日も無駄にしたくない」と言った。
清水や4年生のたちの姿を見て、東海大の後輩たちは最上級生になったとき、自分たちも同じように振る舞うだろう。
2017年度シーズンを思い出し、舟橋ら今年ラストイヤーを迎えている明大の4年生たちはワンチームになろうと日々を過ごす。
大学ラグビー部の伝統とは、そうやって築かれていく。
先日まで、『早稲田ラグビー100年』の編集に携わった。長い歴史を持つ早大ラグビー部のOBたちにたくさん会い、継承されているものを感じた。
1976年度にチームを大学日本一に導いた豊山京一主将は「キャプテンシーも技術も、なんもかんも先輩から学びました」と言った。
1年生のときの記憶を話した。そのときの4年生WTBの想い出だった。
「佐々木敏治さんという先輩がいました。人格者で、他校なら間違いなくレギュラーの実力もあった。でも、WTBに強烈なライバルがいたから4年生でただひとり、試合に出られなかった。そんな立場でしたが、早明戦1週間前の紅白戦で、佐々木さんが下のチームの主将を務められた。素晴らしいキャプテンシーで全員を熱くさせてくれました。私も同じチームで出ました。あの姿が忘れられない」
40年以上経っても忘れられない先輩は、部の歴史の中に、大きな足跡を残しているわけではない。
けれど、クラブのスピリットを紡ぐ役割を立派に果たした。
そんな存在は、いまも昔も必ずいる。
【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。1989年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。