ラグビーリパブリック

やっとつかんだ信頼の5分。早大PR千野健斗、秩父宮のピッチへ。

2018.11.28
元CTBのPR千野健斗。残り少ない日々に全身全霊をぶつける。
(撮影/松本かおり)
 悶々とした長い時間を超え、やっとつかんだ時間は5分ちょっとだけだった。
 でも、それは信頼と成長の証。早大4年、プロップの千野健斗は、自信を得た。
 11月23日の早慶戦。早大は21-14で慶大を破った。
 最後の最後まで勝負の行方がわからなかった試合の終了を告げる笛が鳴った時、赤黒ジャージーの16番はピッチに立っていた。
「やっと、です(出られました)」
 21歳の若者は、そう言って控えめに喜んだ。
 千野は、昨シーズンから背番号16を背負い続けている。しかし、秩父宮のピッチに縁がなかった。
 2017年シーズン。開幕からリザーブ席に座り、途中出場を続けるも、聖地の芝を踏んだのは開幕から4戦目の筑波大戦が最後。それも、33-10と試合が決まってからの5分強だけの出場だった。
 以後、相模原でおこなわれた成蹊大戦には出場も、秩父宮での帝京大戦、慶大戦、明大戦はベンチに座ったままフルタイムの笛を聞く。大学選手権の東海大戦でも同様だった。
 2018年シーズンも続いた。地方開催だった青学大戦、日体大戦には途中出場も、今季初の秩父宮開催だった帝京大戦ではふたたび80分間ベンチに。
 そんな状態がやっと終わったのが、先の早慶戦だった。
 なんで? 俺だってやれるのに。
 いや、任されないのは自分の責任。信頼を得られていない。力が足りない。
 そんな思いが交互に浮かんだこともあった。
 しかし秩父宮=ビッグゲームで起用されないのは、信頼と実力が不足しているからと自分にベクトルを向け、努力を続けた。
 その結果が、大舞台で任された5分だ。少し深まった信頼を裏切らないよう必死で戦った。
 千野は短い時間にすべてを出す覚悟でピッチに出た。
「クロスゲームになるのは最初から分かっていました。(出られたら)自分の責任を果たそうと意識していました。タックル。ボールタッチを増やして少しでも前進する。そして、スクラムを安定させよう、と」
 出場中、2度あったスクラム。1度目はアーリープッシュで相手にフリーキックを与えてしまった。
「(直前まで1番だった)鶴川さんに状況は聞いていたのですが、バインドで行きすぎて引かれてしまった。駆け引きのところで焦りが出てしまいました」
 2度目はラストプレーだった。慶大が早大陣ゴール前に攻め込んだもののノックオン。そのスクラムから球を出し、外に蹴り出せば試合を終えられる場面だ。ただ、タイガージャージーも全力で押してくるシチュエーション。
「もう一度、ヤマ場があると思っていました。1回目のスクラムでの反則を取り返そう、修正しようと思いましたが、消極的にならず、押し込むつもりでした。同じポジションには出られない人もたくさんいる。その思いを背負ってぶつけました」
 いい形で組めた。頭を突っ込んだまま勝利のホイッスルを聞いた。
 4歳の頃、父がコーチをしていた江戸川区ラグビースクールに入った。進学した成蹊中、成蹊高でも楕円球を追う。一般入試で早大に進んだ。
 大学1年時はCTB。2年時にFLへ。PRになったのは3年生からだ。
 ルーキーイヤーの春にAチームで出場したこともあるが、この4年を振り返り、「うまくいかなかったことの方が多かった」と言う。
「FLへの転向は、1年下に将伍(CTB中野)が入ってきてレベルの違いを感じていたときだったので歓迎でした。でもFL転向後、日体大戦には途中出場できたのですが、それ以降出られない時期が続きました」
 弱気の虫が顔を出したのはその頃だ。
「中だるみというか、このままBチームで終わっていくのか…と思ったりしました。でも、そのとき、前の監督の(山下)大悟さんに『お前は何になりたいんだ』と言われたんです。それで、赤黒を着て日本一になるという夢から目をそらしていた自分に気づいた」
 ファーストジャージーへのこだわりを持たないのなら、この部にいる資格はない。そう言われ、「夢を捨てることは絶対にしてはいけない」と、もう一度上を向いた。
 3年でPRへの転向を進められ、決断したとき、1学年上のレギュラー、鶴川達彦が5年目もプレーすることは決まっていた。
「壁は大きい方が、挑戦する価値があると思い、覚悟しました。そういう状況をプラスにして超えていこう、と」
 千野同様、CTBからPRに転向した鶴川はいろいろ教えてくれたが、やはり大きな存在だった。
「うまくいかなかったことの方が多いとは言いましたが、(転向などで)他の人よりチャレンジすることが多くできたとも思っています。信頼は、練習や試合で結果を出さないと得られない。どんなときも闘争心を欠いてはいけない。いろんなことを学びました」
 曲がりくねった道を歩んできた中で、あらためて抱いた思いがある。
 チームファーストの気持ちで常に戦ってきた。だけど、やはり勝利の瞬間にピッチに立てていないと、ひとりのプレーヤーとして心の底から喜べない自分がいる。
「チームの勝利に貢献したい。プレーで貢献し、日本一になるとき、ピッチに立っていたい。それが自分の最大の幸せ。そう思って、日々の練習で全身全霊をぶつけ、アピールしていきたいと思っています」
 大学選手権決勝までの1か月半。残りの日々に完全燃焼を誓う。
 毎試合応援に駆けつけてくれる両親は、リザーブ席に座ったままのときも、「次を楽しみにしているよ」といつも前向きな言葉を掛けてくれた。
「申し訳ないな、と。気をつかわせて」
 ラグビースクールのコーチも務めていた父・克彦さんには、多くの影響を受けてきた。テレビマンとして最前線で活躍してきた父の仕事に対する話を聞いて、熱を感じることが何度もあった。
「自分も、何に対しても情熱を持って取り組みたいですね」
 大手テレビ局勤務時代、父はドキュメンタリー番組の製作で世界一の山、チョモランマにのぼった。
 自分はいま、大学日本一という山のてっぺんに向かっている。
 大学入学時より25キロ増えた体重は重荷ではなく、そこへたどり着くための武器だ。
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