ラグビーリパブリック

トップリーガーが集結する虎の穴。「竹田塾」運営のトレーナー・竹田和正さん。

2018.10.08
いろんなスポーツのトッププレーヤーを支える。(撮影/多羅正崇)
 一度は見たことのあるスター選手たちが、見たことのない運動に苦悶している。 
 神奈川県内のとあるビル。1、2階が無店舗のため廃ビルのようだが、その最上階には別世界がある。ピーク・パフォーマンス・ラボラトリー「竹田塾」。
 清潔なワンフロアのジムに足を踏み入れると、そこでは誰もが知るトップリーガーたちが、空気椅子のような姿勢のまま顔を紅潮させている。大型ジムマシンは見当たらない。
 視線を左に移すと、そこにはJリーガーや女子バスケット界のスターらの姿もある。千葉や群馬などのほか、神戸から通う者もいる。 ジム内の片隅には、元サッカー日本代表の川口能活、セルティック時代の中村俊輔らのユニフォームがかかっている。
 一部の選手は、床に敷いた板の上をジャンプで往復するという、見たことのない運動を繰り返している。このジムの主が、20代で考案したトレーニングだ。 
「そんな休んだらラーメンだったら伸びちゃってるね」 
 フロア中央の椅子に腰掛けていた男性が、選手に声をかける。表情は楽しげ。竹田塾を経営するトレーナーの竹田和正さん(50歳)だ。 
 山田章仁(パナソニック)などのトップリーガーだけでなく、大学ラグビーチームでは慶應義塾大、青山学院大、成蹊大、学習院大などに関わったことがあるから、知っている人は知っている。 
 竹田さんにトレーニングのテーマを聞いた。
「『自分の裸の身体を、いかにパフォーマンスを落さずに長く使えるか』です」
 ただ、竹田塾は身体を鍛えるだけの場所ではない。たとえばこんなことがある。
「あー、間に合わなかった!」
 突然トップリーガーのひとりがそう叫び、フロアに崩れ落ちる。その日、竹田さんは彼に「60分以内にトレーニングメニューを2周すること」という目標を課していた。しかし2周が終わったのは61分後。1分の超過だった。  
 しかし竹田さんにとっては予定通り。あえて1分超過するメニューを組んでいた。
 なぜなら彼に次回のトレーニングでその1分超過を克服し、メニューを60分以内で終えてほしかったから。彼の性格上、それが可能であることも、その1分超過の克服が自信になることも、周囲のトップリーガーの刺激になることも計算に入れている。  
 またあるとき、竹田さんは言葉で選手のメンタルを揺さぶる。
 その選手は前回、板の上を往復する特殊運動を、5回連続で成功させていた。すると竹田さんは次回のトレーニングで意外な提案をする。 
「スクワットをやってから、1回で決めてごらん。それができたら帰ってもいいよ」
 その選手はこう考える。これは前回に5回連続で成功させている運動だ。1回なら簡単にできるはずだ――。すると竹田さんが付け加える。ニカッと笑う。 
「ただミスったら、ここから1時間スクワットやろう」(本当は失敗してもお互いやらないことは分かっている)  
 竹田さんはこうした意図的な会話をフロアにいる全選手へ仕掛けていく。 
「女の話とか、ぜんぶの会話に意味があります」 
 きついメニューをこなし、汗をかいて筋肉痛になることがトレーニングではない、と竹田さんは言う。楽しげに、メンタルは面白い、とも言う。
「僕はそこ(メンタル)を操って、できることをできなくしたり、できないことをできるようにします。それが選手を伸ばすことなので」  
 指導法だけではなく、トレーニングメニューも独創的だ。 
 選手に渡されるメニュー表は、一文一文が長い。メニューというよりは文章による詳細な指示。指示のなかには「母子球のみ」「音3回きく」といった独特の注意点も散見される。 
「この選手にはこの動きが必要だと思ったら(そのメニューを)作ります。よく『そのメニューはなにを参考にしたんですか』と言われるんですけど、全部自分で考えました」  
 その独創的なメニューを、選手一人ひとりに合わせて用意する。前出の通り、メニュー自体にメンタル強化の隠し味を仕込むこともある。
 ただメニュー作りは、机に向かって唸りながら作るのではない。直感的に行うのだという。
 出身は神奈川県だ。相模湾に拓けた秋谷(横須賀市)が故郷。実家は海まで徒歩1分。大楠小学校時代は毎朝防波堤へ行って釣り糸を垂らすほど、釣りが大好きだった。 
「小学校に行く前に、毎朝5時に起きて海に行ってました。顔なじみのおじさんがいつも僕用の竿を用意してくれていたので、釣った魚をおじさんにあげてから、『行ってきまーす』って言って学校へ」 
 4歳から釣りをするうち、手にしたものがある。未来を予測する習慣。カンは存在するという確信。
 いつしか「今日は釣れない」「これから海が荒れる」などと分かるようになっていた。しかしこれらは特殊な能力ではなく、「海のそばに育てば誰でも分かること」と竹田さんは言う。 
 しかしそんな幼少期に身についた「カン」「予測する習慣」を、大人になっても執拗に磨き続け、やがて試合の冒頭を見て最終スコアを言い当てるようになった人は少ないだろう。 竹田さんいわく、「みんな人間ができる範囲を低く見過ぎなんです」。
 高校卒業後の竹田さんは、トレーナーになるべく解剖学や生理学も習える指導者養成学校へ進んだ。トレーナーの志は、幼少期に家族が脳梗塞で倒れたことも関係していた。家賃1万6800円のアパート暮らしをしながら2年間学び、アルバイト先では「目」を養った。 
「(アルバイト先は)スパがメインのスポーツ施設で、僕ひとりで仕事ができるようなジムでした。お客さんと仲良くなれて、一人ひとりの筋肉と顔が覚えられる。そこで『目』を養ったので、いま選手がジムに来ると変化が分かります。失敗してもいいので、実験もいっぱいさせてもらいました」  
 卒業後に就職したジムで引き抜きにあい、会員3000人規模の大規模ジムへ移籍。600人を担当する人気トレーナーを経て、20代でパーソナルトレーナーとして独立。川口能活らに関わるまでになった。 
 パーソナルトレーナーを続けながら、カンは磨き続けた。試合のスコア、トレーニング中の選手が倒れる方向までを、予測の練習に使った。  
 そうして磨き続けた「予測」「カン」の力は、いま竹田さんの仕事の根幹を支えている。第一に、メニュー作りに欠かすことができないのだ。
「何千通りできるものから(トレーニング内容を)選んで、メニューを作っています。できたメニュー表が10枚あったら、それを誰に渡すかで何万通りになります。それはもうカンじゃないですか」
 選手の怪我を予測することもある。
「考えるより先に、言っちゃうんです。『靭帯切るよ、危ないよ』って。たとえば、麺を茹でてから出来が分かっていた人が、麺を打った時点で捨ててしまうとか、小麦粉を触った時点で分かるとか――。そういう風になっていくものなんです」
 分かってしまうからこそ、国民的スター選手の手術ミスを公然と指摘して、手術をした大病院と訴訟騒ぎになったことがあったが、その話は少々危ないだろう。
 
 40代には、本当の危機があった。腰が緊急手術を要するほど悪化し、仕事の継続が困難になったのだ。
 すると選手たちから指導継続の要望が集まった。竹田さんから出向くことは難しくなったが、選手から出向くことはできる。そこで5年前、術後明けに開いたのが『竹田塾』だった。
 
 男女更衣室のロッカー、ゴムの床材、冷氷機などは、竹田さんの指導続行を願っていた選手から寄贈されたものだ。  
 選手の前では道化を演じるのだと、竹田さんは言う。 
「家ではひと言も喋らないです。つまらない男ですよ」 
 そう言っていたずらっぽく笑う。どこまでが本音なのかが分からない。家では夫でもあり、二人の娘(高校生と大学生)の父でもある。
 トレーナーとしての信念は「諦めない」。竹田さんのトレーニングメニューは日々更新されていく。しかし根っこにあるその気持ちは幼少期から変わらない。
(文/多羅正崇)
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