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いつまでも司令塔。京都市立凌風小中学校校長・稲田雅己

2018.07.09
京都市立凌風小中学校の校長をつとめる稲田雅己さん。
 現役時代は日本代表に近いSOだった。教職の道を進み、校長になる。
 昔も今も「司令塔」。その姿は変わらない。
 稲田雅己は6月で53歳になった。
 京都市立凌風(りょうふう)小中学校の責任者として、じき4年目の夏を迎える。
「順番が来ました。僕も育ててもらったから、次は育てていかんとね。コンピューターやロボットが発達してもそれを使いこなすのは人間です。だからこそ、学校教育をちゃんとしていかんと。この国は滅びます」
 義務教育9年を一貫で行う凌風は2012年4月に開校した。中学校の陶化、小学校の陶化、東和、山王の4校が合併する。ベージュに彩られたモダンな5階建て校舎は下町にある。JR京都駅から南へ徒歩10分。市街を東西に結ぶ九条通りに面している。
 最上級生を「9年生」と呼ぶ一貫校のメリットを稲田は説明する。
「小学校と中学校でやり方が変わらず、生徒たちを同じ方向で育ててあげられます。小さい子供たちは9年生の姿を毎日間近で見て、15歳のゴールがわかります」
 生徒数は722。ステージを3つに分け、1〜4年は学びの基礎。5〜7年はその充実。8〜9年は上級学校への準備とする。
 公立としては新しいシステムに稲田ら教員団の努力が溶け合って、市内の統一テストではトップクラスに浮上する。
<豊かな才能を持っていても、良好な教育を受ける機会がなければ、絶対に人生は成功しないと思います>
『同志社大学ラグビー部百年史』に載る陳尊道の一文である。第7代主将(1919年)で「台湾ラグビーの祖」と言われた父・清忠を書いた。淡水中学(現淡江高級中学)で英語を教え、後に台湾協会の会長となる父の生きざまを見て、勉学の重要性を伝える。
 稲田は、次世代の「良好な教育」のため、教職員82人を気遣う。
「学校を大事にしようとすると、教職員のモチベーションが大切なんです」
 面接や日々の生活で「適材適所」を探す。
「プロップに『ボールを蹴れ』といっても、できひんよね? 周りもそれを望んでへんし」
 ラグビーでの学びが生きている。
 同じ教員でも一般的に小学校は、すべてをひとりでやるので、理解させる能力=授業力は高い。中学校は急カーブで成長する生徒の対応が多いため、生活指導は上手だ。
 校内で、稲田は仲間たちの個性を尊重しながら、その融合を目指している。
「ひとりやったら、救える生徒は500人。でも50人の先生を育てられたら、その数は何千、何万に広がっていきます」
 モデル校として注目を集めるため、見学者は多い。校長室のホワイトボードには予定がぎっしり書き込まれている。
<5日=浦添の教育委員会。11日=島根の県会議員団。19日=池田の教育委員会>
 九州沖縄、中国、同じ近畿など距離に関係なし。稲田の年間出張日は120にものぼる。
「誰かが頑張らんといかんからね」
 疲れを表には見せない。
 今につながる気力や体力を充実させたのはラグビーである。
 高校入学時、それまで親しんだ野球部がなく、競技を始める。大阪・門真南(現門真なみはや)は新設校。3年間ずっと主将だった。
「体育の先生をしたかった。体動かして、仕事になって、楽しそう。憧れやった」
 卒業後は大阪体育大に進む。
 当時の監督は、同志社大OBでもある坂田好弘(現関西協会会長)だった。166センチと小柄、無名の府立出身ながら、伸びるキックや正確なパスなどを評価され、1年からレギュラーに抜擢される。
 4年時の第24回大学選手権(1987年度)では、主将としてチームを初の4強に導く。9回目優勝を果たす早稲田大に3−31で敗れるも、「ヘラクレス軍団」の礎(いしずえ)を築いた。U23日本代表にも選ばれる。
 卒業後、プレーは京都市役所で続け、市中学の体育教員、ラグビー部監督として過ごした。西陵、大原野で計13年、陶化で8年。最前線での指導は21年を数えた。
「あの頃は体力があったから、やんちゃな子相手でも練習中にガーンとぶつかったったらそれで終わり。おとなしくなってくれた」
 その後、市教育委員会で3年。新設の凌風に教頭として赴任、2015年4月より三代目校長となった。49歳でのトップ就任は、市の最年少記録である。
 多忙な日々の中、励みになるのは楕円球とのつながりだ。
「ウチダとかリキヤは京都に帰ってきたら、ここにようきよる。ホリコシなんかも顔を出してくれますね」
 日本代表、パナソニックで活躍するSH内田啓介、SO松田力也は陶化時代にコーチングをする。特に松田は最後の教え子になった。
 堀越正己は立正大監督。日本代表候補合宿でHB団を組んだりした。早稲田大と選手権準決勝を戦った時は4年と新人だったが、30年経った今でも関係は続いている。
 校長職にありながら、夢想することがある。
「今、ラグビーチームを任されたら、強くする自信は結構ある。もちろん、そんな話はないし、来ても受けられませんけどね」
 同志社大、そして陶化中の卒業生でもある平尾誠二は言葉を残した。
「ええ指導っちゅうのはなあ、選手のモチベーションをどう持たすかなんや。理論や理屈が先やないんやな」
 モチベーションとは信じこませること。すなわち、指導者の人間性だ。
 人中で、もまれ続けて生きた30年。稲田は平尾の理想に近づいている。
 その実践を見てみたい気は、確かにする。
(文:鎮 勝也)