木村雅裕さん(左)と武広英司さん
えらいこっちゃ。
木村雅裕はんが異動やて。
近鉄ライナーズを副部長として仕切ってはったおひとは、近鉄タクシーに移る。
辞令は6月18日に下りた。
「規定路線ですわ。チームが軌道に乗るまで、ということやったんよ」
近鉄ホールディングス内での職階から「課長」と呼ばれる51歳は、穏やかやった。
ライナーズはトップリーグで最下位16位。今年はトップチャレンジで戦う。降格の責任をとって、監督の坪井章はんは辞任。今は映像系の近鉄ケーブルネットワークにいてはる。
「坪井だけに責任を負わされへんもんね」
課長はニック・スタイルズはん=スーパーラグビー・レッズ前ヘッドコーチ=を呼んできたりして、新体制を整えた。
主将のHO樫本敦はんは心配する。
「話を聞いた時に、木村さん、どう思ってんねんやろ? 大丈夫かな、と」
さすが三人娘の父親。優しいわ。
まあ、せやけど、紙切れ一枚で動くのはサラリーマンのさだめ。その代わり、定年までの給料や社会的地位などが保証されてる。
課長もそれはわかっとる。
「丸11年もチームにいさせてもらったしね。大往生やと思うよ」
大阪にある通称「キンタク」は150を超えるグループ会社の中核や。他界されたラグビー部OBの甲佐史郎はん(大阪大)や佐々木恭はん(日本大)らが社長をつとめた。課長は取締役で赴任する。悪い異動ではない。
熱いファンの最右翼、「近鉄ライナーズ応援くらぶ」の武広英司さんは言い放つ。
「もう廃部やな」
映画『アウトレイジ』に出てきそうな愛称「団長」にとって、課長はそれくらい大きい存在やった、ちゅうこっちゃ。
「ライナーズは元々ガチガチやってん。わしらの応援も最初はええ感じを持ってはらへんかった。せやけど、木村さんが来てから変わったな。認めてもらえた」
まあ、近鉄の本業は安全安心の鉄道やから、どうしても固くなる。その中で、課長はチャームポイントのたれ目を生かし、ファンとチームの橋渡しをしたんや。
課長は大阪・東豊中高(現千里青雲)から大阪経済大に進んだ。高校の恩師はトップレフェリーやった平井信一郎はん。大学は「西のケイダイ」。当時は関西Aリーグやった。
「1年から4年間、公式戦はフル出場させてもろた。近鉄でも8年やらしてもらったけど、その間、出てへん公式戦はひとつだけよ」
課長のウリは体の強さ。現役時代のサイズは184センチ、95キロ。NO8やLOをやって、関西代表にも選ばれたことがある。
近鉄には、社長を目指せる総合職として採用された。花園ラグビー場を管理する近鉄興業やプロ野球球団・近鉄バファローズ(現オリックス)で業務をした後、2007年7月にライナーズにやって来た。
最高位は2011年度の5位。チームはずっとトップリーグで戦ってきた。
樫本はんには感謝がある。
「僕らの話をよく聞いてくれて、やりやすかったです」
個性豊かな職人集団でもあるプロ野球での運営経験なんかが、課長をスポーツの仕事向きにさせたんかもしれんね。
課長の送り出しはいろいろあった。
新チームでマネジメントの柱になる後輩2人、ゼネラルマネジャーの飯泉景弘はん、チームディレクターの吉村太一はんは、近鉄河内花園駅の「王将」で、課長の好きな餃子とビールをたらふくごちそうする。
離任のあいさつかたがた飲みに入った「花園ラグビー酒場」では、女将の東屋あさ子はんがお金を受け取らんかった。センベロの立ち飲みやのに、生3杯に山盛りのエイヒレなどおつまみ6品をせんべつ代わりに送った。
勝てなかった、落とした、という事実は消えん。せやけど、人に好かれる課長は、豊かな人生を送っていると言えるわなあ。
最後は魂の叫びや。
「まず、昇格してなあ」
そして続ける
「ほんで、いいチームになってほしいなあ。勝つことは大事。それはもちろんやけど、みんなに愛されてほしい」
課長、あんたのようにな。
ライナーズはこの春、トップリーグチームと競って、勝ったり、負けたりしてる。
Honda に21−29、キヤノンに26−17、サニックスには26−29。
まあ、ええ感じではきてるわな。
去りゆく課長のためにも、一年でトップリーグに戻ってこんとね。
課長はこれから、週末は気兼ねなしに九州に行ける。この春、親元を離れて、大分舞鶴高に入った長男・圭佑くんの応援や。
温泉入って、アジやサバや鶏天食べて、麦焼酎飲んで、嫁と息子のラグビーを見る。
ああ、極楽や。
とりま、課長、お疲れさんでした。
タクシーの乗車率をがんがん上げて、あんたもチームと一緒にまた戻ってきてなー。
みんなで待ってるさかい。