ラグビーリパブリック

次の舞台は晴れの国。環太平洋大学監督・小村淳

2018.05.22
環太平洋大の新監督に就任した小村淳さん
 釜石から岡山へ。
 1200キロ近くを南下する。
 小村淳(こむら・あつし)が次に教えるのは大学生だ。
「人と関わるのが好きなので、学生と接しているのは楽しい。私生活とかも含めて、社会人よりも深く関われます」
 目じりを下げる。
 小村はこの4月から、岡山市にある環太平洋大学の教職員、そしてラグビー部監督になる。2007年開学の新しい私大はアルファベットの頭文字からIPU(International Pacific University)とも呼ばれる。
 新監督には、主将のFB丸山将平から大きな期待が寄せられている。
「強くなる予感? バリバリしています」
 広島・尾道3年時の94回全国高校大会準決勝では、5回目優勝を果たす東福岡を追い詰める。飛んで突き刺さるタックルでラスト10分近くまで12−12。結果的には12−40で敗れるも、メンバーとして頂点を垣間見る。高いレベルのラグビーは望むところだ。
 昨年度、小村は釜石シーウェイブスのヘッドコーチだった。自分の考えをチームに浸透させられず、トップチャレンジ7位に沈む。入替戦出場の責任をとり、ゼネラルマネジャーの桜庭吉彦に辞意を告げる。
「桜庭さんには、悪いことをしました」
 2017年春、4年間つとめ、母校でもある明治大のヘッドコーチを辞めた。その時、一番に誘ってくれた好意に応えられなかった申し訳なさは、依然として残る。
 環太平洋大の話は、現役時代にプレーした神戸製鋼を通じてだった。大学の経営母体、学校法人「創志学園」と深紅のジャージーの本社所在地は同じ神戸だった。
「そろそろ、腰を落ち着けたいなあ、と思っていました。もう50歳になりますしね」
 大学は有期ではなく、無期雇用を提示した。
 岩手ナンバーの愛車、白のマツダCX−5を運転して「晴れの国」と呼ばれる県に入る。JR岡山駅から車で20分ほど、緑あふれる郊外に大学はあった。不安はない。
「まったく知らない土地だけど、神戸がありますから。新幹線なら30分、車でも1時間半くらいで着いちゃうもんね」
 7連覇などエネルギッシュな20代を過ごした街が、そう遠くないのは心強かった。
 今は学生サポートセンターに属し、人との接し方など生活指導をほどこす。秋からは授業としてのラグビーを教える。
 練習前には自らの血液型を示し、諭す。
「俺はA型で几帳面って言ってるじゃん。いつでも取れるように出しといてよ」
 カラフルなマーカーコーンをホルダーから抜き出し、青、黄、赤など色によってわけさせる。使用者の立場でものを考えさせる。
 ラグビー部には規則を作った。
「用具係を決めたり、茶髪禁止だとか、選手寮の門限を決めたりだとかですね」
 導入した朝練習は週4回。6時45分から約1時間のウエイトトレだ。グラウンド練習は16時45分から約2時間を費やす。
 小村は北海道出身。函館有斗から明治大に進んだ。神戸製鋼ではフィジカルに強いFLとして日本代表キャップ4を得る。
 その後、世代の日本代表であるU19やA、大学では明治や明治学院、社会人ではキヤノンなどのコーチをする。
 小村の豊富な経験を落とし込むフルサイズの人工芝専用グラウンドは、第1キャンパス内にある。照明完備。徒歩でアクセスできる。
 キャンパスに入る道路上には、アーチ式のアスリートホール「Top Gun」がある。世界的建築家・安藤忠雄の設計で大学の象徴は作られた。パリの凱旋門を平たくしたようなすりガラスの建物には、50人以上が同時にできるウエイトルームや柔道場が入る。
 体育学部など3学部ある大学の中心にはスポーツが据えられる。女子柔道部総監督はバルセロナ五輪金メダルの古賀稔彦だ。
 現在、グラウンドの左には300人収容の体育学生寮、右には新校舎が建設中である。
 大学には勢いがある。
 ラグビー部は開学と同時に創部された。
 一昨年まで、大学選手権出場の予選となる中国・四国代表決定戦に7連覇していた。しかし、昨年、徳山大に29−33で敗れる。勝者に与えられる次のステージ、東海・北陸代表との決定戦に進めなかった。
 前監督の西口聡は部を去る。
 チームとしては中四国の覇権再奪取は当然として、その次に目指すものがある。
「打倒アサヒ、だよね。アサヒに勝たないと。上には行けないから」
 小村は東海・北陸地区の雄・朝日大を挙げる。昨年度の第54回大学選手権では3回戦に進んだ。関東リーグ戦3位の流通経済大に34−54と存在感を示す。徳山大や東北・北海道代表の東北学院大、そして九州学生リーグの福岡大を連破したその道筋は、環太平洋大にとってもまた目指すべきものである。
 ファーストジャージーはオールブラックスと同じ黒。世界一のニュージーランド代表にあやかりたい。小村は、晴天が日本で一番多いとされる県に根を下ろし、48人の部員とともにチーム強化に専心する
(文:鎮 勝也)