伏見工、早大、神戸製鋼を経てダイナボアーズへ。(撮影/松本かおり)
昨夏家族になった息子は4月から大学生だ。
兄弟のように仲がいい。
近くに越したし、遊びに行こうか。来たいとも言ってたな。
楽しみだ。
28歳のフルバックはにこやかだった。
半年前には叶与(とあ)くんも生まれた。
もっともっと頑張らなきゃ。
そう思う春、住まいを神戸から相模原に移した。
ダイエットのパーソナルトレーナーを務めている妻・泰江(やすえ)さんは、仕事が軌道に乗っているから、おさな子とともに神戸に残したままの単身赴任である。
神戸製鋼コベルコスティーラーズに6年間在籍した井口剛志(いぐち・つよし)は、2018年シーズンから三菱重工相模原ダイナボアーズでプレーすることにした。
前十字靱帯断裂の大怪我を負った2016年度のシーズンは全休。それが治ったと思ったら、昨年は左肩を脱臼した(順位決定戦の2試合のみ出場)。
早大を卒業して入団したスティーラーズで、最初の2年はあまり出場機会に恵まれなかったが(トップリーグ、日本選手権を合わせて計5試合)、南アフリカ人で、現在アメリカ代表監督を務めるギャリー・ゴールド ヘッドコーチが指揮を執った2014-2015年シーズンには14試合に出場した。
しかし、指揮官が代わると逆戻り。ピッチに立つことは少なくなり、過去2年は前述のように怪我に泣いた。
誰だってそうだとは思いますが。
そう前置きして、自分の強みを口にした。
「試合に出続けていると、プレーがキレていくし、体も洗練される。研ぎ澄まされていく感じになるんです」
そうでないときは、パワーもスピードも特別ではないから「あまりいいところがない」と自己分析する。
「あの(いい時の)感覚を取り戻したい。トップリーグにこだわらず、まずは自分を表現できるところはないか、と考えました」
今年1月20日におこなわれた神戸製鋼のファンクラブ感謝イベント当日、テレビで流れていたトップリーグ入替戦の模様を見て感じたことがあった。
前年までともにプレーしていた中濱寛造(早大、神戸製鋼で1年上の先輩)が活躍する三菱重工相模原は、コカ・コーラを追い詰めながらも最後の最後に追いつかれて27-27。勝ち切れず、トップリーグ昇格を逃した。
「寛造さんのプレーもそうですが、楽しそうなチームだな、と思いました。わくわくした気持ちで、あの試合を見ました。で、自分がいたら(追いつかれた)最後の何分間かを変えられるかもしれないな、って思った」
あの試合で三菱が勝っていたら、いまここにいなかったと思う。
しばらくして先輩を通して縁を作ってもらい、自分からチームへアプローチ。新天地でプレーできることが決まった。
神戸製鋼での6年間を振り返り、「いい人ばっかりで楽しかった。でも(ラグビーに関しては)いい想い出とは言えない」と言う。
「悪いのは100パーセント自分、なんですけどね」
矢印を自分に向ける。
1、2年目から試合に出たいと思い、頑張ったつもりだ。しかしわずかなプレー時間に終わり、やがてレギュラーの座をつかんだように思っても元に戻った。
真紅のジャージーを着て学んだのはメンタル面だ。
「試合に出られなくてもクサらない。その心は鍛えられた」
悪いのは自分。だって、試合に出続けている人はいるのだ。
「そこまでのレベルになかったということ」としないと、前に進めないと思った。
チャンスはあった。でも、それをつかみ切れなかった。
監督が誰でも、「使いたい」と思わせられなかった。
「プレーヤーとしてはチームのスタイルが変わったら、それに染まるワケじゃないけど、監督がやりたいことを体現できないといけない。そこがうまくいきませんでした。(そのときどきのスタイルに)合わせようとするんだけど、すぐにはできず、シーズン後半まで時間がかかったり」
もう少し我慢して使ってもらえたら…と思ったこともあった。
甘かった。
相模原に来ればピッチに立てると踏んでいるわけではない。
自分を表現できる場を探し、ここでチャレンジすることにした。
「楽しく、明るくやりたいので、ベタですが、まず練習でも何でも自分から声を出していこうかな、と。そして、自分が培ってきた知識や経験をアウトプットしていけたら」
競争の中で、チームとともにトップリーグを目指す。
「試合に出続けるために、チームにコミットし、自分のスキルももっと上げないといけない。試合には出たいけど、他にもっといい選手がいればそちらを使うべきだと思います。自分は評価してもらえるよう頑張る。そういうチームが強くなる。緊張感のある毎日になるといいですね」
グラウンドから車で5分ほどの場所にひとりで住む。
「学生時代に戻った感覚」
あらためてラグビーに専念する。
自分の価値観を大事に生きている。
料理が好きで、自炊も得意。最近はタイ料理に凝っていて、先日もカオマンガイを作った。
妻は16歳上。流経大出身の仲間を通して知り合い、「子どももいるし(ここまで)女手ひとつで育ててきたから」と言う元女子ラグビー経験者を、最初から攻めまくった。
「初対面で結婚したいと思いました。きれいな人です」
息子の大晟くんとは、中学生のときからふたりで食事をしたりして仲良くなった。少年はやがて高校生となり、流経大柏高時代に花園に出場する。ラグマガ別冊付録の花園ガイドに「目標とする選手/井口剛志」と書いた。
大晟くんの試合があれば、恭江さんとともに何度も応援に足を運んだ。
「東京でも群馬でも茨城でも、できる限り、一緒に車で応援に行きました。日帰りもありましたが、決めていたことなので」
男気がある。
人生なにがあるか分からないですねえ。
愉快そうに言った。
毎日妻に連絡し、テレビ電話で息子の顔を見る。
「かわいいですねえ。会えなくて、さびしいですねえ。はやく呼び寄せられるように頑張らないと」
チームを上へ引き上げる活躍を誓う。