1988年10月22日生まれの29歳。170センチ、75キロ。(撮影/松本かおり)
星空のきれいな町だった。
ニュージーランドは北島、ロトルアの西。自然豊かな場所で思い切りラグビーを楽しんだのは27歳から28歳になる頃だった。
試合後はいつも、仲間としこたま飲んだ。人のあたたかさに触れた。
ラグビーをもっと好きになって日本に戻ってきた。
この春から三菱重工相模原ダイナボアーズに加入した榎本光祐(えのもと・こうすけ)は、そんな王国での日々を経て、2017-2018シーズンを近鉄ライナーズでプレーした。
昨季の最終戦、NTTドコモに敗れてトップリーグからの降格が決まった。その試合に後半26分から出場した榎本は、当事者として「もう一度チームを上にあげる責任もあるとも考えましたが」と揺れた心を振り返る。
逡巡の時間は短くなかった。
チームの展望。自分の未来図。そして、今年30歳になる年齢。それらを考えて新天地でプレーすることを決めた。
「ダイナボアーズは、実はニュージーランドから帰ってきたときに最初に声をかけてくれたチームでした。以前トップリーグにいたこともありますが、それを知っている人はもういない。そこに自分の存在意義があると考えて決めました」
いまはプロ契約選手も、コカ・コーラレッドスパークス時代は社員だった。だから両者のことが分かる。そこでも自分の価値を発揮したい。
早大を卒業した後、コカ・コーラで5シーズンプレーした。
同チームを辞めて海を渡ったのはチャレンジし続けるためだった。
「好きすぎる」というほどラグビーを愛している。
日本代表になりたい。サンウルブズに入りたい。
そう思ってきたが現実は厳しかった。
入社後は出場機会に恵まれるも、2年目は下部リーグが戦いの舞台となった。
やがて股関節を痛めて泣く。痛みに耐えながらプレーしたこともある。ピッチから離れることを余儀なくされ、怪我が治ってもなかなか出番はなかった。
「そんな中でもう一度トップレベルでやるには、環境を変えるしかないと思ったんです」
休職しての渡航、その後チーム復帰という道も模索したが、実現は難しかったから退団(退社)を決断した。
「ニュージーランドで通用しなかったら(ラグビーをやめよう)と思っていました」
王国でのラグビーライフは充実していた。ソロモン・キング(コカ・コーラ)の紹介で入ったティポキクラブではトップチームのメンバーとなり、1シーズンで18試合ほど出場した。
その活躍もあり、ベイ・オブ・プレンティー州代表のワイダースコッドにも名を連ねる。
「あちらではSHに求められるものも違いました。はやくボールをさばくだけではダメ。チームが心地よく感じるテンポで動かすことが大事、と。パスした後にサポートしてボールをもらい、自分でトライするようなプレーもやるようにしたし、やれるようになった」
クラブレベルの試合は、トップリーグと比べて緻密さでは劣るも、コンタクトの激しさでは上と感じる局面もたびたびあった。ディフェンスの意識も高まった。
プレーの幅を広げられたニュージーランドでの生活。しかし、もっとも刺激を受けたのは心だ。
どん欲に上を目指そうとする若手たち。トレーニングの時も、そのメニューをやる意味を理解して取り組む。負けていられない。闘志がわいた。
「ラグビーを心から楽しむ。その原点もあらためて思い出しました」
帰国しての初年度。昨シーズンの途中にも、同じような感覚を得たことがある。サントリー戦に先発したときのことだ。
「相手のSH(日和佐篤、流大)は日本のトップクラスでした。試合をしていて楽しかったし、負けたくなかった」
常にそんな空気の中でやっていたい。そうなれば成長は続く。逆に言えば、そうでないと日本代表もサンウルブズも夢のままだ。だから、ダイナボアーズをトップリーグへ。それが目の前にある最大のターゲットだ。
「それらは自分自身に限ったことではないと思うんです。チーム(三菱)のみんなもそう。トップリーグに行けば、そこは自分を成長させてくれる場所だと分かるし、十分に戦っていける」
普段から、そういったことを伝えていきたい。
そのためにも試合だけでなく、練習から姿勢やパフォーマンスで周囲を引っ張るつもりだ。
昨季終了後、入替戦のコカ・コーラ×三菱重工相模原はテレビで見た。
27-27の引き分け。ダイナボアーズが惜しくもトップリーグ昇格を逃した試合は、まだ移籍前のことだったから、純粋に80分を楽しんだ。
「惜しい試合でした。でも、勝てなかったことには理由は必ずある。新しいヘッドコーチ(グレッグ・クーパー)も言っていますが、小さなことを積み上げて大きなことを成し遂げることが大事だと思います。トップリーグのチームより、少しでもきついことをやる。こだわりを持って毎日を過ごす。そういうことを続けていかないと、最後に(立場を)覆すような力は出せない」
榎本光祐は真っ直ぐでない道を歩んで、それが分かるようになった。