神戸製鋼に加入したCTB日下太平。ニュージーランドの高校から
大学を経ず、トップリーグ入りした。
バックスのユニット練習が終わったあと、1対1でキックを教わる。
日下太平の対面に立ってくれたのはアダム・アシュリークーパーだった。
ワラビーズ116キャップの英雄との蹴り合いは、足首へのボールのミートから始まる。5メートルから距離はどんどん広がる。
神戸製鋼の18歳新人は興奮する。
「やばいです。テレビで見た、オーストラリアのテストマッチに出ていた人が隣にいます」
幸福感をそのまま表現した。
平凡な人生なら、この4月、桜花はなやかな大学の門をくぐっていた。
日下は違う。プロのラグビー選手を志した。
「大学を出た22歳では遅いと思います。この4年間は大きい。リーコは19歳でオールブラックスに選ばれました。ここではアダムらトップ選手のプレーや姿勢が見られます」
例に挙げたのはニュージーランド(NZ)代表でスーパーラグビー・ブルーズ所属のリーコ・イオアネ。ポジションは同じCTBだ。
今年、同じような道を選んだのはパナソニック入りした福井翔大。ただ、出身高校は東福岡。日下はその過程をNZで過ごした。
暮らしたのは南島最大の都市・クライストチャーチ。高校はクライストチャーチ・ボーイズ・ハイスクールに通う。地元では「ボーイズ・ハイ」と呼ばれ、越境が絶えない人気の公立男子校だ。
ラグビー部は強豪。今年7月にチームに合流する世界的SOのダン・カーター(NZ代表キャップ112)やサントリーSOの小野晃征(日本代表キャップ34)をOBに持つ。
きっかけは2011年9月、父・州平と現地NZで見たワールドカップだった。
「オールブラックスが一番強い、って思っていたけど、実際に見て圧倒されました。それに、国自体が自然に恵まれラグビー環境が素晴らしかったです。緑の芝生がいっぱいあって、白いラグビーポールが立っている。ここでプレーしたいなあ、と思いました」
この大会で、黒衣軍団は2回目の世界制覇を達成する。
父は背中を押す。ビーフシチューが名高い北鎌倉の古民家レストラン「去来庵」で腕をふるうシェフは、自身の経験から若い頃の海外生活が将来に生きることを知っていた。藤沢西高で楕円球に触れてもいた。
日下は父の影響で3歳から鎌倉ラグビースクールで競技を始め、中高一貫の関東学院六浦で学んだ。そして、高校入学前の2015年2月、南半球へ飛ぶ。
入学当初は多分にもれず英語に苦しんだ。
「黒板をとにかく丸写ししたり、スライドを使う先生の授業は写メを撮ったりして、あとから単語を調べました」
ラグビーやホームステイで語学レベルを上げていく。日本の高3時期にあたる2017年にはキウイの同級生たちに伍し、ファースト・フィフティーン(一軍)に名前を連ねた。
留学の大変さは今、外国人選手らと直接、意思疎通できる強みに変化している。
日下の噂は、日本協会関係者の耳に入り、2016年12月、高校日本代表を決めるためのU18TIDユースキャンプに初召集される。
今年3月には次世代の日本代表を担うジュニア・ジャパンの一員として、チーム中最年少でフィジー開催の「パシフィック・チャレンジ2018」に参加した。
肌は、南太平洋の貪婪(どんらん)な太陽に焼かれ、こげ茶色をしている。その中にある目は笑うとなくなる。
「暑さで5キロ体重が落ちました」
それでも182センチ、97キロの堂々とした体躯。成人選手と見劣りしない。
神戸製鋼に人生を託した理由を話す。
「ダン・カーターが来る、って聞いていましたし、何よりも僕のような選手に興味を示して下さったことがありがたかったのです」
亡き平尾誠二に代わり、チーム運営を任されるディレクターの福本正幸は言う。
「サイズがあって人に強い。性格も素直で真面目です。その人間性にもほれました」
福本は高校から大学を経由してトップリーグに入るこの国のシステムにも言及する。
「高校代表が海外遠征したら勝ってるのに、U20になったら勝てへんようになる。それが、なんなんかなあって…。そんなのも含めて、日本のシステムではないところで、成長する選手がいてもいいんじゃないのかな、と。これから、彼を見守っていきたいですね」
4月6日、チームに本格的に合流する。住まいは本社の至近にある社員寮だ。
「森田さん、落合さんら先輩たちが面倒を見てくれています。練習の時はグラウンドまで車に乗せてくれたり、ごはんに連れて行ってくれたり、優しいです」
2年目のFB森田慎也やWTB落合知之の名前を挙げた。ここでも最年少となる日下は、すでにチームに溶け込んでいる。
新生活を送る神戸市中央区の海岸沿いの地域は、1995年の阪神大震災後に再開発された。ビルやマンションは新しくモダンだ。
「横浜のみなとみらいに似ていますね。僕は鎌倉ですけど、週末に遊んだり、ごはんに行ったりするのは横浜でした。だから、ここは住みやすいし、なじみやすいですね」
どちらの港街も江戸時代末期に開かれた。同じ青い海と緑の高地を持つ。環境の変化に戸惑うことはない。
日下は力強い。
「僕はベストの選択をしたと思っています」
新しい種別の成功者となるべく、プロとしてラグビーとがっぷり四つに組んでいく。
(文:鎮 勝也)