1月1日、観衆5300を数えた花園の第1グラウンド(撮影:牛島寿人)
■ゴールポストをほぼ真後ろに背負って相手ボールスクラムを組む直前、堀越は、少し、口角を上げていた。
日本の正月のラグビー場に漂う多幸感をもたらしているのは、澄んだ空気、観客の数、そして何より参加選手の心理状況だ。
元日は全国高校大会の8強を決める3回戦が大阪・東大阪市花園ラグビー場で、2日は大学選手権の準決勝が東京・秩父宮ラグビー場でそれぞれおこなわれる。いずれも年度ごとにメンバーが入れ替わる学生ラグビー、高校ラグビーの最高峰で、あまたのクラブのうち参加機会を得られるのはその年の各カテゴリーの上位層のみ。当事者が喜ぶのは当然だ。
「嬉しいです。年を越えてこのチームでラグビーができるのは幸せなことです」
こう発したのは堀越康介。帝京大の主将である。2018年1月2日、昨季まで2季連続で決勝を戦った東海大を31−12で下していた。大会9連覇を見据えていた。
過去数試合で見られた自軍の「隙や安心」が少なかったことに、「本当に集中力が高まった時の帝京のアタックとディフェンスは強いな、と感じました」。小学3年時からの競技生活を通し、自己を肯定することのメリットを感じてきたのだろう。
話をしていたのは、陽が落ちた秩父宮の正門前である。きっと、直近の試合と関係ない質問をしても差支えのないタイミングだ。ここで筆者は、昨秋のゲームのあるシーンについて確認させていただいた。
2017年11月18日、神奈川・ニッパツ三ツ沢球技場。この日の帝京大は加盟する関東大学ラグビー対抗戦Aの大一番に挑んでいた。
開幕5連勝で優勝に大手をかけた帝京大に対し明大は4勝1敗も、両者は保有戦力の充実ぶりなどから実力伯仲とされていた。20−14とわずか6点リードで迎えた前半終了間際、危機を迎える。
明大の山沢京平のカウンターアタックで防御を破られたのは36分。ここから自陣ゴール前でくぎ付けになり、なんとかタックルを繰り出し、なんとかグラウンディングを防いだりしながらも、8対8で組み合うスクラムでは圧力を受ける。最前列中央で組む堀越としては、断崖絶壁に立たされた格好だ。
ところがどうだ。ゴールポストをほぼ真後ろに背負って相手ボールスクラムを組む直前、堀越は、少し、口角を上げていた。笑っていたかどうかはともかく、表情がこわばっていないのは確かだった。
「クラウチ、バインド…」
梶原晃久レフリーが合図を出す。両軍、崩れ落ちる。起立。組み直し。『J SPORTS』の中継カメラが、改めて堀越を狙う。
今度は、よりはっきりと口元の白いマウスピースが大きく映った。
赤いジャージィの背番号2は「帝京さんは少し乗っかっているからバランスを…」といったレフリーの指示にうなずきつつ、対面の選手あたりをちらりと見やっているようだった。
「クラウチ、バインド…」
ロスタイム突入後の42分、それまで難儀していたスクラムを押し返す。そのままハーフタイムを迎えた。一連の流れを別の試合会場でちらちらとチェックしていた筆者は、「地獄の淵で余裕を忘れていない」というフレーズを頭に浮かべた。
あれから約1か月半が経った正月の秩父宮で、堀越に当時の心境を聞く。
――あの時、笑っておられたような。
「ああ…明治戦ですか? はい、楽しかったですね。自陣22メートルエリアに入ってからゴールラインを割らせないというの(意識)は、帝京のプライドとして先輩たちが紡いできたものでもあるので、あそこはしんどいというよりも楽しんで、乗り切ろう…と。それが、自然と顔に出ちゃったのかなとは思うのですけど」
――意図的に笑おうとしたのではなく、たまたまそういう表情になった。
「そうですね。わくわくというか、ここを止めたら波に乗るな、ピンチがチャンスかな、と思って。僕だけじゃなく、全員がそういうマインドを持っていたと思います」
帝京大は結局、例のピンチをしのいでからは無失点。41−14のスコアで対抗戦制覇を決めた。くしくも選手権決勝でも明大と再戦するとあって、堀越は改めて強調するのだった。
「ここまで1年間で積み上げてきたものがあるので、しっかりとまた次のゲームで出し切りたいという気持ちが強いです」
いわゆる「火事場の〇〇力」というやつは、得てして落ち着いた人間が発揮するものだ。ラグビーの現場を取材すると、たびたび今回の堀越のような心持ちに出会う。
ステージがワールドカップイングランド大会の大一番ならダン・カーターやリーチ マイケルが、第90回全国高校ラグビー大会なら布巻峻介や松島幸太朗が、2010年度のジャパンラグビートップリーグのプレーオフ決勝なら霜村誠一や山田章仁が、ゆとりや冷静さを持って試合を楽しむススメをそれぞれの言葉で説いている。
もっとも、これらの事例を踏まえたところで「何事にも余裕を持って取り組むのが大事なのだね」と簡単には言えない。
というのも、選手のプレーや談話から教訓めいたことを昇華させる際、表現の塩梅を間違えると妙に説教臭くなったり、無粋に映ったりする。そして残念ながら、その塩梅の正解を筆者は知らない。だから11月のワンシーンについて言えるのは、「あの時の堀越選手は落ち着いていたようだ」という取材成果のみである。
それに余裕を持つことが大事なのは確かなのだろうが、人が有事に余裕を持つには持ち場でのプレッシャーに耐えうる訓練ないしは自己研鑽が必要だ。
危機的場面で余裕を持っていた堀越は、もともとタフネスとフィジカリティに定評がある。カーターもリーチも布巻も松島も霜村も山田も、それぞれのアスリート人生を通して必死さと余裕のほどよいバランスを自力で見つけ出しているはずだ。使い古された表現だが、優雅そうな白鳥も水面下では足をばたつかせている。
だから、いくら勝負を制するのに余裕が必要かもしれないからといって、安易に余裕が大事だなどと連呼してはいけなそうだ。何より筆者がこのテーマでコラムを書くと決めたのは、建前上の締め切りを少し過ぎてから。2018年、本当の余裕を得る旅ができますよう。
【筆者プロフィール】
向 風見也(むかい・ふみや)
1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)。