少しでも気を緩めたら痛い目に遭うと、再確認できた。
28−28の同点で迎えた後半21分頃、自陣10メートル線付近左でのことだ。
大東大のHOである平田快笙は、それまで圧倒していた自軍スクラムでやや差し込まれる。疲れから、自分たちの形をかすかに乱していた。
「正直、キツい…というのがあって…」
幸運にも、この1本はレフリーに組み直すよう命じられる。平田は改めて各自のタスクを再確認する。
「FWでまとまって、ここが耐えるところだ、押すしかないと話をしていた。やっぱり、スクラムは8人でまとまらないと押せないので」
猛プッシュ。相手の反則を誘う。チームは約5分後に勝ち越し点を決め、平田は白星に喜んだ。
12月23日、東京・秩父宮ラグビー場。今季は22シーズンぶりに関東大学リーグ戦を制していた大東大が、大学選手権に登場した。3回戦から参加した慶大との準々決勝に33−28で勝利。2年ぶりの全国4強入りを決める。1994年度以来の日本一へ一歩前進し、就任5年目の青柳勝彦監督は淡々と振り返る。
「えー…。きょうはしんどい試合でしたが、ものにできてホッとしています。私が5年いるなかで、今年が一番強いスクラムを組んでいる。そこが武器です」
敵陣ゴール前中央で自軍スクラムを得た前半12分。平田が中央に入った大東大FWは、組んでは押しての繰り返し。相手のコラプシング(塊を故意に崩す反則)を3度、引き出し、ペナルティトライで先制した。
OBで元パナソニックの木川隼吾スクラムコーチの教えを受けたパックは、以後も安定する。古畑翔、藤井大喜というともに身長180センチオーバーの大型PRを両脇に従える平田は、防御網を突っ切る走りでも存在感を発揮した。
前半23分までに21−0としながら、後半6分に21−28とされていた。それだけに平田は「課題だった立ち上がりがよすぎて浮足立ってしまった。トライを取られた後の修正がうまくできなかった。一発でボールが殺せなかった時に(相手の出方)を見てしまい、前に出るディフェンスができなかった」と反省する。もっとも見せ場のスクラムには、確かな手ごたえをつかんだ。
国際ルールのマイナーチェンジに伴い、大学選手権からは以前より相手と間合いを取って組むようになった。それでも「皆で足を引いて、(合図の瞬間に)当たろう」と対処法を準備し、「自信を持って今日に至るんです」と言い切れた。
「スクラムは春からずーっとやってきて、強みだった。トライの時も、こだわっていたところが相手の反則につながった」
身長170センチ、体重100キロと決して大柄ではないが、今季からレギュラーに定着してリーグ戦でも激しさをアピール。そんな平田が楕円球に出会ったのは、大学の付属校という点に惹かれて入った東京・大東大一高でのことだ。
友人から体形を見込まれラグビー部の門を叩いた時は、同じ楕円球を使うアメリカンフットボールとの区別さえついていなかった。アメリカンフットボールを扱った当時の人気漫画『アイシールド21』のようなことをするのだと思っていたのだが、ラグビーへはまるには時間がかからなかった。
「最初は『アイシールド21』みたいなものかと思っていて、まずはボールを前に投げちゃいけないことから覚えていって。もともと、バスケとサッカーをやっていたんですよ。バスケのハンドリングとサッカーの足腰もあって、2年生の頃から徐々に楽しくなって、3年になるとオール東京に入ったり国体にも出たりして…」
大東大でも体育会の門を叩こうと思ったのは、大東大一高の復活を期していたからだ。1999年度までに通算13度の全国大会出場を誇る母校は、近年やや低迷。自分がモスグリーンのジャージィを着て活躍すれば、未来のラグビーマンが後を追ってくれるかもしれないと平田は願うのだ。
突き進む先は、トップリーグや日本代表への参加を見据えている。
「大東大一高に入ってくれる選手が1人でも多く増えれば、必然的に大東大にもいい選手が来るようになるかなと。そのために出続けていたい。上に、行きたい。いまに満足しないで練習していきたいです。すべてのプレーで1段階、レベルを上げないと」
わずか5点リードで迎えた慶大戦の終盤。自軍スクラムで相手の身体を上ずらせた。観方によっては慶大にヘッドアップ(スクラムの姿勢を上方へ向かって崩す反則)の判定が下りそうだったが、ここでは大東大の球出しを促された。
その後、大東大はターンオーバーを許し防戦一方となったが、平田は件の判定に泰然自若としていた。異議を唱える味方には、こう話したという。
「その怒りを、パワーに変えてくれ」
さかのぼってハーフタイムには、担当レフリーと積極的に対話していた。「スクラムのことです。こだわっているので」。1月2日に秩父宮である準決勝でも、明大を向こうに繊細な舵取りを貫きたい。
(文:向 風見也)