創部1年半の女子ラグビーチーム「パールズ」を7人制大会初優勝に導いた記虎敏和監督
記虎敏和は健在だ。
啓光学園(現 常翔啓光学園)を戦後高校史上初となる4連覇に導いた65歳は、今また女子ラグビーチームを全国優勝させた。
「うれしいし、びっくりもしてる。今年は選手たちの成長ぶりに手ごたえを感じていたけど、優勝までは考えてへんかったから」
日焼けした顔がほころんだ。
記虎が指導するのは三重・四日市に本拠を置く「Mie Women’s Rugby Football Club PEARLS」、通称「パールズ」だ。
11月11、12日にあった7人制の「太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2017 富士山裾野御殿場大会」で、初出場初優勝の快挙を成し遂げた。創部わずか1年半だった。
トーナメント決勝では昨年度の年間総合チャンピオンである日本体育大と対戦。22−12と快勝する。パールズは常時の出場資格を持つ10のコアチームではなく、招待チームとして参加。2014年から年4回開催(初年は3回)されるシリーズで、招待チームが頂点を極めるのも初めてのことだった。
パールズの結成は昨年5月。記虎は初代監督になる。招へいに動いたのはGMの斎藤久(四日市工高監督)である。
「もいっかいな、先生に輝いてほしかったんや。今、俺があるのは先生のおかげや。その先生が元気なうちに一緒に新たな挑戦ができればええなあ、と思いました」
斎藤は23歳の時に記虎と出会う。コーチ研修の席だった。以後、卓越した指導力やラグビー知識を持つ記虎に師事。啓光学園のノウハウを前任の朝明高に落とし込み、県ラグビー強豪校に成長させた。
出会いから30年近くが経ち、斎藤は51歳になる。しかし、その恩義は忘れない。
記虎は大阪・枚方から四日市に妻とともに引っ越した。決意がにじむ。
「グラウンドに立ちたい、っていう気持ちはずーっとあったなあ。やっぱり、指導現場が好きなんやろな。前に中途半端に終わっている。そういうこともあった」
記虎は2004年4月から龍谷大監督になった。当時の龍谷大は関西Aリーグに所属。初優勝への期待が向けられた。しかし、8シーズン指揮を執り、後半4シーズンは下部のBリーグで戦う。再昇格はできなかった。
2012年早々、記虎は失意の内に大学を去った。成功しなかった理由を振り返る。
「指導におごりがあったんやろなあ。高校生と比べて大学生はできあがっている。でも、こっちとしたらできてないんや。そのギャップを埋めんのに苦しんだ感じやった」
大学生は在学中に20歳成人を迎える。強制させるところ、自主性を尊重させる部分、その接し方が難しかった。
反省は女子の指導に生きる。
「上から目線をなくさなあかん。信頼関係を築き、納得させんとな」
練習は黙って見つめ、その前後には娘ほどに年の離れた選手たちとできるだけ会話をする。御殿場大会で足首を痛めた主力選手のローリー・クラマーには、負傷個所に親指を押し当て、1時間近く「気」を送る。
「啓光の時からやってるけど、これがなかなか効くんやで」
トレーニングは男子よりも筋力や強度に劣る女子のため、基本を大切する。
「パスから始めたよ。パス、キャッチ。そこがスタートやったな」
数メートルの距離から楕円球を投げさせて、それを受け止める。できるようになれば、重量のあるメディシンボールでやらせた。
主将の伊藤絵美は記虎を評する。
「仏さまのような人です。先生がいれば、みんな安心するし、いなければ、どこにいるんやろう、とすごく気になります」
記虎の奮闘と同時に、代表理事の中岡昭彦(県ラグビー協会会長)、プロジェクトマネジャーの飯田倫大らの働きもあり、環境も少しずつ整ってくる。
練習場として使う中高一貫校のメリノール学院には今年4月、女子ラグビー部が作られ、校内グラウンドは天然芝化された。フルサイズのラグビー場の周囲には光度の高いLEDの照明塔が立てられた。トップリーグ並みの施設でトレーニングができる。
スタッフも充実する。アシスタントコーチに稲田允、トレーナーに福田圭吾、チームマネジャーに堀野奈久瑠が加わった。
直近の目標は11月18、19日にある「太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2017 入替戦」での昇格だ。出場15チーム中、上位2チームに入れば、コアチームとなり、年4回開催のシリーズに無条件で出場できる。
「この入替戦のために、今までみんなでやってきた。そういう意味では、この優勝は昇格に向けての大きな弾みと励みになった」
力を込める記虎。ジュニア、外国籍9人を含む全部員40人とともに大一番に臨む。
(文:鎮 勝也)