記念写真に納まる日本体育大の先輩後輩。
灘中高・武藤暢生監督(左)と川副中・東嶋亮司監督。武藤監督が先輩です。念のため。
まいど、浪速のおっさんや。7月の暑さに汗ダクダク。来世は氷山にまたがる白くまさんに生まれかーわろっと。アイスやないで。
練乳の中にみかんやパインなんかが入った、そのアイスは鹿児島やが、少し離れた佐賀から神戸に中学生たちがやって来た。
7月15日、お勉強日本一の灘に現れたのは、川副(かわぞえ)のラグビー部18人や。
県にたった1つの中学校チームが関西遠征。引率したのは顧問の東嶋亮司はんや。愛称「リョウジ」は保健体育の先生でもあるんやで。
「九州から初めて出る子もいるんで、どこに連れて行ってあげようかなあ、と考えた時に、まっ先に武藤さんの顔が浮かびました」
武藤暢生はんは日本体育大(通称ニッタイ)の1年先輩や。リョウジはんと同じ先生と監督として灘にいてはるんや。
そんな関係で2泊3日のホスト役を引き受けてもらった。ほんで、灘、六甲、報徳、関学と4校3チームとの試合が実現や。
リョウジはんはお土産をいっぱいで来た。
地元の名産・有明のり、お菓子「博多通りもん」、「銘菓ひよ子」…。
「博多で乗り換えの時間がなく、買えるかどうか不安でした。ところが、前の日に父が出張していて、買ってきてもらえました」
武藤はんの小4の娘は、ひよこ饅頭18個入りの大きな箱によろこび爆発や。
「リョウジにお礼のお手紙書くー」
リョウジはんは丸刈りに日焼け。映画『アウトレイジ』に出てもおかしくない。先輩の前でも肩をゆすって歩いてはる。なんか長幼の順が入れ替わってるみたいやなあ。
武藤はんは、もじもじ。
「いやー、学生時代にいろいろとありまして…」
武藤はんが4年の2000年シーズン。練習がきつかった。試合前日までコンタクトガチガチ。みんな疲れまくりや。それを見てリョウジはんと神奈川工出身のLOが言うた。
「武藤さん、キャプテンにもう少し練習を落とすように言ってもらえませんか。これじゃあしんどくて試合ができません」
「そうだなあ。俺もそう思う。言ってみるよ」(御影高出身の武藤はんはこの頃東京弁)
武藤はんは、同級生のキャプテンのところに行って、意見する。
「練習やり過ぎじゃない? 後輩たちも試合ができないほどきつい、って言ってるよ」
「おめえら、弱ええんだ」
ひとけりと書いて「一蹴」ですな。武藤はんはすごすごと2人の元へ帰る。
「ダメだったよ」
リョウジはんは一言。
「武藤さん、弱いなあ」
今、後輩は笑う。
「そんなこと、覚えてないなあ」
名誉のために書いとくが、FLだった武藤はんは青と群青のジャージー、「段柄」を着て紫紺や黒黄と秩父宮で戦った。170ちょっとの身長、無名校のハンデなんのそのや。PRのリョウジはんは強豪・佐賀工出身。1997年度の高校日本代表や。おフランスに遠征してはる。こっちも1年から1本目でっせ。
ニッタイは名門や。
これまで53回の大学選手権で優勝したのは9校やけど、その中に含まれる。
今年1月の選手権決勝を戦った両監督、帝京の岩出雅之はん、東海の木村季由(ひでゆき)はんもOBや。日本のラグビーを引っ張ってるゆうても過言やないわなあ。
その分、練習も試合も寮生活も大変やった。えげつない人もぎょうさんいた。
武藤はんはトラウマがある。
「いまだに横浜線の電車が着くメロディーを聞くとじんましんが出そうになります」
♪ちゃんちゃらちゃら、ちゃらちゃちゃんちゃん♪ってやつね。
神戸の実家から、寮や学校のある健志台に戻る時、新横浜駅で新幹線から緑色の車両に乗り換える。その音楽は恐怖体験の始まり。ダースベーダーの登場曲とおんなじや。
寮生活はプライべートなし。「はい」しか言えない下級生。部屋全員の洗濯。食事当番。「しぼり」と呼ばれる居残り練習。かかる「集合」。真っ暗な中での正座。「ミクロの汚れまで落とす」が鉄則の公式戦ジャージー洗い…。
ある夜の点呼、キャプテンが怒る。
「食当、ごはんがかてえ」
「それは個人の好みの問題です」
武藤はんは心の中で思った。
「そりゃあ、言えないよねえ」
リョウジはんは同情する。
そんな時代を過ごした2人。
夜の歓迎会は、関西名物のお好み焼き。武藤はんはマイカーでリョウジはんの運転手や。店ではノンアルコールビール。それを横目に、リョウジはんは生ビールをグビグビ。
お勘定は、もち武藤はん持ちや。
そいでも言いはった。
「ようやく、リョウジに先輩らしいことをしてあげられました」
卒業して17年目。
2人の素敵な関係が、これからもずっと続きますように…。