関西学院ラグビー祭を訪れた田中克己元天理高校監督。
後ろの山が阪神間を代表する甲山
田中克己は5月5日、祝日「こどもの日」に上ヶ原にやってきた。
初夏のように強い光は、甲山の新緑を輝かせる。風は薫り、山頂から流れ下りる。
関西学院の第2フィールドでは中高大によるラグビー祭の真っただ中。対中部大春日丘高、対天理大の2試合を、降り注ぐ日差しを浴びながら、インゴール裏で立って見る。
こげ茶色に日焼けした肌、下がる目じりに変わりはない。
純白ジャージーの天理高を1983、1989年度と2度全国制覇に導いた。2014年3月、天理高の体育教員として定年を迎える。
今年8月で64歳。孫は2人できた。
関学高等部監督の安藤昌宏にとって、田中は恩師である。天理大主将をつとめた1992年、監督は高校と兼務する田中だった。
安藤は奈良・天理の自宅から兵庫・西宮までマイカー移動する田中のため、駐車スペースを用意した。しかし、恩師は近鉄、阪神電車、そして路線バスを乗り継ぎ、2時間かけてグラウンドに着いた。
「そんなん、安藤に気を遣わすわけにはいかんやない。申し訳ないわ」
高等部は、体調不良でレギュラー4人を欠いたこともあり春日丘に7−48で敗れた。
1か月前、田中は指導に訪れていた。
その時、ラインディフェンスを「出て、止まり、流せ」と教えた。高校生にはその加減が身に着くまで時間がかかる。チームがやや戸惑うのを見て取るや、言った。
「安藤が教えているチームやから、最後はどうするか安藤が決めたらいいんやで」
教え子を尊重する。お仕着せはない。アイデアを手渡すだけにとどめる。
アドバイザーをつとめる天理大は69−14で圧勝した。
監督の小松節夫にとって、1993年に天理大コーチに就いた時の監督も田中だった。
小松は田中の指導者としての深みを知る。
「来た時はCリーグ(3部)。1年でB、もう1年でAに戻すつもりやったんよ。ところが克己さんは『まあ、のんびり行こう。10年くらいかけて上がる気持ちで』と言わはった。こっちは『はい』と言いながら、腹の中では『そんなにかかるんかな』と思ってた」
天理大がAに復帰するのは2002年。田中の言葉通り9年を下部リーグで過ごす。
「克己さんはわかってはったんよね。すべて。そんな簡単にチームはできない、っていうことを。あの頃、自分はグラウンドの中だけしっかりやればなんとかなると思っていた。でも、そうじゃないんよね。リクルートや周囲の環境を整えていかないと勝てないんよ」
強いチームを作るには時間がかることを学ぶ。第48回大学選手権(2011年度)で準優勝するまでには、さらに10年を要した。
田中は1953年生まれ。天理中でラグビーを始める。天理高3年時にはSHとして第51回全国大会(1972年)で優勝する。
「選手で1回、指導者で2回、計3回全国で勝っていることがささやかな誇りかな」
天理大では関西リーグ3連覇。卒業後、サラリーマンや中学校講師を経て、天理高監督になる。第63、69回全国大会(1983、1989年度)で頂点を極める。1999年、指導を後進に譲り、2005年から3年間は高校日本代表の監督。定年前には再び天理高を率い、現監督の松隈孝照に引き継いだ。
その根底にあるのは探求心だ。
若かりし80年代、早稲田大の夏の菅平合宿を毎年欠かさず見に行った。
「理由は強かったから。その秘密を知りたくてね。28の時やったわ」
大西鐡之祐らの指導を目の当たりにする。
「針の穴を通す練習やった。パスなら10回やったら10回できるまで何時間でもやる」
その10年間、早稲田大の日本一は2回だけだが、入試を突破した、体格に恵まれない学生を強くする方法は、同じようにサイズがなかった天理高にとって参考になる。
得たヒントは当時の高校生たちに落とし込む。松隈の同期のCTB松村径はパス練習を延々とこなした。田中は覚えている。
「ずーっとやっとったなあ。ボールを受けてポールに当てるのを」
その代は2年時(1989年度)に全国優勝、3年時には準優勝。松村は高校日本代表に選ばれ、筑波大に進学した。現在は松隈を補佐するヘッドコーチ。田中の教えは、松村を通して、今を生きる高校生たちに伝わる。
「大学はある程度できた子を指導するけど、高校はそうじゃない。できていない、真っ白な子に色を染める。それがおもしろい」
定年後は、富山第一や各務原(かかみはら)などの高校に不定期で助言を送る。
移動のほとんどは黒い軽のミニバンだ。
4月30日には福岡で開催中だったワールドユースに1人で行った。その半月ほど前、現地に行ってつながりのできた台湾の建国(ジエングオ)高校を観戦するためだ。
行程は片道7時間半。往復とも夜中に出発して0泊3日の予定だったが、狂った。
「帰りはサービスエリアで寝てしもた」
笑いが漏れる。それでも、体力、気力はラグビーを教えるになんら問題はない。
(文/鎮 勝也)